江龍伝説―淡き湖から琵琶の湖へ―

西野淡

プロローグ

『越中通信』(「連載:隠された湖国の伝承 」より)

 むかし、むかし、遠い神の時代。

 後に日本と呼ばれる島が作られて間もない頃、その島には黒と白の二匹の龍が暮らしていた。

 二匹の龍は、天上の神々と共に生まれたばかりの島とヒトの世界を見守り育んでいた。


 ある夜、天よりさらに上の世界。星々の彼方から無数の『輝き』が二匹の龍へと降り注いだ。

『輝き』の不思議な光を受けた二匹の龍は、瞬く間に強く賢くなっていった。そして、さほどの時を空けず神々に勝るとも劣らない力と知恵を手に入れた。


 二匹の龍と神々は最初こそ戸惑いはしたものの、二匹に与えられた『輝き』は、地上の世界にさらなる恩恵をもたらした。二匹の龍は自らの力をヒトの世のために使うことを決断し、神々も二匹の決意に応えて島とヒトの世界を二匹の龍に任せて外の世界へと旅立っていった。


 二匹は『輝き』に与えられた知恵と力を以てして良くヒトを助けた。

 田畑を拡げ、大地に恵みの雨と暖かな日の光を与えた。

 食糧となる作物を育てる術を伝えた。

 

 やがて、人々は二匹の龍を神々と同じように信望するようになった。

 そんなある日、外の世界へと旅立っていった神々が戻って来た。

 神々は二匹の龍に言った。


「お前たちは、これ以上はない程に立派に私達の代わりとしてこの世界を治めてくれた。ヒトの世界は充分に成長し、おのれの道を歩み始めた。後は私達と共に天から見守ろう」


 神々の突然の言葉に二匹の龍は困惑した。

 白龍はやや迷いをみせたものの神の言葉に了承の意を示した。

 だが、黒龍の胸の内にはどこか釈然としない思いが残った。


「この世界を守り育ててきたのは我々だ。だが、何故に未だに神々から一方的に指図されねばならぬのか」


 その晩、黒龍の許に一人の神が訪ねてきた。

 その神は黒龍にそっと囁いた。


「神々は知恵の無い獣と下に見ていた貴方達がヒトの世界で自分たちのように信仰されるのが面白くないのです。だから、貴方達から立派になった世界だけ掠め取ろうとしているのです」


 その言葉を受けて黒龍は激高した。

 そして、白龍のもとを訪れると、その神から聞いた事を伝えた。

 白龍は俄かに驚きながらも、しばらく考え込み口を開いた。


「たしかに、お前の思いはよく理解できるし、我も突然の言葉に戸惑ったのも事実だ。だが、神々がどうしてもそんな卑劣な真似をするとは思えん。一度は、御言葉に従い天に戻ってから改めて判断を下してはどうだ?」


 しかし、白龍の言葉は激高する黒龍には届かなかった。


「我らを不当に侮辱する者共の命令など一言たりとも聞きたくなどない!」


 やがて、二匹が天に帰る日が迫ってきた。

 そして、ある日、とうとう事件が起きた。


 黒龍は地底に住まう古の神々と手を組み、天上の神々へと反旗を翻した。


 地上は瞬く間に争いの業火に包まれた。


 神々の争いは、人々の間にも波及した。

 黒龍を信ずる人々は己の守護神である龍を守り助けるべく武器を取った。

 そして、古き神々の信徒と共に、天上の神々とそれに従う人々に対峙した。

 

 争いは熾烈を極めた。

 双方の陣営の神もヒトも次々と血を流し命を落としていった。


 争いの中で黒龍は怒りを糧にして更なる力を手に入れた。

 その爪は一振りで海原を割り、口から吐く炎は雲すら消し飛ばして天界を火の海にした。


 黒龍の心と引き換えに手に入れた『黒い輝き』の力は、神々すらも滅ぼす絶大なものであった。

 

 地上と天界の惨状。そして、自身の半身ともいうべき黒龍の変わり果てた姿に白龍は大いに嘆き悲しんだ。

 白龍は自身の許へと身を寄せる人々を遠く安全な地へと送り届けると、島の中央で自身のすべてを賭けて黒龍へと挑みかかった。


 既に届かなくなった言葉の代えるように、白龍は持てるすべての力を半身にぶつけた。黒龍との力は既に神をも超えており、白龍との力の差は歴然としていた。

 しかし、白龍は懸命に黒龍へと立ち向かい互角の戦いを繰り広げた。

 

 二匹の戦いは三日三晩に及ぶ激闘となった。

 二匹の力に、大地が抉れ、山が弾け飛び、天空が割れた。


 そして、戦いの末に白竜は己と黒龍の肉体を犠牲にすることで、黒龍の魂を戦いの地へと封印した。


 こうして二匹の龍が姿を消しさり、大きな犠牲を出した戦いは終わった。


 神々の多くが命を落とし、再び荒廃した大地が蘇るまで、数多の時間が流れた。


 やがて、二匹の龍の激突によって生まれた大穴に水が溜まり、巨大な湖となる頃には戦いの記憶はすっかり人々の中から消えてしまった。

 だが、今でも湖の底には二匹の龍の魂が眠っており、湖の周りの地域では各々で形を変えながらも龍神を祀る信仰が残されているのである。

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