第560話 令和2年11月16日(月)「島田琥珀の動揺」島田琥珀
昨日の夜、ダンス部のマネージャーであるみっちゃんこと小倉美稀さんから連絡があった。
悩んだ末に打ち明けてくれたのは1年生部員の先輩に対する不信感だった。
『今日はうやむやのうちに話が終わりましたが、また何かのきっかけで不満が噴き出すかもしれません』
彼女の言葉にわたしは頭を抱えた。
彼女のように2年生――特に部長・副部長――を信頼してくれる後輩もいるが、いまのままだと本当にクーデターが起きて、しかもそれが成功してしまうかもしれない。
ダンス部は昨年秋に創部したできたてほやほやの部活動だ。
伝統は作っている真っ最中で、何もかも手探りという状況にある。
しかし、いまの1年生はそれを知らない。
……もうちょっと部長のあかりがうまくやれればええんやけどなあ。
そうは思うがほかの2年生部員の協力があまり得られない中で彼女はよくやっている方だろう。
むしろもっとわたしがサポートすべきなのだろうが、時間的な制約があってこれが精一杯だった。
ほのかやももちにこれ以上を求めるというのも酷な話だ。
中学で行う生徒主体の部活動運営の限界なのかもしれない。
顧問の岡部先生にもっと関与してもらうべきかもしれない。
でも、先輩たちが作り上げたいまのダンス部の姿を簡単に手放してしまうのは……。
そんなことが頭の中で渦巻き、昨夜はなかなか寝つけなかった。
だから、今日のわたしは寝不足である。
「おはよ」
言葉はぶっきらぼうなのにどこか幸せオーラを漂わせながらほのかが挨拶してきた。
昨日もあかりとイチャイチャ――ではなく勉強会を――したらしい。
「おはよう。いつもそのくらいニコニコしといてな」と軽く皮肉を込めた挨拶を返す。
彼女にはちゃんと伝わったようで、「機嫌悪いな」と眉を寄せた。
わたしは肩をすくめてその言葉を受け流す。
みっちゃんから聞いた話をすべてぶちまけたい衝動に駆られたが、さすがに思いとどまった。
先にあかりに話すべきことだし、そのタイミングもよく考える必要がある。
授業中は余計なことを考えないように心掛けていたが、休み時間になるとどうしてもこの件が頭を占めてしまう。
ほのかは休み時間になるとたいていあかりの顔を見に行くので教室にいない。
わたしは勉強している振りをしながら今後のことを考えていた。
このところ暖かく過ごしやすい日が続いている。
昼頃になると眠気がわたしを襲った。
いけないと思いつつも、うとうとしてしまう。
特に午後、麗らかな日差しが窓から差し込むと悪魔の誘いのようにわたしを眠りに引き込もうとする。
それはこのやっかいな悩み事から解放されたいという誘惑でもあった。
なんとかこの試練を乗り越え優等生らしく授業を受けると放課後だ。
ほのかはあかりの元へ、七海は真央の元へ飛んで行ってしまい、わたしひとりが教室に取り残される。
何とも言えない気持ちで溜息をひとつ吐くと、帰るためにゆっくりと立ち上がった。
魔が差したのだろう。
わたしは昇降口に向かって階段を下りるのではなく、階段を上っていた。
その先にあるのは3年生の教室だ。
誰もいなければ諦めて帰ろう。
そう思いながら、3年3組の教室を覗いた。
そこではまだ授業が行われていた。
ようやく3年生だけ時間割が異なることを思い出した。
3年生は1つの授業の時間が短い代わりに7時間授業が行われているのだ。
わたしはこのまま帰ってしまうことができず、廊下の窓から外を眺めた。
11月とは思えない陽気が心地いい。
眼下には大勢の冬服姿をした中学生の姿があった。
ひとりで足早に家路を急ぐ子もいれば、集団で楽しそうにお喋りをしながら歩く子もいる。
わたしはそんなに目が良くないので分からないが、この中にはダンス部の部員もいるだろう。
このひとりひとりが様々な思いや悩みを抱えているのかもしれないが、ここからではそんなものは見えてこない。
見上げるとどこまでも広がる青い空があった。
天高く馬肥ゆる秋の言葉通り、雲はちらほら漂っているが空は突き抜けるように高い。
この空を見ているとわたしの悩みなんてちっぽけなもののようにも思えてきた。
やっぱり帰ろうかと思い直していると3年生の授業が終わり、すぐにホームルームが始まった。
