第584話 令和2年12月10日(木)「想いを伝える」須賀彩花

「もうすぐクリスマスだね」


 このところ日中は暖かく過ごしやすかったが、日が暮れるとめっきり寒くなる。

 塾からの帰り道。

 わたしは綾乃と並んで歩く。

 お互い厚手のコートを着ているので身体の温もりは伝わらないが、マスク越しの相手の声を聞き取るためにピッタリと寄り添う必要があった。


 綾乃はコクリと頷く。

 街中は夜でも街灯に照らされていてかなり明るい。

 綾乃のきめ細かな白い肌や艶やかな長い睫毛がハッキリ見えるほどに。


「受験生だけどクリスマスの日くらいは楽しみたいよね」


 それは油断かもしれないが、少しくらいは楽しみがあったっていいんじゃないかと思ってしまう。

 受験まで残り2ヶ月となり、浮かれている状況でないことは理解している。

 それでも勉強漬けの毎日の中で息を抜くことができる時間が欲しかった。


「彩花は頑張っているからクリスマスくらいはゆっくりして良いと思う」


 綾乃にそう肯定してもらって安心する。

 彼女ならそう言ってくれると思っての発言だったのでズルいと言えばズルいんだけど。


 そんなわたしの気持ちを察した綾乃は「本当に大丈夫だよ。むしろ頑張りすぎて息切れしないようにしないと」と心を軽くする言葉を投げ掛けてくれる。

 わたしが成長できたのはこうした綾乃のサポートがあったからだ。

 彼女からたくさんのものをもらった。

 精神的に。

 そのお返しが全然できていない。

 もっと彼女の力になりたいのに、わたしにできることはほんのわずかしかなかった。


「みんなで集まるのは難しいかもしれないけど、綾乃がいれば素敵なクリスマスになりそう」とわたしが微笑みかけると、彼女は伸ばした腕をバタバタと揺らした。


 そんなに大きな動きではないが、彼女が嬉しい時の仕草だと最近気がついた。

 小動物のような可愛らしさが綾乃によく合っている。


「綾乃は大丈夫?」と軽い感じで尋ねる。


 勉強のこともあるが、彼女のお母さんは新興宗教にハマっているのでクリスマスのような宗教行事をお祝いするのに抵抗があるのかなと思ったのだ。

 昨年はそういうことを感じさせなかったので平気だと思うものの、一応確認してみた。


「うちでパーティーをするとかじゃなければ」と答えた綾乃は「むしろ勉強が……」と顔をしかめた。


 彼女の成績は良く言えば安定している。

 1年前に塾に入った頃から偏差値はほぼ変わっていない。

 周りも必死に勉強しているのだから一定の位置をキープし続けることは決して悪いことではない。

 だが、成績が伸びないことへの危機感を本人がいちばん強く感じているようだった。


 最近ではわたしの方がテストの点が良い。

 でも、勉強について何かアドバイスできるかと言えばまったく思いつかなかった。

 わたしはコツコツ勉強していくタイプだ。

 綾乃は難しい問題をあっさりと解いたりする一方、暗記は苦手のようだった。

 本人もそれを自覚して懸命に取り組んでいる。


「やっぱり……」


 クリスマスのお祝いはやめようかと言い掛けた。

 その時わたしの腕を綾乃がギュッとつかんだ。

 見上げてくる綾乃の瞳はそれ以上言わないように訴えかけている。


「私、頑張るから。クリスマスのせいで落ちたって彩花が気に病むことがないように、絶対に合格するから」


 彼女にしては珍しくとても熱を帯びた言葉だった。

 学校の先生からも塾の先生からも志望校はいまのまま頑張れば大丈夫だと太鼓判を押されている。

 しかし、わたしも綾乃も受験は初めての体験だ。

 単に志望校に合格したいというだけでなく、ふたり揃って同じ高校に進学したいという思いがある。

 それは綾乃のプレッシャーになっているんじゃないか。

 わたしよりも大きな負担を感じているんじゃないか。

 彼女の決意表明を見てそんな思いがこみ上げてきた。


「わたしが気に病むからじゃなくて、自分のために頑張ろう」


 わたしはそう言うと足を止めた。

 幸い辺りに人の気配はない。

 彼女の身体を正面に向けると、わたしは覆い被さるように抱き締めた。


 わたしは自分の思いを言葉で表すことが得意ではない。

 ダンス部の副部長を経験してある程度はできるようになったが、いま胸の中にある思いを言葉にすることはできそうになかった。

 それでもこの思いを伝えるために、わたしはふたりの距離を限りなくゼロに近づける。


 綾乃にしか通用しない方法だけど、綾乃にならこれで伝わるという確信があった。

 親友とか恋人とか呼び方はどうでもいい。

 ただふたりには強い絆があり、心は堅く結びついている。


 街の中はいろいろな音に彩られているはずなのに、わたしの耳には綾乃の息づかいだけが聞こえていた。

 頬と頬が触れ合い、彼女の温もりを感じる。

 このまま時が止まってしまえば良かったのに、通行人の気配がしてわたしは慌てて身体を離した。


 身体が離れたことで綾乃の上気した顔が見えた。

 艶めかしい。

 普段はあどけなさが残る少女の顔立ちなのに、いまは何だか女って感じがした。


 わたしはこれまでにないほど心臓がドキドキした。

 どうしてだろう。

 彼女を抱き締めたことは何度もあったのに、こんなに鼓動が早くなったことはなかった。

 まるでいまから愛の告白か誓いの口づけをするみたいだ。


 綾乃が顔を上げ、目を閉じる。

 おばさんがわたしたちをチラッと見て足早に通り過ぎていった。

 わたしは綾乃のマスクを素早く外す。

 隠されていた小さな唇が現れた。

 見てはいけないものを見た気がしてしまう。


 わたしは自分のマスクを取る。

 口元に冷たい外気が当たる。

 綾乃は信頼したかのように目を閉じたままだ。

 わたしは呼吸を整え、意を決する。


「綾乃を幸せにするからね」


 そう言って彼女の小さな両手を自分の手で包み込んだ。

 綾乃の胸元で手を握っていると、綾乃がゆっくり目を開けた。

 一世一代の告白だというのに、あまり嬉しそうに見えない。


「口づけは?」と囁く綾乃に、「女の子同士だし」と言ってわたしは目を逸らす。


 だって恥ずかしいじゃない!

 綾乃は何かぶつぶつ呟いているが、わたしは自分のマスクをはめ直すと「さあ、帰ろう」と声を掛けた。


「ふたり揃って合格したら……」


 まだマスクをしていない綾乃がぷっくりとしたピンクの唇を動かす。

 わたしはその動きに見入ってしまう。


「私のお願いを聞いて欲しい」


「いいよ」とわたしは微笑む。


 お願いのひとつやふたつ、これまでサポートしてくれたことに比べれば容易いことだ。

 恩返しの気持ちを込めて安請け合いしたわたしに「何でも聞いてもらうからね」と綾乃は満足したような笑みを浮かべた。




††††† 登場人物紹介 †††††


須賀彩花・・・中学3年生。綾乃とは2年生の時から親友のような関係に。いまは優奈の提案で男子とつき合う練習として綾乃とつき合っている。


田辺綾乃・・・中学3年生。1年以上思いを伝えようとしてきたが彩花の鈍感力の前に撃沈していた。ようやく一歩進んだように思ったが、まだまだ道は険しい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る