第312話 令和2年3月13日(金)「何もできない子どもだけど」辻あかり

「いったいいつまで続くんだか」


 マスク姿のほのかが沈んだ声で言った。

 今日は学校の運動場を使っての自主練があり、思い切り身体を動かした。

 いまはその帰り道だ。


「いいじゃない。あたしは学校が休みで嬉しいな」


 うちは共働きだから、昼間は勉強しろとうるさく言われない。

 夜にお母さんから「ちゃんと勉強したの」と聞かれるが、適当に言って誤魔化している。


 ほのかは眼鏡越しにあたしをジロリと睨み、「気楽でいいわね」と溜息をついた。

 その態度が癇に障ったあたしは、「ほのかってあたし以外に友だちいないんだから、学校に行かなくても平気じゃない」と口を尖らせた。


「学校は遊びに行くところじゃないわ」と反論してから、「あかりだって言えるほど友だち多くないじゃない」とほのかは指摘する。


「そ、それはそうだけど、ほのかよりはマシだから!」と大声で抗議するが、ほのかはふんと鼻で笑う。


 ほのかに言われるように、挨拶したり雑談したりする友だちはそれなりにいるが、休校になってもわざわざ会いたいと思うような友だちはほのか以外にいない。

 逆に言えば、こうしてほのかに会えていれば十分ということだ。


「最近、練習に身が入らないのよ」とほのかは眉間に皺を寄せた。


 ダンスが好きで、ダンス部に入る前から独りでコツコツ練習していたほのかがそんなことを言うとは驚きだった。

 今日の合同自主練でも集中力が欠ける部員は結構いた。

 部長たちが何度も集中するようにと鼓舞していたが、全体的に元気がなかった。


「先行きは見えないし、ダンスなんかしている場合かって思ってしまうのよ……」


 春の陽差しは眩しく、暖かくて心地良いのに、ほのかのところだけどんよりした空気が漂っているようだった。

 残念ながら、こんな時にどう声を掛けたらいいのかあたしは知らなかった。


「……お父さんが勤める会社、危ないかもしれないって」


「えっ!」とあたしは声を上げる。


「心配はいらないって言われたけど、うちは裕福じゃないしね」


 うちだって裕福ではない。

 もしもお父さんが首になったら大変なことになるだろう。

 ダンスどころではなくなるのは間違いない。


「ごめん、あかりに言ってもどうしようもないよね。忘れて」


 ほのかはマスクと眼鏡を掛けているので表情はよく分からない。

 だが、その声は助けを求めているように聞こえた。


「……ほのか」


 呼び掛けるが、彼女はこちらを向くことなく歩き続ける。

 あたしは何か言葉を続けようとするが、何も思い浮かばない。

 どうしたらいいんだろうという焦る気持ちばかりが募っていく。


「待って、ほのか!」


 思った以上に大声になってしまった。

 ようやくほのかは足を止め、こちらを振り向いた。

 逆光のせいで表情は読み取れない。


「あたしじゃできることはないかもしれないけど、でも……」


 思いだけが空回りして言葉が出て来ない。


「……ありがと」と言って、ほのかはあたしに背中を向けた。


「今日は帰るね」という言葉を残して、ほのかは駆け出した。


 いつもはこのあとも練習を一緒にしていたのに。

 取り残されたあたしは、しばらくの間その場に立ち竦んでいた。


 とぼとぼと家に帰りつき、あたしは自分の部屋で茫然と座り込んだ。

 電灯をつけていなかったので、すぐに部屋の中は暗くなる。

 だけど、立ち上がる気力がなかった。


「どうしたの? 真っ暗なままじゃない」


 仕事から帰ってきたお母さんがあたしに気付いて声を掛けてくれた。

 黙り込んだままじっとしていると、「友だちとケンカでもしたの?」と心配そうにあたしに尋ねる。


「……ケンカじゃない」


 ケンカの方がよっぽどマシだ。

 謝れば済むのだから。


「ほら、晩ご飯の準備をするから少しは手伝って」


 世界が終わってしまうかのように落ち込んでいるというのに手伝いなんて……。


「考えたって仕方がない時は身体を動かしなさい」


 ご飯抜きよとまで言われてしまっては手伝わない訳にはいかない。

 お母さんが帰りに買ってきた総菜をあたしが皿に盛り付ける。

 その間にお母さんはフライパンで野菜炒めを作った。

 今日は練習でしっかり運動しただけに、調理の音と匂いで自分がどれほど空腹だったか気付かされた。

 悲しいことに悩んでいてもお腹は空く。


 お父さんを待つことなくふたりで夕食を摂る。

 お母さんはテレビのニュースを見ながら、「どこも大変よねえ」と嘆いている。

 あたしは気になっていたことを恐る恐る尋ねる。


「お父さんやお母さんのところは大丈夫?」


 お母さんはあたしをジッと見てから口を開いた。


「お父さんのところも私のところも心配はいらないわよ。ただ休まなきゃいけないパートさんが多くて、その皺寄せが来ているのがね……」


 そう言われて初めて、お母さんがいつもより疲れているように見えた。

 会社が大丈夫でもお父さんやお母さんが倒れでもしたら大変だ。


「あ……、何か手伝うことがあれば……」と口にすると、「あら、珍しいわね」とお母さんは笑った。


「そうね、あとで肩でも叩いてもらいましょうか」


 あたしが「うん」と頷くと、「あなたには留守番ばかりさせて悪いと思っているのよ」とお母さんは優しい声で言った。


「別に、平気だし」


「いまは大変な時期だから、留守番さえしっかりしてくれたら……。あと、もう少ししっかりとお勉強してくれればね」


 後半は余計だと思うものの、「頑張る」とだけ短く答えた。


 ほのかのために何ができるのか、まったく思いつかない。

 あたしが頑張ってどうこうできる問題じゃないとは思う。

 だけど、友だちだから、何か力になれることはあるはずだ。

 きっと……。




††††† 登場人物紹介 †††††


辻あかり・・・中学1年生。ダンス部所属。1年生部員のまとめ役。


秋田ほのか・・・中学1年生。ダンス部所属。1年生部員の中では実力ナンバーワン。

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