1、2年生に比べてその時間は短く、あっという間に担任の教師が教室から出て来る。
そのあとを追うように生徒たちが廊下に現れる。
帰りそびれたわたしはその中から先輩の姿を探していた。
「あれ、どうしたの?」と帰る生徒の波が切れそうなタイミングで須賀先輩がわたしを見つけて声を掛けてくれた。
その隣りには元マネージャーの田辺先輩もいた。
わたしは深々と頭を下げ、「お久しぶりです」と挨拶する。
3年生の先輩たちにはファッションショーのあとで「良かったよ」なんて労ってもらったが、落ち着いて話をするのはかなり久しぶりになる。
引退時期の運動会の前も学年ごとに集まることがほとんどだった。
副部長の仕事の引き継ぎは夏休み前から少しずつ進められていたので、夏休み明け以降はこうして話す機会はほとんどなかったのだ。
「悩み事? いいよ。教室でじっくり聞いた方がいい?」と須賀先輩は優しそうな笑顔で一度自分が出て来た教室を振り返った。
「いえ、ここで結構です」と言ってから、「受験生なのにお時間を取らせて申し訳ありません」とわたしは詫びた。
「気にしないで」と前任の副部長が微笑み、田辺先輩もコクリと頷いた。
聞く体勢を取ってくれた先輩たちに対して、わたしは何から話せばいいか迷った。
相談しに来たのは思いつきだったし、かなり衝動的な行動だったから。
待たせてはいけないと焦る気持ちが余計に言葉を出て来なくさせた。
それでも先輩たちは態度を変えずに待ってくれる。
わたしは深呼吸をして気持ちを落ち着けてからようやく話すことができた。
わたしにしてはまとまりのない話し方だったのに、先輩たちは根気強く聞いてくれた。
悩みを吐き出せたことだけでも気持ちはスッキリする。
話を聞き終えた須賀先輩は自分の額に手を当て、「もう少しいまの2年生がやりやすい仕組みを作っておいた方が良かったね」と反省を口にした。
わたしは首を横に振り、「いえ、2年の力不足です」と答えた。
長期の休校がなければもう少しそういった体制作りができたかもしれないが、こればかりは言っても仕方がないことだ。
先輩たちはできる限りわたしたちがやりやすいように取り組んでくれた。
1年生の指導を最初から2年生に任せたり、部の運営方針も好きなようにして良いと言ってくれたりした。
それなのにわたしたちはそれを十分に生かすことができていない。
「決めるのはいまの部員たちだからあくまでアドバイスだけど、1年2年関係なくやりたい人に仕事を割り振っていけばいいんじゃないかな」
須賀先輩はそう語ると、田辺先輩に「綾乃はどう思う?」と話を振った。
元マネージャーは「意思疎通が足りていない気がする」と指摘した。
「1年と2年の間も、2年同士も」という先輩の言葉は耳が痛かった。
わたしは貴重な忠告を得られたことに「ありがとうございました」と頭を下げる。
須賀先輩は「また何かあったら遠慮せずに言ってね。たいしたアドバイスはできないかもだけど」と温かい言葉を掛けてくれる。
田辺先輩からも「ひとりで抱え込まないように」と気遣ってもらった。
わたしはこれまで何でも自分で決めてきた。
相談されることはあっても、自分から相談することはほとんどなかった。
だけど。
こうして困った時に手を差し伸べてくれる人の存在はどれほどありがたいか身に沁みた。
わたしもこんな人になりたいと初めて意識した。
開け放たれた窓から爽やかな風が吹き込んだ。
††††† 登場人物紹介 †††††
島田琥珀・・・中学2年生。ダンス部副部長。両親が関西出身ということもあって人当たりの良さをアピールするために関西弁をよく使う。しかし、今日は先輩の前ではその余裕もなく……。
小倉美稀・・・中学1年生。ダンス部マネージャー。ほかの1年生部員よりも先輩に接する機会が多い。
秋田ほのか・・・中学2年生。ダンス部副部長。あかりにメロメロ。
辻あかり・・・中学2年生。ダンス部部長。頑張ってはいるが……。
須賀彩花・・・中学3年生。元ダンス部副部長。急成長して最近はすっかり貫禄がついた。
田辺綾乃・・・中学3年生。元ダンス部マネージャー。引退してからその能力の高さが知れ渡った。
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