第21話 あなたのつむじ、ぴょんって跳ねてますから!

 私の調理場での日々は一週間が過ぎようとしていた。勿論その間の講義は中止だ。そんな暇は逆立ちしても無いもの。


 笑いキノコで寝込んでいた三名は、ようやく明日から復帰する事となった。そんな訳で、私の臨時雑用係は今日で最後だ。


 目も回る忙しい日々だったけど、終わるとなるとちょっと名残惜しかった。この厨房では人間の私に皆仲間として接してくれた。料理長のカーゼルさんもちょっと怖いけどいい人だ。


 あ、駄目だ。なんか胸が一杯になって目頭が熱くなってくる。水仕事で赤切れだらけの指は痛かったけど、今日は最後の日だ。精一杯頑張ろう。


 昼食が終わり、夜の仕込みまでの休憩時間にその知らせは私に届いた。シースンが血相を変えて、厨房に居た私を呼びに来た。


「リリーカ! すぐにタイラント様の執務室に来て!」


「ど、どうしたのシースン?」


「大変な事になったの。訳は歩きながら話すから早く!」


 私はシースンに手を引かれタイラントの執務室に向かった。理由はシースンから聞かなくても分かった。


 城中の至る所で騒然としていたからだ。そして皆、同じ事を叫んでいた。


 勇者来たると。


 勇者ソレットとその仲間達。小さな村に住んでいる私でも、その名を知っていた。大昔から勇者と呼ばれる人達は数多くいたが、勇者ソレットは歴史上最強の勇者と呼び声高い存在だった。


 ん? でも昔の勇者はもう居ないのに、どうやって今の勇者と比べるのかな?


 とにかくその勇名に、若き冒険者達はソレットに憧れた。私の幼友達のラストルもその一人だ。


 私は時折この城に勇者様が来ないかと願っていたが、まさか現実になるなんて! あれ? でもなんで私が呼ばれるの?


 タイラントの執務室に入った時、私の前に全身に青い甲冑を纏った騎士が立っていた。兜は外しており、その若々しい顔には小さい傷が無数についていた。


 その両目は凛々しくも澄んでいる。私は直感で分かった。この人が勇者ソレットだ。右手には包帯が巻かれている。


 怪我をしているのかな? 勇者の左右には赤い鎧を身に着けた逞しい戦士と、白い神官衣を纏った優しげな神官が控えている。


 ん? そして一人だけソファーに座っている人がいる。黒い魔法衣を着た人だ。胸を反らして足を組んでいる。なんだか偉そうな態度ね。この人。


 ソファーの前のテーブルに置かれたカップに、メイドのカラミィが紅茶を注いでいた。黒い魔法衣の男は、遠慮する素振りを微塵も見せず紅茶を飲んだ。


「······こいつは絶品だなお嬢さん。だが、まさか毒は入っていないよな?」


 魔法衣の男が半笑いでカラミィに片目を閉じる。小粋な冗談のつもりだろうか。この人?


「はい。まだ毒殺のご命令が出てないので」


 カラミィは天使の微笑みで返答した。魔法衣の男は表情をひきつらせ、紅茶を飲む手を止めた。


「早く飲んで下さいハリアス。貴方が無事でしたら私達も頂きますので」


「早くしろハリアス。俺達は喉が乾いているんだ」


 神官衣の男と赤い鎧の大男が、ソファーに座る男に話しかけた。


「お、俺は毒味係か!」


 ハリアスと呼ばれた男は堪らず、という表情で仲間の二人に抗議する。


「ハリアス。私達は貴方を実験体や捨て駒。だなんて少しも思っていませんから。早く飲んで下さい」


「もう一口飲んだんだ。今更手遅れ。いや今更変わらん。早く飲め」


 二人に更に進められ、ハリアスさんは脂汗を流しながら紅茶を飲んだ。うわっ。格好悪いなあ。この人。


 この時私は気付いた。机の椅子に座っているタイラントのつむじの寝癖に。もう見慣れ光景だったが、勇者様達の前でそれは失礼。いや恥ずかしいでしょうアンタ!


 私はタイラントに駆け寄り耳打ちする。寝癖を直しなさいと。すると金髪魔族は怪訝な表情を私に見せる。


「寝癖だと? 私にそんな恥ずべき物がある訳が無かろう」


 いやいや、ありますよ! あなたのつむじ、ぴょんって跳ねてますから! と、言うよりアンタに初めて会った時からずっと跳ねてますから!


 すると、リケイとシースンが私に小声で話しかける。


「リリーカ殿。お気持ちは分かりますが、タイラント様のつむじの跳ねは、髪型の一部とお考え下さい」


「そうなのよリリーカ。私も初めて見た時は

寝癖と思ったけど、いつも毎日跳ね具合が全く同じなの。これはもう、髪型の一部と言っていいわ」


 そ、そうなの? いや、やっぱりこれはどう見ても寝癖よ。私はガラス瓶に入った飲料用の水を両手につけ、タイラントのつむじにつけた。


 すると、水を含んだつむじの跳ねは素直に寝て収まった。ほら! やっぱり寝癖よこれは!


「娘。この指の傷は如何したのだ?」


 タイラントが私の手首を掴み、赤切れだらけの私の指をじっと見つめる。


「これ? ただの手荒れよ。まだ水が冷たいから、洗い物をしてると······」


 言い終える前に、収まった筈のタイラントのつむじがまた跳ね上がった。正にぴょん、って感じだ。


 リケイとシースンが両手で口を抑え、後ろを向いた。二人共肩を震わせている。ぜ、絶対にこの二人笑ってる!


 タイラントの顔が目の前にある私は、笑いたくても笑えなかった。膨らむ頬が吹き出さないよう必死に堪えていると、咳払いが聞こえた。


 黒い魔法衣のハリアスさんが立ち上がり、私達に口を開いた。


「我々の要件を伝える前に、まずは自己紹介しておこう。青い鎧の男はソレット。赤い鎧の方はゴントだ。神官衣の男はクリスだ」


 や、やっぱりあの人が勇者ソレット!


「そして俺だ! この一行の指令塔であり精神的主柱。おまけにムードメーカーもこなし、溢れる才能と魅力を隠しきれない。ハリアスとは俺の事······」

 

 ハリアスさんの無駄に長い自己紹介は途中で中断された。ゴントさんに頭を小突かれ、クリスさんに足を蹴られたからだ。


 悶絶して座り込むハリアスさんの前に、勇者ソレットが一歩前に出た。


「要件を言おう。この城に、タタラ村のリリーカと言う娘がいるか?」


 自分の名を呼ばれ、私はしばらく呆然としていた。勇者ソレット。この人の澄んだ声で呼ばれると、自分の名前がまるで他人の名のように聞こえた

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