第385話 令和2年5月25日(月)「オンライン授業」川端さくら
『登校日が急遽決まったことにより、2回目以降のオンライン授業は確定次第連絡します』
日野さんがそう言ってオンラインホームルームを終えた。
わたしは一旦ログアウトして大きく息を吐く。
今日はこのあと君塚先生によるオンライン授業が行われる。
先日、日野さんから参加を要請され、わたしは断る理由を思いつけなかったのだ。
1ヶ月ほど続いているオンラインホームルームにはすっかり慣れた。
わたしが10分間の授業を担当させられた時は大変だったものの、毎日多くのクラスメイトと顔を合わせることができて良い気分転換になっている。
妹たちが一緒に見ていても許されるほど緩く気楽だった。
しかし、今日はテストのようなものだとはいえ、きちんと学校の先生が授業を行うのだ。
他の中学から移動してきたばかりの君塚先生の授業を受けるのは今回が初めてとなる。
厳しい教師だということはすでに知れ渡っているので、どんな第一印象を与えるかは今後に向けて大事になりそうだった。
妹たちを追い出し、手洗いを済ませ、真新しい教科書とノートを用意する。
今日は朝から気温が上がっているのでペットボトルも手元に置く。
3回ほど深呼吸をしてから会議室にログインする。
オンラインホームルームは長くても20分程度で終わるが、今日の授業は45分の予定となっている。
ホームルームは全員参加が続いているが、回線の問題などで45分の授業を受けられない生徒が何人かいた。
代わりに他クラスの3年生が数人参加するという。
学校のPC教室にいると思しき君塚先生がログインしてきた。
生徒の顔に緊張が走る。
次いで担任の藤原先生も姿を見せた。
見学という立場だからか余裕の表情を浮かべている。
一方の君塚先生はひっつめ髪に、もはやトレードマークとなった赤いジャージ姿だ。
『時間です。よろしくお願いします』と日野さんが告げ、オンライン授業が開始された。
『おはようございます』と君塚先生がハキハキとした声で挨拶する。
まばらな生徒たちの返答に眉間に皺を寄せ、『挨拶もできないのですか』とキツい口調で問うた。
日野さんが大きな声で『おはようございます』と一礼し、ほかがあとに続く。
わたしもボソボソと声を出した。
『ひとりずつ声を出しなさい』と言った君塚先生は生徒の名前を読み上げる。
『恵藤さん』
『あ、はい』と小さな声が聞こえる。
『挨拶をしなさい』
『あ、……おはようございます』
『声が小さい』
『おはようございます』
『もっと大きな声で』
『おはようございます!』
恵藤さんはようやく解放され、『次、岡山さん』と君塚先生が別の生徒の名前を呼んだ。
わたしはそのやり取りを、唇を噛み締めつつ見つめていた。
……凄く嫌。
これまで英語を教えてくれた広岡先生はとても優しい女の先生で、楽しく英語を学ぶことが大切だと語っていた。
和気あいあいとした英語の授業が大好きだったのに、今年は……と思うと重苦しい気持ちになってしまう。
『川端さん』とすぐにわたしの名前が呼ばれた。
『はい。おはようございます』としっかり声を出したのに、『もう一度』と言われてしまった。
それだけで泣きたくなってしまう。
わたしは涙をこらえ、目をつぶり、大きく息を吐いた。
目を開けると画面にクラスメイトたちの顔が並んでいる。
わたしはただ君塚先生の顔だけを見て、『おはようございます』と他の部屋まで聞こえるような大声を出した。
先生は表情を変えることなく『よろしい』と言った。
わたしはホッとして肩の力を抜く。
溜息を吐きたかったが、見られている気がして思いとどまった。
……
トラブルが起きるのが目に浮かぶようだ。
スマホからオンラインホームルームに参加している生徒は無理にこの授業に出る必要はないと言われていた。
日野さんから拒否権がないような扱いを受けたわたしと違い、スマホ組だった心花は本人の意思で参加を見合わせた。
全員の挨拶が済むと『次回からはしっかり声を出しなさい。オンラインだろうが教室だろうが変わりません』と君塚先生は言い切った。
教室でもこれをやらされるのかと思うと気持ちが沈んでくる。
『では、教科書を開いてください』の声にわたしは視線を下に向ける。
指定されたページを開き顔を上げると、『最初の段落を声を出して読んでください。須賀さん』と生徒の名を呼ぶ。
