第513話 令和2年9月30日(水)「敵地」秋田ほのか
「本当にひとりで大丈夫?」
あかりが心配そうに私を見つめる。
最近膨らみが目立つようになってきた彼女の胸元へと私は視線を逸らした。
「平気よ。あかりは部活頑張って。部長なんだから遅刻しないようにね」
大半の部員は着替え終わってグラウンドに向かっている。
用事があるならまだしも、あたしを心配して遅れただなんて部長として示しがつかない。
それでもあかりはじっと私を見ていた。
「子どもじゃないんだから平気だって」と私は不安を笑って誤魔化し、あかりを安心させようとした。
「まだ子どもじゃない」と言ったあかりは私の手を自分の両手で包み込んだ。
「何かあったら助けるから。あたしはほのかの味方だからね」
ダンス部の練習に行くあかりと別れて、私は生徒会室へ歩を進めた。
まるで戦場へ赴くような気持ちだ。
そこには強大な敵が待ち受けている。
それにひとりで立ち向かわなければならない。
どうしても足取りは重くなってしまう。
昨日のファッションショーの準備に向けた会合で、私は生徒会役員に筋トレを教えるように依頼された。
魔王というあだ名が定着している日野先輩からの頼みなので断るという選択肢は存在しなかった。
そのことを昨夜クラスメイトで生徒会役員でもある七海にLINEで伝えたところ、その話はすぐに久藤の耳に届いたようだ。
今朝登校すると彼女から今日指導をして欲しいと言われた。
「今日はダンス部の練習があるから」と別の日にして欲しいと拒否しようとしたのに、「早い方がいいでしょう?」と退けられた。
久藤のことだから額面通りには受け取れない。
練習がない日だとあかりがついてくるからそれを嫌ったのかもしれない。
少なくとも私に対する嫌がらせであることは確実だ。
来週には定期テストがあるので、今週のうちにとなると明日が最適だった。
だが、明日は無理だと言われてしまうとダンス部の練習とかち合ってしまう。
私は渋々頷くこととなった。
一昨日の月曜日もサイズの確認がしたいと放課後に呼び出され練習に参加できなかった。
2回続けてダンス部の練習を休むことになったのは不本意だが嘆いても始まらない。
このことをあかりと琥珀に報告すると、ふたりは心配してくれた。
久藤とは運動会の練習中にいろいろあったからだ。
あかりは最後までひとりで行かせることを逡巡していた。
私はそれを振り切って生徒会室にやって来たのだ。
生徒会室では体操服姿の4人の女子が待ち構えていた。
七海とその親友の真央は私の味方とも言える存在だ。
しかし、久藤と小西のふたりは3人掛かりでも太刀打ちできる相手ではない。
「遅かったのね。逃げたのかと思ったわ」と久藤が笑い掛けてくる。
私はそれに答えず、室内を見回す。
ひとり足りない。
どうしたものかと七海に確認する。
「井上さんは?」
七海は首を横に振って「まだ来てないの」と答えた。
真央は「サボりかな」と肩をすくめた。
待っていても埒が明きそうにないし、この空間に長居はしたくない。
「先に始めようか」と私は提案した。
「先生と呼んだ方が良い?」と久藤がからかうが無視する。
私は冷静にと自分に言い聞かせながら、なるべく事務的に練習方法を指導していく。
まずは自分が手本としてやってみせる。
スペース的な問題からひとりずつ順番にそれをやってもらう。
ソフトテニス部に所属する真央と、男女を合わせても2年生の中で最強だと噂される小西には特に教える必要はないだろう。
いちばん時間が掛かりそうな七海を後回しにして、簡単に済みそうな真央から始めた。
運動部所属だけ合って簡単にこなす。
次に久藤。
特に運動経験はないらしいが、スイスイとやってのけた。
トラブルが起きないか警戒していたが肩透かしを食らった気分だ。
これなら教えに来る必要はなかったんじゃないか。
小西もやる気を見せた。
身体を動かすことは好きなようだ。
彼女は久藤と変わらないくらいの長身だが、横幅がかなり違う。
鍛えている私でも簡単に押しつぶされてしまいそうだ。
どこか野生の熊を思わせるような雰囲気があり、本気で近づきたくない相手だった。
「自重じゃ物足りないな」と言った彼女は「そこに立て」と私に命じた。
小西は私の背後に回ると、「足を開け」と言うやいなや私を肩車した。
私は「うわぁ」と悲鳴を上げる。
彼女はふらつくことなく私を肩に乗せたままスクワットを始めた。
私は振り落とされないように彼女の頭にしがみついた。
七海は青い顔をしてこちらを見ていたが、真央と久藤は面白がっている。
「どうだ?」とスクワットを終えた小西が私に聞くが、肩車をされていてフォームのチェックなんてできはしない。
とはいえ答えない訳にもいかず、「筋力は十分なので私から言うことはないです」と小声でボソボソと呟いた。
こんな化け物相手に指導なんてできる訳がないじゃないか。
最後に七海の番になった。
もう久藤たちには帰って欲しいと思ったが、それが顔に出たのか「貴女の指導には前科があるから見張っておかないとね」と指摘された。
言い返すことができない。
運動会の創作ダンスの練習でクラスメイト相手にキツい口調を使ってしまい怒らせたことがあったからだ。
それ以降気をつけてはいるが、絶対にないと言い切れないのが辛いところだ。
七海は予想通りフォームが安定していない。
ポイントを伝えてもなかなか改善されない。
一ヶ所が良くなったと思ったら別の場所が変になる。
世の中には自分の思い通りに身体を動かせる人間と動かせない人間がいる。
もちろん完璧に動かすには練習が必要だが、要所をすぐに把握できる人はすぐにある程度の動きができるようになる。
ひかり先輩なんて覚えるのが早く、正確さも完璧に近かった。
そこまでいかなくても、七海を除くここにいるメンバーはできる側だと言えるだろう。
だから、どうしてもなんでそんなことができないのかという目で見てしまう。
それがプレッシャーとなって七海はますます動きがぎこちなくなった。
私は日野先輩に教わった注意点を根気よく伝え続けた。
真央は七海のことを理解しているので生暖かい目で見るだけだ。
久藤はバカにしたような顔はしているが口は出さない。
意外なことに「真面目にやれよ」と言ってきたのは小西だった。
それだけで七海は涙目になっている。
小西はそこまで怒っている様子ではないが、それでも怖い。
ついには七海は立ち上がることができなくなった。
「七海はこれでも一生懸命なのだから……」と私が間に立つ。
私は救いを求めるように久藤を見るが、ニヤニヤ笑ったままだ。
真央が「許してよ。七海は真面目にやっているよ。ただ注目されて緊張しているんだよ」と言ってようやく小西が鉾を収めた。
座り込んだ七海を私と真央で支えて椅子まで運ぶ。
七海とは同じクラスだし明日にでもマンツーマンで教えた方がいいだろう。
私が練習の終了を告げると、少し空気が緩んだ。
何ごともなくとはいかないまでも、無事に終わってホッと息を吐いた。
その横で、真央が小西に気安く声を掛けた。
「それにしても小西がモデルをやるなんてね」
その疑問は私にもあった。
不良として有名な小西がいくら生徒会関係者とはいえモデル役を引き受けるなんて。
「やるとは言ってない」と小西は答えたが、「日野さんにやれと言われたらやらなきゃいけないから準備はしておく」と嫌そうに言葉を続けた。
「不良でも上下巻険には厳しいんだな」と真央が笑う。
「年齢は関係ない」と小西はキッパリと言った。
「あの人はマジでヤバい。たか良さんとふたり掛かりでも勝てる気がしねえ」
たか良さんというのは3年生のかなり恐れられている不良のことだろう。
普通は強がるものだと思うが、人前でこんなことを口にするというのはよっぽどのことだ。
真央がそれを聞いて目を輝かせている。
琥珀が言っていた。
生徒会室から漏れる噂の大半は真央によるものだと。
真央が生徒会役員を続けているのはそういう噂話を求めてじゃないかと。
いまの真央の顔を見ると、それが真実だと私は確信した。
きっと明日にはこの話が校内中に広がっているはずだ。
††††† 登場人物紹介 †††††
秋田ほのか・・・2年1組。ダンス部副部長。ダンスの実力は非常に高いがコミュニケーション能力に難がある。
辻あかり・・・2年5組。ダンス部部長。部長に就任して貫禄がついてきた。ほのかにとっては親友以上の間柄。
島田琥珀・・・2年1組。ダンス部副部長。学級委員であり、クラスではほのかや七海と一緒にいることが多い。コミュ力が高く情報通。
田中七海・・・2年1組。生徒会役員。真面目さが売りの次期生徒会長候補。運動が苦手というほどではなく、この環境でパパッとできる方がおかしいと思う。
鈴木真央・・・2年4組。生徒会役員。ソフトテニス部と掛け持ちしている。七海の親友で、彼女を手伝うために生徒会に入っている。なんでも卒なくこなすタイプ。
井上菜々実・・・2年2組。生徒会役員。無駄口や不平不満が多く周囲からあまり信頼されていない。久藤が生徒会に入って居心地の悪さを感じるようになった。
久藤亜砂美・・・2年1組。生徒会役員。この夏、近藤未来の指示で生徒会入りしたが、居心地の良さもあって生徒会長の座を視野に入れ始めた。しかし、そのためにダンス部に尻尾を振る気はない。
小西遥・・・2年4組。不良。正式な生徒会役員ではないが亜砂美と一緒にいることは許されている。休校期間中から可恋が通う空手道場でいろいろと学ぶようになった。
麓たか良・・・3年1組。不良。小柄だが、その”狂犬”振りに遥も恐れていた存在。可恋に飼い慣らされたと言われるが、ボクシングを覚えて強さは増した。
日野可恋・・・3年1組。幼少期から空手を習い、形の選手として稽古する傍ら、実戦を常に想定している。勝つためになら手段を選ばない姿勢を見せるゆえに多くの者に畏怖されている。
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