第601話 令和2年12月27日(日)「身体目当て」山口光月
「わたしの身体目当てなの?」と問い質したくなってしまう。
連日わたしの家にやって来る清楚な少女はいまも黙々と筆を走らせていた。
彼女、上野ほたるは真剣な顔でわたしを見つめている。
だが、それは描く対象を見る目であって、曲がりなりにもつき合っている恋人を見る目ではなかった。
わたしはポーズを変えないように気をつけながら息を吐く。
分かっている。
彼女はかなりの変わり者だが、常に一生懸命だ。
描いた絵でファッションショーを行うというアイディアを聞いた時かなりの腕の持ち主かと思ったが、実際は美術部員と名乗ることがおこがましいような技量だった(美術部員の大半は絵が描けないのが現実だけど)。
そんな彼女は堂々と来年の秋に向けてコツコツ絵の修行を続けている。
まだお世辞にも上手いとは言えない。
それでも時折ドキリとするような生々しい絵を描くようになった。
彼女は”お約束”みたいな絵を描かない。
よくあるポーズや構図、手法といったものをあまり知らないようだ。
名作と呼ばれるものを見て勉強しようとはせず、ひたすら描くことで画力を向上させようとしている。
ある意味、高木先輩とは対照的な存在だ。
うまくいけばオリジナリティの塊になれるが、道は険しい。
手を止めたので「どう?」と聞くと、持っていたスケッチブックをこちらに差し出した。
わたしはマンガやイラストは描くが美術のことはよく分からない。
しかし、彼女の絵がまとまりに欠けていることは分かる。
この絵も唇だけやけに緻密に描かれていてほかとのバランスが取れていない。
関心の濃淡が激しくて、一枚の絵として成り立っていないように見えた。
絵の評価は口にせず、「少し休憩しよう」と声を掛ける。
彼女が頷くのを見て、「飲み物を取って来るね」とわたしは自分の部屋を出た。
今日は日曜日なので両親揃って家にいる。
年末最後の週末は大掃除のラストスパートといった感じだった。
そんな中、家に押しかけてくる彼女を内心は迷惑だと思っているかもしれない。
顔には一切出さないけど。
彼女が我が家に来るきっかけを与えたのはわたしだ。
クリスマスイヴに家に来ないかと誘ったのだ。
……だって、クリスマスを祝ったことがないって言われたら誘うよね。
驚いたことに彼女の家ではクリスマスをやらないらしい。
それどころか、お正月もまったく普段通りだと話していた。
親戚付き合いもないので生まれてから一度もお年玉をもらったことがないと聞いて、わたしは呆然としてしまった。
別に貧乏という訳ではないそうだ。
お小遣いの額はわたしよりも多い。
服もよく買ってもらうそうで、今日彼女が着ているものもわたしのお小遣いだと手が出ないだろう。
単にそういった行事に関心がない家庭のようだ。
サラリーマンの父親とパートタイムの母親というありがちな家庭なのに、彼女のような変わり者が育つにはやはり理由があったのだ。
クリスマスは日本中どこでも一家団欒で過ごすと信じていたわたしは衝撃を受け、彼女を家に誘った。
一度くらいはそういうクリスマスを過ごしてもいいんじゃないかと思ったから。
彼女は少し考えてから、「クリスマスイヴは恋人同士で過ごすと聞いたことがある」と口にした。
わたしはよく考えずに「そうだね」と相づちを打った。
すると、「そうしよう」と彼女は承諾し、うちに来ることが決まった。
問題は当日ダンス部のイベントをふたりで見ている時に発覚した。
彼女は我が家に泊まる気だったのだ。
持って行く物の確認をしている時に気がついた。
そこで誤解だと言えば良かったが、普段無表情の彼女が心なしか楽しそうに見えてわたしは言葉を飲み込んだ。
タイムマシンがあったなら、絶対に喉元まで出掛かった言葉を言わせたのに。
その夜、彼女は可愛らしい服を着て我が家に現れた。
おとなしそうな彼女をわたしの両親は歓迎した。
たぶん、いじめのことがあって心配を掛けていたのだろう。
友だち――ではないのだけど――を連れて来たことを喜ぶ両親の顔を見て、わたしは胸が熱くなった。
しかし、だ。
彼女が家に来てすんなり事が収まるはずがない。
賑やかな食事が済んでわたしの部屋に行くと、彼女は一緒にお風呂に入りたいと言いだした。
目的はわたしの裸を見ることだろう。
彼女は先日から女性の胸の美しさにとらわれ、それを描きたいと口に出していた。
わたしの胸を見せてくれと何度も何度も迫ってきたのを大変な思いで断り続けているところだった。
体育の着替えの時も周囲の視線が気になる方だ。
まして一緒にお風呂なんて絶対に無理だった。
小学校の修学旅行の時も仮病を使ってお風呂に入らなかったほどだ。
とにかく必死に無理だと叫び、最後には彼女は引いてくれた。
