第15話 令和元年5月21日(火)「臨時休校」日野可恋

 昼間からベッドに寝そべって本を読む。


 このところ週末はひぃなが泊まりに来るので、ひとりきりでのんびりする時間はあまりない。それがイヤだという訳ではないけど、こういう時間の過ごし方もたまにはいいものだ。


 今日は大雨警報が出て学校は休校になった。


 ひぃなとは朝から何度か電話で話した。インターネットでファッション関連の情報収集をすると意気込んでいた。彼女も最近はそうした時間が取れていないと言っていた。


 雨が降りしきる中、私は本の世界に没入した。




「雨、上がったね」


「そうなんだ」


 夕方になって、またひぃなから電話があった。


「可恋、晩ご飯どうするの?」


 お昼は買い物に行けなかったので、買い置きなどで適当に済ませた。雨が止んだのなら買い物に行かないと。


「これから買い物」


「うち、来ない?」


 ひぃなの声からはわずかばかりの人恋しさが感じられる。いや、私の願望かもしれないけど。


「寂しい?」と私は少しからかうような口調で尋ねた。


「……うん」


「分かった。行くね」


 私は少し買い物をしてから向かうと伝え、電話を切った。これからひぃなと会うと思うと心が浮き浮きしてくる。寂しかったのはひぃなだけではなかったようだ。それに気付いて思わず苦笑する。


 さあ家を出ようというところで母から着信が入った。


「どうしたの?」


「今から帰るね」


 休校になったことは母に伝えていた。心配して早く帰ってきてくれる可能性は予測できたはずだ。


「ごめん。これからひぃなの家に行く」


「……あー、娘を嫁に出す親の気持ちが分かったわ」


 ふざけた感じで母がそう言った。これも母の優しさだろう。


「大げさだよ」


「いいよ。高級レストランで傷心を慰めてから帰るから。……気を付けていくのよ」


「うん。じゃあね」


 以前なら母との食事を断るなんてことは絶対にしなかった。私は大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。感傷的な気分のまま、私は食卓の上に一枚のメモを残した。




「いらっしゃい」


「お邪魔します」


 ひぃなとひぃなのお姉さんが迎えてくれる。食事をご馳走になった日から十日ばかり、ほぼ毎日のようにひぃなの家に行き、二日に一回のペースで夕食を頂いている。ご迷惑かなと思うが、私がひとりでいる時間が長いことをひぃなだけでなくひぃなのご家族にも心配されているので、今はそれに甘えている。


「高校は休校だったんですか?」


 私の問い掛けにお姉さんが首を振る。「電車が止まらないと休校にならないんだって」とどんよりとした顔で答えた。


「それは大変ですね」


 朝方は風も強かった。ひぃななら吹き飛ばされていたんじゃないかと思ってしまう。


「傘をさすのも大変だったよ」と愚痴を零しつつ、「まだ時間が掛かるから、ヒナと待っててね」と言ってくれた。ひぃなの顔を見て、彼女の部屋へ一緒に行くことにした。


「ひぃな、昼間ひとりだったんだ」


 私はベッドに腰掛けた。ひぃなが何も言わなかったので、漠然とお姉さんも一緒だと思っていた。


「純ちゃんが来てくれるって言ったんだけどね、小学生の妹さんを残してって言うから止めた」とひぃなが笑って答える。ひぃなはいつもは自分の机の前の椅子に座るのに、今日は私の横に来た。


「怖かった?」


「警報は出てたけど、怖いってほどじゃなかったよね。でも、家の中にひとりだけだと、ちょっぴり寂しかったかな」


 ふたりの間の距離は拳ひとつ分くらい。私は左手をひぃなの頭の上に載せた。ひぃなはこちらに寄り掛かってくるでもなく、私の方を向いて「可恋はどうだった?」と訊いた。


「ひとりでいることは慣れているから平気。だけど、マンション暮らしは初めてだから、結構風で揺れて少し怖かったかな」と正直に話す。


 ひぃなはすっと立ち上がり、私の頭に手を置いた。そして、ゆっくりと撫でてくれる。私は行き場をなくした左手を胸元に寄せ右手で握る。昔は母によく頭を撫でてもらった。その記憶が蘇る。私が寝込んだ時、寂しかった時、泣いた時、怖かった時、それは私が忘れようとしている記憶だ。


 静かな時間が流れる。言葉を交わさなくても心が通い合っている気がした。




 ノックの音がした。思いのほか時間が経っていた。ひぃなは慌てたように手を引っ込めた。ドアが開いて、ひぃなのお姉さんが「準備できたよ」と教えてくれる。


 私は立ち上がると、ひぃなの背に手を添えて、「行こう」と促した。ひぃなは私の方を見上げて「うん」と頷く。その表情はとても穏やかだった。

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