参-12




 瓏衣から見て、小太郎との出会いは妙なものであった。

 何せ、出会った瞬間に彼と盛大に殴り合いをしたのだから。

 正確に言えば、喧嘩を売ってきた不良に十倍以上のお返しをしていた小太郎を慌てて止めようと間に割って入ったために標的が瓏衣に移ってしまい、また当時の彼が野良犬のように凶暴であったせいで話し合いという平和的解決はのぞめず、瓏衣はやむなく応戦を強いられたのである。

 だが、それだけが理由ではない。彼の、燃え盛る炎のようなあの赤毛に、覚えがあった。

 確か、中学二年生の冬だったと思う。町の大きな交差点で起きたトラックの横転事故。千鶴とともに帰宅途中だった瓏衣はなぎ倒されたように転がる大型トラックのその傍らに、彼を見たのだ。父親だろうか、血溜まりの上で動かない男性を悲痛な声で必死に呼び起こす、瓏衣とあまり年の変わらない赤い髪が印象的な彼の後ろ姿を。

 だが、医療の知識などない中学生の子供に出来ることなどなくて、なによりあの声を聞いていたくなくてすぐにその場を去った。事故はその日のうちに報道され、トラックの運転手は重傷、歩行者の少年は軽傷、少年を庇った男性は死亡が確認されたと聞いたが、無論その後あの少年がどうなったのかは分からなかった。

 あの光景に思うところがあって少年のことが気になっていたが、まさか再会出来るとは思わなかった。

 しかも拳をまじえるハメになるとは。

 同情するつもりは無いが、きっと無意識にしてしまっているのだろう。だってわかるのだ。彼がなぜここまで暴れているのか。あの拳が、必死になにを振り払っているのか。

 意識か無意識か、今まで彼は一般人には一度も手を出していなかったようだが、近所では危ないだの物騒だのと囁かれていたし、万が一かわいいかわいい幼なじみが危ない目に遭うのも不本意だ。

 そしてなにより、無関係な赤の他人で、ただの自己満足でしかないけど、でも他の誰でもない自分が止めてやらなくてはいけない気がした。

 しばらく殴り殴られすったもんだしたが、結果的には瓏衣の勝利でコトは収まり、その日の夜には柚姫に、翌日には千鶴にケンカについて厳しく叱りつけられた。

 そして数週間後。瓏衣と千鶴が通う中学の、二人がいる教室に現れた赤毛の少年は、唖然とする瓏衣をよそに、黒板に一条寺小太郎という名を書き記し、担任教師から転校生だと紹介されたのだった。

 もしや報復に来たのかとしばらくは怯えたものだが、三人で過ごすのが当たり前となった今ではそれらはいい思い出である。




 翌日。例によって喫茶の端のテーブル席。小太郎との出会い、そして昨日のことを思い耽っていた瓏衣は頭上を仰ぎ見て深呼吸するように息を吐いた。向かいに座る千鶴がどうしたの?と首を傾げたので、なんでもないよと返す。


「じゃあ、小太郎くんと仲直りできたのね。よかったじゃない」


 コーヒーを運んできた春乃がカップをテーブルに置きながら問いかける。


「なぜか皆に怒られたけどな」


 顔や腕にガーゼや小さな傷が目立つ瓏衣は少々不服そうに眉間にシワを寄せ、コーヒーに口をつける。


「それは二人がケンカするからだよ……」

「えと、仲直りしたのよね……?」


 向かいの席でもう、と悪態をつく千鶴の言葉に、春乃は訝しげな表情で瓏衣を見た。

 夢中で小太郎と取っ組み合いをしていたらしまいに千鶴に怒られ、カイナと雪羅にも怒られ、帰宅したら柚姫にも怒られた。というのも、小太郎との取っ組み合いがエスカレートして河におち、全身に痣や傷をつくった挙句ずぶ濡れになって帰宅したせいで、また危ないことに首を突っ込んでいるのではないかと柚姫に勘繰られたのである。

まあ、危ないことに首を突っ込んでいるのは事実なのだが。


「そういえばその小太郎くんは? まだ来てないみたいだけど」

「先行ってろって連絡来たから置いてきた。そのうち来るだろ」


 瓏衣が言い終わるや否や、出入口の扉に下がった鐘鈴ドアベルが音を立て、来客を知らせる。


「いらっしゃい」


 カウンターの中で新聞を読んでいた善修郎が顔を上げ、やはりへにゃんと力の抜けた笑みで迎える。


「やあ、マスター」

「こんにちは!」

「マスター、春乃ちゃん、こんちは」


 ずらずらと入ってきたのはカイナたちだった。入ってきた順番に挨拶をし、それからゆっくりと瓏衣たちのもとへ歩み寄ってくる。


「やあ。早かったな」

「お前らが遅いんだ」


 笑いかけてくるカイナに対し、瓏衣は無愛想に言い放って顔を上げることもなくコーヒーを飲み続ける。


「こんにちは、皆さん」

「いらっしゃいませ」


 千鶴と春乃が礼儀正しく軽く頭を下げると、こんにちはと笑顔で答えるカイナの後ろから、セレンと雪羅がひょこりと顔を出す。


「こんにちは、瓏衣さん、神野さん」

「こんちは、二人とも。春乃ちゃん、コーヒー四つ頼むわ」

「はーい」


 コーヒーを四つ。カイナにセレンに雪羅に、あと一つは誰の分だろう?

 首をかしげていると、その疑問に答えるように四人目の人物が姿を見せた。瓏衣たちが座るテーブルの隣席に腰掛け始めた彼らの後ろに、小太郎がいたのだ。彼もまた、昨日の瓏衣との大乱闘で体中にガーゼや包帯が貼り付いている。

 なるほど、と小太郎を見ながら納得していると、小太郎もまた瓏衣を見やる。


「……よお」

「おう」


 ぶっきらぼうな短い挨拶に、瓏衣も負けず劣らずの短い挨拶を返す。


「小太郎くん、速水さんたちとお話してたの?」

「ああ。もらいに行ってたんだ」


 小太郎が右手を揺らした。その中指にあるものを見て、千鶴が目を丸くする。


「あ!」


 千鶴が思わず声を上げる。コレ、という主語の無いセリフも気になり、瓏衣も顔を上げる。そしてその中指にはシルバーをもとに琥珀に似た橙色の装飾が施された指輪が嵌められているのが見えた。

 瓏衣の双眸がゆっくりと見開かれる。


「あっ!!? お前ソレっ!!」


 勢いよく席を立ち、彼の右手にある指輪を指さす。


「これ以上お前にだけは負けらんねぇ。いつまでも、誰かに守られるなんざまっぴらご免だ。だから、」


 小太郎は、驚きのあまり硬直している瓏衣の目の前に歩み寄る。


「だからこれからは、戦う仲間としてよろしく頼むぜ。瓏衣」


 小太郎の大きな手がわしゃわしゃと瓏衣の頭を撫で回した。手を離して、満足そうに笑う。


「ふ……」


 一方瓏衣はボサボサに乱れた髪をそのままに、顔を伏せてわなわなと震え、


「ふっ───ざけんなあああっ!!!!」


 小太郎に飛びかかり、取っ組み合い第二ラウンドが開始。

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