第578話 令和2年12月4日(金)「生徒会長選挙」日々木陽稲
1、2年生は今日から三者面談が始まり、午後の校内は普段とは少しだけ違う雰囲気だった。
しかし、3年生の教室は高校受験が間近に迫って何とも言えない空気が漂っている。
勉強をしなければならないというプレッシャーが強く、へらへら笑っているだけで睨まれそうな雰囲気だ。
推薦で進学先が決定している都古ちゃんはそんな教室に居たたまれなくなって最近休み時間は不在のことが多い。
私立の推薦入試だとあと1ヶ月半しか時間は残されていない。
公立だって2ヶ月半を切った。
ここにいるほとんどの中学生にとって人生で初めての大きな岐路を迎える。
わたしは表情や仕草などから相手の気持ちが分かる方だけに、彼ら彼女らの苦しさが痛切に伝わってきた。
空気を和らげようとしてもひとりの力では限界がある。
わたしも高校はすでに確定しているが、ともに戦う仲間という気持ちでクラスメイトを励ましたいと思っている。
学校がそんな状況だから余計に可恋のマンションに帰り着くとホッとする。
今日は金曜日で明日から休日だ。
出掛ける予定はないものの、いまはのんびりと気持ちを休める時間があることがありがたかった。
ドアを開け、「ただいま」と声を掛けようとしたら玄関にある見慣れない靴に気づいた。
女性の靴だ。
サイズは可恋のものと変わらない。
若者向けだが落ち着いた感じで、持ち主に心当たりがなかった。
慎重にリビングのドアを開けると、奥のソファのところに可恋と向き合う女性がいた。
マスクをしていても一目で誰かは分かる。
2年生の久藤さんだ。
以前彼女が話をしたいと言った時に可恋はここへ呼ぶのを嫌って道場で面談したのに、どんな心境の変化なのだろう。
「こんにちは」とわたしは笑顔で挨拶をする。
「お邪魔しています」と彼女はこちらを見て頭を下げ、可恋は「おかえり」とわたしに微笑んだ。
わたしが手を洗ってリビングに戻ると、可恋と久藤さんは立ち上がっていた。
わたしは「ゆっくりしていけば?」と話し掛けたが、久藤さんは「遅くなると家の者が心配しますので」と丁重に申し出を断った。
身支度を調えた彼女に「靴、替えたんだね」と言うと、「選挙のために新調しましたが、オンラインの演説会では映らなかったですね」と苦笑していた。
生徒会長選挙で落選したという結果はわたしも耳にしている。
励ました方がいいかと思ったが、結構サバサバしているように見えた。
「わたしも中学受験に失敗したから可恋と巡り会えたの。人生は何が幸いするか分からないものよ」
わたしの言葉に久藤さんは少しだけ目を見開いた。
中学受験に失敗したことは誰もが知る話ではないので、それをサラッと言ったのに驚いたのだろう。
彼女とはファッションショーの準備会議で何度も顔を合わせたが、話す機会はあまりなかった。
お互い警戒して距離を取ったという感じだ。
理想としては誰とでも仲良くしたいが、現実はなかなか難しい。
久藤さんを見送ってからリビングに戻り、可恋に紅茶を淹れてもらう。
着替えを済ませたわたしはその紅茶に口をつけてから、「どういう風の吹き回し?」と問い掛けた。
「そんなに怖い顔をしなくても何もないよ」と笑った可恋は「なかなか面白い選挙だったみたいだね。当事者から詳しい話を聞きたくなったのよ」と言葉を続けた。
「もう卒業だから関わらないんじゃなかったの?」
「生徒会の今後については関わらないよ。だけど、私たちが臨玲に行って最初にやるべきことがあるでしょ?」
「最初にやるべきこと?」とわたしが問い返すと、「臨玲では毎年5月に生徒会の選挙が行われるんだって」と可恋が答えた。
高校入学後のことはまだ漠然としたイメージしかない。
だが、可恋は当然のことのように入学後の準備を入念に行っている。
生徒会に巣くう前学園長派を一掃することがわたしたちの使命だ。
校内の生徒の様子は学外や大人からでは見えないこともある。
「5月だと入学して1ヶ月と少しってタイミングよね」
「間にゴールデンウィークがあるから時間的な余裕はない。それに私だったら選挙を前倒しするわね」
「えっ、できるの?」とわたしが驚くと、「別に法律で決められたことではないし、理由さえつければ変えるのは簡単でしょ。それより向こうがどれほど危機感を持っているかよね」と何でもないことのように可恋は答えた。
学園長と母親のあとを継いだ理事長が臨玲を巡って争った。
学園長側が圧倒していたが、その油断をついて理事長が巻き返し学園長を追放することに成功した。
しかし、校内はいまだに一枚岩とは言えないそうだ。
既得権益を失いたくない人、変化を望まない人、理事長を信用していない人……。
そして生徒会は前学園長から数々の特権を与えられ、それを手放したくないそうだ。
「でも、それならいまの生徒会長は5月で終わりなのよね?」
「立場上はね。しかし、息のかかった後輩に会長の座を譲り、実質は生徒会を牛耳り続けようと目論んでいるみたい」
「……まるで本物の政治の世界みたい」と感想を漏らすと、「さすが現職総理の娘だね」と可恋は感心してみせた。
「それで、久藤さんの話は参考になったの?」とそれ以上ついていけそうになかったわたしは話題を変える。
「そうね。例えば今回の選挙ならアメリカの大統領を見習って相手の選挙違反を攻撃するのが最適だと思った。可能ならそういう状況を作り出して一部始終を録画するとかね」
……可能ならじゃなくて、可恋ならそれをやっていたということだろう。
「本当にそんな不正があったの?」と確認すると、可恋は「さあ」と肩をすくめた。
「久藤さんとは別のルートで聞いた情報では、投票してくれたらキスしてあげるって話もあったみたい。久藤さんの対立候補とつき合っている子がそこまでするなんて何があったのか背景を知りたくて来てもらったの」
可恋はその経緯を淡々と語ったが、わたしは途中から顔が真っ赤になって聞いていられなくなった。
別の世界で起きた出来事のようだ。
同じ中学生がやっていることとは思えない。
「よく久藤さんが話してくれたね」と言うのがわたしにはやっとだった。
「一皮剥けたって感じかな」と可恋がちょっと上から目線で評す。
「負けを知ることも大切よね。私は死んでも嫌だけど」
可恋はそう言って笑う。
わたしは可恋が誰よりも負けを知っていることを理解している。
勝つことが叶わなかった幼少期があることを。
だからこそ準備を徹底し、あらゆる可能性に備えるのだ。
「それより、映画のことだけど……」とわたしは話題を変えた。
いつも必死に生きる彼女を癒やすのがわたしの役目でもある。
久藤さんを家に入れた理由を追及するのは今度ゆっくりと行おう。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・中学3年生。祖父の願いである臨玲高校への進学が決まっている。臨玲は伝統がありお嬢様学校として知名度が高いが、近年は評判が低下している。
日野可恋・・・中学3年生。陽稲につき合う形で臨玲を志望した。現理事長の右腕である北条さんと繋がりを持ち、理事長派につくことと引き換えに優遇を受けている。
宇野都古・・・中学3年生。陽稲の友だちで陸上部のエースだった。その活躍が認められ推薦を得た。
久藤亜砂美・・・中学2年生。両親の離婚後底辺の暮らしをしていたが、現在は近藤家に引き取られて落ち着いた生活を送っている。生徒会長選挙で落選した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます