第36話 ただ、その一言だけが必要だったの。
「リリーカ様。貴方の話には十分整合性があります。だが、一番重要な物が抜け落ちている。それは証拠です。私が犯人だと言う証拠はありますかな?」
私を睨みながら、ネフィト執事長は冷たい口調で詰め寄る。私は緊張のせいか、つい大振りに首を横に動かした。
「······証拠はありません。でも、私はこの事をタイラントに説明します」
「ほう? 私と貴方。タイラント様はどちらの言葉を信じますかな?」
ネフィトさんは自信に満ちていた。それはそうだろう。三十年この国に仕えた重臣と村娘。
タイラントがどちらかを信じるか火を見るより明らかだ。私が流言を吐いたとタイラントにこの城から追い出されるかもしれない。
でも疑念の種は残るわ。タイラントの中に私の言葉が。ネフィトさんが犯人かもしれないと言った村娘の一言が。
それは弱々しく小さい種かもしれない。でも何かをきっかけにそれは大きく育つかもしれない。
「······ネフィトさん。その時タイラントの貴方への信頼が少しも揺らがない自信はありますか?」
ネフィトさんは沈黙する。私を睨みつける眼光は鋭さを増すばかりだ。私は恐怖に怯えながらも、ここは勝負時だと勇気を振り絞る。
「ネフィトさん! 貴方は重大な事を見落としています。何よりもタイラントは私に夢中なんです!」
私のハッタリは甚大な効果を生んだ。あの冷静沈着なネフィト執事長が口を開けてぽかんとしているではないか!
「······ま、まさか。お二人の仲は、そこ迄進んでいるのですか?」
鉄壁の冷静さを誇っていたネフィトさんに動揺が見られた。
「そうです! タイラントは理性を保てず無理やり私に口づけをする位私にぞっこんなんです!!」
ん? ちょい待て私。いくら緊急の時とは言え、どんだけ端ない事を言っているの?
ネフィトさんは足元がふらつき背中をドアに預けた。そ、そこまでショックでしたか? 言ってる私がちょっと傷つくわ。
「ネフィトさん。タイラントは私の言葉を無視出来ないと思います。何故なら私に首ったけだからです!!」
もういいや。毒を喰らわば皿までよ。端ないついでに最後まで言ってしまえ。ネフィトさんは頭を手で抑え深いため息をついた。
「······リリーカ様。私は先代の国王に仕えるまで、自分の力を過信する無頼の徒でした」
ネフィトさんは低い声で過去を語りだした。ネフィトさんは冒険者だった頃、自分の力に絶対の自信を持ち、強いと聞けば人間、魔族を問わず戦いを挑んできた。
だが、ネグリットと言う名の魔族に敗れ、ネフィトさんは瀕死の重症を負った。そのネフィトさんをある夫婦が救った。
「······その御夫婦は、旅をしながら薬を売る生業をされていました」
ネフィトさんは命を救ってくれた夫婦に恩を感じ、二人の護衛役を買って出た。そうして三人の旅が始まった。
旅をしていく内にネフィトさんは気付いた。その夫婦は巨大な魔力を持っており、自分は薬では無く治癒の呪文で助けられたのだと。
夫婦の力を聞きつけたある国の王は夫婦を召し抱えた。王の夫婦への信頼は時間と共に深まり、跡継ぎの居なかった王は夫婦に王座を譲った。
「その御夫婦こそタイラント様のご両親です」
タ、タイラントの御両親は家臣から王位についたの?
「そしてタイラント様がお生まれになったのです。それはもう可愛らしい赤ん坊でした」
ネフィトさんは懐かしげに目を細めた。この人のタイラントへの愛情。そしてご両親への尊敬の念はとても強い。
ネフィトさんの話を聞いて私はそう思った。タイラントと名付けた両親は、深い愛情を息子へ注いだという。
え? タイラントは、両親の愛情を受けなかったんじゃ······
「ニ歳までです。タイラント様はニ歳までしか、御両親の愛情を受けられませんでした」
この国は戦火に巻き込まれていった。国王と王妃は国を守る為に必死で、我が子にかける時間を持てなかった。
息子と過ごせる僅かな時間は心を鬼にして厳しく接した。いずれこの国を背負って立つ息子を強く育てる為だ。
タイラントの両親は即位してから城に呼び寄せた親類がいた。親類もタイラントの両親自身も、戦争で命を落とした。
「······おめおめ生き残ってしまった私に出来る事は国王と王妃の代わりに、タイラント様を厳しくお育てする事でした」
······違う。違うわネフィトさん。タイラントに必要だったのは、叱責や詰問じゃない。あなたがこの世に産まれてくれて嬉しい。
ただ、その一言だけが必要だったの。
「······リリーカ様。貴方がこの城にやって来てから、タイラント様は少しずつ変わられました。感情を表すようになったのです」
ネフィトさんはタイラントの変化を危惧したと言う。国を守る王として厳しく育てた両親とネフィトさんの想いが、私によって破壊されてしまうと。
「貴方は危険な方なのです。リリーカ様」
重苦しく呟くネフィト執事長は、苦しそうな表情をしていた。
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