そう思ってホッとしたのに、なぜか一緒にお風呂に入らない代わりに胸を見せることになっていた。
滅多に喋らないのに彼女は弁が立つ。
突然理詰めで話されると、こちらは混乱してしまう。
結局、その二者択一からわたしは逃れることができなかった。
あの時のことは思い出しただけで顔が真っ赤になる。
彼女に疚しい気持ちはない。
そうと分かっていても同世代の少女に胸を見せるなんて恥ずかしさで死んでしまいそうだった。
五感で観察すると言って、お風呂上がりのわたしの胸の膨らみを息がかかる距離で見つめ、あろうことかどさくさに紛れて触りもした。
「大掃除、手伝えなくてごめんね」
台所にいたお母さんにそう言うと、「気にしなくていいよ」と笑顔が返ってくる。
家の手伝いをそんなにしている訳ではない。
それなのになんだか良い子ぶった発言のように自分でも思ってしまう。
もう少しお手伝いを頑張ろうと心に決め、わたしは冷蔵庫から飲み物を取り出した。
グラスをふたつお盆に載せていると、「これも持って行きなさい」とお母さんからお菓子を手渡された。
「ありがとう」と言ってわたしは自分の部屋に戻る。
部屋では彼女がまたスケッチブックと向き合っていた。
わたしが「お菓子ももらってきたよ」と言っても顔を上げない。
お盆を手にしたまま彼女の背後に回り込んでスケッチブックを覗くと、そこにはかなり写実的に描き込まれた女性のバストがあった。
思わず彼女の頭の上でお盆をひっくり返すところだった。
「それ、わたし?」
うわずった声で問い質すと、彼女は無言で頷いた。
とても上手に描けているように見えるが、それがかえって恥ずかしさを増幅している。
「お願いだから、わたしが見えるところで描かないで」と言うと、「わざわざ見ようとしたのはそっち」と反論された。
彼女にわたしの胸を見せた時、「描くなとは言わないけど、描いたものをわたしに見せないで」とお願いした。
彼女はそれを守ってくれていたのに、わたしはわざわざ覗き見してしまった。
自業自得だ。
わたしはお盆をテーブルに置くと顔を両手で覆う。
目をつぶっても先ほど見た絵が頭にこびりついて消えてくれない。
「なんだかとても上手く見えた」
彼女が描いた絵は美術部の顧問の先生に見せ評価や課題を指摘してもらうので、わたしは口出しをしないようにしている。
しかし、この絵は顧問に見せる訳にはいかないのでわたしが感想を言ってもいいだろう。
「見ないで描くのって苦手だったよね。それなのにとても綺麗に描けているね」
「
相変わらず表情に乏しいが、その言葉に感情が籠もっているように聞こえたのはわたしの願望のせいだろうか。
彼女はとんでもなく変わり者でつき合うのが難しい子だけど、手を貸してあげたいと思わせる魅力がある。
眩しい才能を感じるが、それ以上に好きなことに対する猛烈なパワーがきっと人を惹きつけるのだ。
わたしたちの関係を本当は何と呼べばいいのかは分からない。
ただ、この無表情で何を考えているかさっぱり分からない歳下の少女はわたしにとって特別だった。
「……ほたる」
わたしは初めて彼女を名前で呼んだ。
果たして彼女は気づいてくれるだろうか。
††††† 登場人物紹介 †††††
山口
上野ほたる・・・中学1年生。美術部部長。美術部はこれまで長期休暇中に数日活動日を設けていたが彼女が撤廃した。出席者が少ないという理由で慣例を廃したが、光月はお菓子を持ち込む部員がいたことを気にしていたのでこの判断を素晴らしいと思った。
* * *
『わたしがこの人を支えてあげないとって思うのが、ダメ男に引っ掛かるパターンなんだって』
夜、LINEでなぜか朱雀ちゃんがそんなことを語り出した。
わたしはそれを見てズキンと心が痛む。
ほたるは男じゃないし、そもそも彼女はそういうんじゃない。
『それを指摘されると、この人は違うって言うんだって』
いや、本当に違うから。
違うものを違うというのは当然だ。
朱雀ちゃんはわたしのことを言っている訳ではないが、違うと叫び出したかった。
『恋は盲目って言うけど、悪い男には引っ掛からないようにね! 惚れるんならあたしみたいな素敵な人を見つけてね』
ハートマークのついた朱雀ちゃんの書き込みにすぐさま千種ちゃんからレスがついた。
どれだけ早く打ち込んだんだと思いながら、『それはおすすめしない』という文字を見つめる。
『なんでよ』と怒りマークつきのコメントに対し、千種ちゃんは『愛が足りない』と書き込んだ。
結構朱雀ちゃんは千種ちゃんのことを気遣っているのになあと思いながら、わたしはほたるのことを思い浮かべる。
果たして、愛は足りているのだろうか。
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