第509話 令和2年9月26日(土)「正解」日々木陽稲

 今日は雨がしとしと降り続いている。

 気温もまったく上がらない。

 例年だと10月に入った辺りまで暑い日があったりするのに、今年はこのまま秋から冬に突入してしまいそうだ。


 可恋は快適な部屋の中でソファに寝そべりスマホを眺めている。

 休日ではあるが、ただでさえ出不精の彼女がこの雨の中を出掛けるなんてことは絶対にない。

 朝に空手道場に行っただけで、その後は一日ゴロゴロして過ごすと決めたようだった。


 土曜日の午前中は掃除の時間だったが修学旅行中にハウスクリーニングをしてもらいその必要がなくなった。

 そのため朝からずっと勉強に時間を当てているが、午後3時を過ぎた頃にはかなり疲れ果ててしまった。

 気分転換に散歩でも行こうよと可恋に声を掛けてみたが、返って来たのは「あとで」や「今度」といった生返事だった。


「明日は雨の心配はそれほどしなくていいみたいだから、お買い物に行こうね」


「うーん、この前行ったじゃない」


 ろくにわたしの話を聞いていないのなら買い物に行くという言質を取れないかと思ったがそう甘くはなかった。

 わたしは頬を膨らませて「それはキャンプ用品店でしょ。お洋服を買いに……」と抗議するが、「それはまたの機会にね」と話を遮られてしまう。


「でも、来週だとテスト前になっちゃうじゃない」


「なら、テストが終わってからね」


 確かに定期テストが終わったタイミングでよく買い物に行くが、その前に行ったっていいじゃない!

 もちろん、テスト明けにも行くのだけど。


「でも、テストが終わったら文化祭だよ」


「なら、文化祭が終わってからだね」


「ダメ!」と大声を出してわたしは可恋を睨む。


 このままずるずると後回しにされる訳にはいかない。

 わたしは「テスト明けに可恋と一緒にお買い物に行きます」と一語一語ハッキリ聞こえるように宣言した。

 そして、「文化祭が終わった時の話はまた今度しましょう」とつけ加える。

 可恋は「じゃあ、それで」と微笑んだ。


 買い物自体はインターネットを利用して頻繁に行っているが、やはりお店に行って服を選ぶことは特別な行為だ。

 1日中でもしていたいくらいだけど、つき合ってくれる人のことを考えて少しはわたしも自重をしている。

 それなのに嫌な顔をせずにつき合ってくれるのは純ちゃんくらいで、お姉ちゃんでさえ引きつった笑みを浮かべることが多い。


「文化祭までもう1ヶ月ないものね……」


 スマホでスケジュールを確認したわたしはそう呟いた。

 今年は1日だけの開催だ。

 3年生は展示だけなので、テストが終わってから準備しても十分に間に合うだろう。

 すでに下準備も済んでいるのでさほど不安はない。

 わたしが協力者として名を連ねる原田さんたちのファッションショーの方が心配だった。


「ファッションショーの準備は順調なのかな?」


 そう言って可恋を見るが、彼女は相変わらずスマホに視線を落としたままだ。

 文化祭に関して可恋はいくつかの提案をしたあとは自分の役割は終わったという態度を取っている。

 可恋に頼り切るのは良くないとわたしも思う。

 クラスの方はわたしの力でなんとかするつもりだ。

 一方、ファッションショーは大掛かりだし、わたしの力でどれだけのことができるか分からない。

 成功させてあげたいという気持ちは強いものの、どこまで協力していいかの見極めもできていなかった。


 原田さんに連絡するかどうか躊躇っていると、可恋が顔を上げてわたしを見た。

 そして、やおら立ち上がるとキッチンに向かって歩き出した。


「ひと息つこう」と可恋は言ってお茶の準備を始めた。


 わたしは部活に入っていないので後輩との距離感が分からない。

 ファッションショーをわたしが主役となって開催することもできただろうが、何か違うよねと感じる。

 最初に自分の希望だけ伝えてあとは手助けを求められた時だけ手伝おうと考えていたが、うまく進んでいるのか気になって仕方がない。


「可恋もきっとこんな気持ちなんだろうな」


 可恋が熱い紅茶を淹れて持って来てくれた。

 お茶請けにビターチョコレートが添えられている。

 わたしの独り言を耳に拾った可恋が「何?」と聞いた。

 そこで、わたしは自分が考えたことを伝える。


「違うよ。私は別に成功して欲しいと思ってないもの」


「だけど、助けて欲しい時には助けてくれるじゃない」


「助けてと頼まれた時に助ける余力があれば助けるって感じかな」


 わたしが可恋の言葉の意図を頭で咀嚼していると、「最近は忙しすぎるのよ。よっぽど重要な案件以外は任せ切りね。何かあればその時に考えるわ」と付け足した。

 可恋は忙しい。

 桜庭さんといっしょになってベンチャー企業を立ち上げるという話も出ているようだ。


「学校の部活動を地域クラブへアウトソーシングする場合人材の確保が重要になる。指導者の負担を軽減するためにサポートスタッフとして学生を利用できないかと考えているの。例えば中学生のサポートを高校生が行い、その報酬としてクーポンを発行する。そのクーポンで地域のスポーツクラブやジムが利用できればどうかなって」


 そんな話題を語る時の可恋は生き生きとしているが、「こんなことに手を出していると研究時間が減るのよね」と我に返ってこめかみを押さえることも多い。

 トレーニングの効率化の研究はライフワークになると思うと可恋が話すほどで、先行研究を調べたりシャルロッテさんと議論したりと多くの時間を割いているようだ。

 それ以外にも進学する高校のことを調べたりキャシーの相手をしたりと考えることはいっぱいあると可恋は零している。


「わたしもそんな風にした方がいいのかな?」


「ひぃなにはひぃなのやり方があるんじゃないかな」と可恋は答えた。


「こういうのは正解がひとつだけあるって訳じゃない。そもそも何が正解かもはっきりしないものだしね。考えながら自分にとって最良の道を探していけばいいんじゃないかな」


 正解。

 確かにそこがはっきりしていなかった。

 ファッションショーの成功だけが正解ならもっと関与すべきだろう。

 だが、わたしが求めている正解はそれではない。


 わたしはちょうど良いくらいに冷めた紅茶を口に含む。

 リラックスする香りが鼻腔に漂い、心が和らぐ気がした。


「まずは情報収集だよね。原田さんに進捗を聞いてみる」


 プレッシャーになるかなと思いこちらからあまり連絡をしないようにしていたが、今後どうするか考えるにも情報は必須だ。

 彼女たちだけで成功できるならいい。

 でも、それが厳しいようなら成功に必要な程度だけ手を貸したい。

 その匙加減がうまくできるか分からないけど、現状の把握から始めなければ。


 俄然やる気が出て来たわたしを可恋は優しい表情で見守っていた。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・中学3年生。将来の目標はファッションデザイナー。目を肥やすためにもお洋服の買い物は大切。


日野可恋・・・中学3年生。文化祭の準備に夢中になってくれれば買い物が延期にならないかなという深謀遠慮が……。


桜庭・・・非常にフットワークの軽いビジネスパーソン。輸入業や輸入代行業などを手広く行いつつ最近はスポーツビジネスや興行ビジネスにも関心を持っている。金儲けよりも自分の興味を優先するタイプ。


原田朱雀・・・中学2年生。手芸部部長。今年のファッションショーのプロデューサー役に可恋から指名された。陽稲のことを女神様として慕っている。

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