いきなり当てられたのは他のクラスの生徒だ。
読み終えるとすぐに『同じところを山本さん』と名前を挙げた。
男子ふたりにも同じ箇所を読ませ、『では、訳を……日々木さん』と指名する。
それを受けて日々木さんがスラスラと日本語に訳した。
『次の段落です』と言って休むことなくどんどん当てていく。
いつ自分の名前が呼ばれるのかとドキドキしながら他の生徒が読むのを聞く。
ここでも声が小さいと納得いくまでやり直しをさせられる。
それでも読むだけならまだいい。
訳を当てられたら大変だ。
一応予習は済ませているが、先程の日々木さんほど正確に答えられるか自信はない。
『訳を……藤原先生』
『え? ええー!』と藤原先生が悲鳴のような声を出した。
まさか当てられると思っていなかったのだろう。
そりゃそうだ。
ただの見学だと生徒たちも思っていたのだから、画面には驚く顔が並んでいた。
『授業に協力してくださると仰ったでしょう?』と君塚先生に指摘され、『えー、そうですけど……』と藤原先生は目を泳がせた。
『できませんか?』と無表情で問われ、『待ってください。えーっとですね……』と藤原先生はその場で訳し始めた。
だいたい合っているかなという日本語訳に見守っていた生徒の方が安堵する。
訳し終わったタイミングで、『同じところの訳を……川端さん』とわたしの名前が呼ばれた。
幸い藤原先生の訳を聞きながら自分だったらどう答えるか考えていたのでなんとか訳すことができた。
わたしはこれでしばらく当たらないだろうと油断していたら、次の読みの3人目で当てられた。
もう当たるの! と慌てて教科書を睨む。
まだ一度も当たっていない生徒がいるのに……。
しかし、そんな文句は口に出せない。
わたしはしどろもどろになりながら読むしかなかった。
その後もガンガン当てていく授業が続いた。
どうやら完全にランダムで指名しているようだった。
その合間に文法の解説が入る。
君塚先生は黒板ではなくハンドサイズのホワイトボードにサッと書いて説明した。
集中して聞いていないとノートを取るのが難しい。
こうして非常に密度の高い45分が終わった。
久しぶりの本格的な授業ということもあって、わたしはくたくただった。
疲労困憊の理由は単に君塚先生の授業が厳しかったのか、初めてのオンライン授業のせいなのか、丸々3ヶ月にわたって授業を受けていなかったからなのか判断がつなかい。
『このあとアンケートのリンクを送るので記入してください』と日野さんが告知して、やっとオンライン授業が終わった。
とりあえず分かったことがある。
こんな授業を1日5時間も6時間もオンラインで受けるのは無理だ。
休み時間に友だちとお喋りをして気分転換することもできない。
わたしはアンケートのことをすっかり忘れ、机に突っ伏してうとうとしてしまった。
††††† 登場人物紹介 †††††
川端さくら・・・3年1組。成績は上位で、しっかり勉強するタイプ。それでも今日の授業は疲れ果てた。
君塚紅葉・・・3年1組副担任。アラフォーの英語教師。
藤原みどり・・・3年1組担任。20代の国語教師。学生時代は優等生で英語だってできたのよ。
日野可恋・・・3年1組暫定の学級委員。
* * *
気が付くともうお昼だ。
妹たちが遠巻きにわたしの様子をうかがっていた。
今日は両親ともに仕事で外出中なので、わたしがお昼を作ってあげないといけないのに。
わたしは飛び起きると「ごめん、すぐに支度するね」とふたりに声を掛けた。
ふたりにも手伝ってもらいお昼ご飯を作る。
今日は焼きそばだ。
具はほとんどキャベツだけだが姉妹揃っての大好物だから問題ないだろう。
食べ終わってからスマホの着信に気づいた。
見ると、アンケートの督促が日野さんから何度か来ていた。
うっと声を詰まらせる。
君塚先生も怖いが、日野さんも怖い。
アンケートを取るなら、このふたりのどちらが怖いかにすればいいのに。
そんなことを考えていたら、電話が鳴った。
その日野さんからだ。
うへっと声が出た。
妹たちの目の前で、見えやしないのにペコペコ頭を下げながらわたしは日野さんに応対するしかなかった。
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