第607話 令和3年1月2日(土)「総理の娘」芳場美優希
お父様がこの国の第99代内閣総理大臣になられて3ヶ月余りとなる。
その時は鼻が高かったが、最近はあれをするなこれをするなと言われうんざりすることも増えた。
今日は学友を呼んで新年会を開く予定だったが、お母様から中止にしなさいと止められてしまった。
お母様のご機嫌を損ねると大変だ。
お父様と顔を合わせることは稀だが、お母様は私が家にいると四六時中側にいて私のやることなすことを監視する。
機嫌が悪くなるとダメ出しが増え、ほんの些細なことさえぐちぐちと言われてしまう。
特に歳が離れたふたりの姉との比較が私を苛立たせる。
ふたりは先妻の娘で既に社会人だ。
上は結婚していて家庭に入り、下もこの家からは離れている。
ふたりと同じ進路を進み、現在私は臨玲高校の2年生だ。
親の目が届かない高校は私にとって自由を満喫できる特別な場所となっている。
特に生徒会長に就任してからは何をやっても許される環境だ。
いまでは家にいるよりも高校で学友たちに囲まれている方がずっと楽しいと思うようになった。
『本当に残念だわ。このまま冬休みを家で過ごすなんて』
例年であれば海外へ旅行に行ったり、豪華なパーティーに参加したりと年末年始は楽しみの多い時期だった。
それらは悉く中止になってしまった。
お父様のお力を持ってしても無理だと言われ、一国の首相って全然権力を持っていないのねと感じてしまったほどだ。
『盛大なものはできませんが、少人数で連日パーティーを行っている者たちもいるようです』
生徒会の後輩である岡本真澄がそんな情報を齎した。
彼女は私の後任の生徒会長となることが決定している。
父親は大手製薬会社の役員だったかしら……。
『もっと早く教えて欲しかったわ』と私が不平を漏らすと、『いつでも行えるように準備は整っています』と電話の向こうで傅くように彼女は言った。
お父様のお仕事を見る機会は少ないが、優秀な秘書の人たちがお父様の手足となって動く様子は見てきた。
真澄はそんな秘書のような存在であり、いつも私のために動いてくれる。
『そう』と私は満足げに頷く。
『いつに致しましょう?』との質問に『明日でどう?』と答える。
今日と言いたいところだったが、パーティーとなれば出席する私の準備も必要だ。
彼女は『かしこまりました』と承諾し、出席可能な学友の名を挙げていった。
『ちょっと地味ね』
私は電話越しで見えないのを良いことに顔を歪め、パーティーを盛り上げそうな何人かの友人の名前を出して催促した。
真澄は残念そうな口調で彼女たちが出席できない理由を述べていく。
『家族と旅行中なのは仕方ないとして、ほかのパーティーに出席予定というのは理由にならないのでは?』
『本人にそう伝えます』
真澄は1年生なので侮られているのだろう。
私の希望だと言えば考えを変えるはずだ。
それでも従わないのなら臨玲に居場所がなくなるだけだ。
『ところで、
私はしばらく考えたのち『いいわ』と告げる。
その返答がどちらとも取れるからか真澄は『では、声を掛けないでおきます』とハッキリと確認する。
それを聞いて私は『待って!』と声を上げた。
『あとで呼ばなかったと知られたら面倒だわ。声だけは掛けておいて』
『……了解しました』
声は掛けるけれど断るように仕向けて欲しいという私の言外の意図は伝わったはずだ。
だが、たとえ優秀な真澄といえどその私の願いを叶えることは難しいだろう。
高階円穂は臨玲高校の中で私の威光が及ばない唯一の学生だ。
臨玲には部活動の取りまとめ役としてクラブ連盟と呼ばれる組織があり、そのトップの連盟長に彼女が就任している。
過去には生徒会長と対立することもあったそうだが、私と彼女は手を組んでこの学校の頂点に君臨している。
とても臨玲には相応しくない無教養な人物なのに、なぜか各部の合意を取り付けて連盟長となった。
私は彼女が苦手だ。
何を考えているかまったく分からない。
臨玲の悪い噂は彼女が原因だという声もある。
しかし、この学校で私が伸び伸びと過ごすには彼女の力は不可欠だった。
『それから、理事長派の教師がまた増えるみたいです』
私に良くしてくださった学園長が臨玲を去ったのは残念だったが、理事長が派閥争いに勝利したところで生徒にはほとんど影響がない。
数年先には変わるかもしれないが、私が卒業するまで残り1年余りだ。
私や真澄が生徒会の権限を握っている間は何の心配もない話だった。
『そう』と答えた私の気持ちは既に明日のパーティーのことに向けられていた。
どの服を着ていこうかしら。
総理大臣の娘とはいえ無尽蔵に服を買ってもらえる訳ではない。
そんな子がいたら驚きだ。
手持ちの服の中からどれを着れば学友に自慢できるか頭を悩ませる。
『お母様がいらっしゃったわ。またあとでね』と言って私は慌てて電話を切る。
会合がなくても政治家の妻として人と会うのは仕事の内だそうだ。
お母様は人前では見せない目を吊り上げた顔でリビングにやって来た。
こういう時は刺激しないことが肝心だ。
私は手元のスマートフォンを見つめて目を合わせないようにした。
「優美子さんの旦那が今年の総選挙に立候補したいと言い出したそうよ」
お母様が忌々しげに愚痴を零す。
優美子というのは私の上の姉に当たる。
財務省の役人と結婚した。
婿入りではなかったが、将来は政治家としてお父様のあとを継ぐだろうと言われている。
一方、お母様は私が婿を取り、その人にこの家を継がせたいと考えている。
興味がない話だったので欠伸のひとつもしたかったが、そんなことをすれば長い長いお説教が待っている。
わたしは欠伸を噛み殺し、お母様の愚痴を熱心に聞く振りをした。
「ところで、明日少し出掛けたいと思うのですが……」
愚痴が一段落したところで私は話を切り出した。
お母様が私をギロリと睨む。
「学友から食事に誘われましたの」と私は極力上品に伝えた。
「駄目です」とひと言で却下されてしまった。
「どうしてでしょうか」と問い質すと、お母様は溜息を吐いた。
「もし貴女が感染し、それが世間に公表されたら、お父様は政治家生命を失うかもしれないのですよ。もっと状況を弁えなさい」
私は「分かりました」と項垂れる。
反対されたらこっそり行くだけだ。
お母様は明日は挨拶回りだと聞いている。
真澄に車を回してもらうよう頼んでおこう。
私はしおらしく聞き分けの良い振りをしてお母様とふたりきりの時間を過ごすことにした。
††††† 登場人物紹介 †††††
岡本真澄・・・高校1年生。臨玲高校生徒会副会長。
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