第30話 恋という名の沼の底に!!

 貴族食堂の厨房で、私とカーゼルさんは料理に取りかかっていた。料理人達の視線を感じたが、集中するとそれも気にならなくなる。


 カーゼルさんは四本の腕を無駄なく駆使し、形のいい唇で私に次々と指示をくれる。当初の遅れを取り戻し、前菜は完成した。


 高価そうなお皿には、燻製ハムと人参のピクルス、ガブのオイル焼きが盛られた。シャンフさん達の前菜と同時に運ばれて行き、審査員であるタイラント達が食す事になる。


 あの金髪寝癖魔族、ちゃんと味が分かるのかしら? 私は一抹の不安を抱きながらも、カーゼルさんの次の指示に慌てて全神経を集中させる。


「わ、私が焼くんですか!?」


「そうだ。お前がやってみろ、リリーカ」


 カーゼルさんが選んだ肉料理は鹿肉だった。肉料理は火加減が命。それを、なんと私にやれとカーゼルさんは言う。そ、そんな大役、私には無理です!


「リリーカ。料理に限らず、物事は後の者に託す時が必ず来る。そうしていつか、今度はお前が誰かに何かを託すんだ」


 カーゼルさんは四本の腕を動かしながら、私を見つめた。


「そして、託される時はいつも突然やって来る。お前が誰に何を託すのかは分からんが、その練習だと思ってやってみろ。俺が横で見ててやる」


 カーゼルさんは微笑した。その笑顔に、私の頭の中の天使達は興奮し、地獄の口から鐘とラッパを見事拾い上げた。


 ま、まずいわ。天使達が鐘を鳴らし、ラッパを吹いたら間違いなく落ちてしまう。恋と言う名の沼の底に!!


 妄想全開の私の頭とは別に、料理に集中する私が別に存在していた。鉄鍋に鹿肉を置き、慎重に釜戸の火力を調整していく。


 カーゼルさんの助言もあり、なんとか鹿肉は焼き上がった。すかさずカーゼルさんが鹿肉にソースをかけ、審査員達に運ばれて行く。


 そしてデザートにアプリコットのカスタードパイを焼き上げ、後は審査員達の結果待ちとなった。


「良くやったな。リリーカ」


 カーゼルさんが私の頭を軽く叩き、微笑んだ。だ、だだ駄目だ! 天使達が鐘を鳴らし、ラッパを吹く準備を完了させている!!


「料理人の方々。こちらへお集まり下さい」


 リケイが私達に声をかける。タイラント達が座る席に、料理対決にか関わった料理人達が集められた。だが、シャンフ料理長だけは姿を見せなかった。


 食後の紅茶を飲み終えたタイラントが、私達を見回す。そして、いつもの無表情のまま口を開いた。


「私。マルフルフ財務大臣。エドロン。審査員である三人の結論を言おう」


 い、いよいよ結果発表だわ! ど、どっちが勝ったの!?


「結果は引き分けだ。双方の料理は甲乙つけがたく、どちらも素晴らしかった」


 ひ、引き分け!? と言う事は、私達の労働者食堂の待遇はこのまま変わらないって事?


「この結果を踏まえ、平民専用食堂の予算配分も考慮しよう」


 マルフルフ財務大臣がはっきりと明言した。ほ、本当に!? ありがとう! マルフルフさん。ただの太った嫌な人じゃなかったのね!


「娘。見事な料理だったぞ」


 私は自分の目を疑った。タイラントが笑っていた。それはほんの短い笑みだったが、その笑顔を見た瞬間、私の頭の天使達は鐘とラッパを手から離した。


「······引き分けでは無い! 劣った食材を使ったカーゼル達の勝ちよ!」


 厨房の方から、シャンフさんの大声が聞こえた。同時に、料理人達が驚きの声を上げている。


「しゃ、シャンフ料理長!? そ、その姿は!?」


「う、腕が六本もあるぞ!?」


「ろ、六手一族!? 四本手一族よりも珍しい一族だ!!」


 シャンフさんは個室厨房から姿を現した。金髪の髪を後ろで結び、白い前掛けを身に着けた姿は、二十代半ばに見えた。


 そして両肩の下には右に三本。左に三本と腕が生えており、その姿を見た料理達は呆然としていた。


「······シャンフ。穴倉から出る気になったか」


 カーゼルさんがシャンフさんの側に行く。シャンフさんは疲れたような表情だ。


「······この身で出来る仕事と思って今までやって来たわ。でも、人の目を気にする事にもう疲れたわ。カーゼル。あんたみたいに堂々となんて出来ない。私はもう料理長を辞めるわ」


 シャンフさんは俯き、前掛けを外し流しの台の上に置いた。そして厨房から立ち去ろうとした。


「しゃ、シャンフ料理長! 待って下さい!」


「そうです! 辞めないで下さい! 俺達、まだまだ料理長に教えて貰う事がたくさんあります!」


「腕が何だって言うんですか! 料理長の技術は最高です!」


 シャンフさんの周囲に料理達が集まり、必死に自分達の料理長を引き止める。


「あんた達······」


 シャンフさんは戸惑いながらも後輩達の言葉に足を止めた。カーゼルさんは振り返り、私に思いがけない事を言った。


「······リリーカ。俺が個室調理場から出ようと思ったのは、お前のおかげなんだ」


「え? わ、私の?」


 先日、勇者ソレットさんに私はお下げのリボンを託した。その時、私の頭半分は癖っ毛が暴走した。


 カーゼルさんはその光景を偶然城壁の上から目撃していた。そして、事の顛末をリケイから詳しく聞いたらしい。


「弟の為なら人の目を気にしない。お前のそんな行動に、俺は勇気を貰った気分だった。ありがとな。リリーカ」


「······カーゼルさん」


 私の考え無しの行動が、カーゼルさんに勇気を与えていたなんて。私は泣きそうな位、嬉しくなって来た。


「さあ戻るぞリリーカ。俺達の厨房へ」


「はい!」


 ······カーゼルさんの背中を追いながら、私は不思議な気持ちだった。なぜ天使達は鐘を鳴らしラッパを吹く事を止めたのか。


 私は一度だけ後ろを振り返った。金髪の国王はいつもの無表情のまま紅い両目を私に向けていた。

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