参-9
「───それでは次のニュースです。夜の繁華街近くで殺人未遂事件が起きました」
翌日。自宅のリビングにて。
ほんの数年前に比べればウソのように薄くなったテレビは世間の多くが待ち望んでいた大型連休の真昼間から暗い話題を報道している。
───全部が全部、堕天使絡みではないんだろうけど……。
この世で起きる悲惨な出来事のすべてが堕天使のせいであったなら、この世は既に彼らに掌握され、破滅の一歩手前ということになるだろう。
手ずから作った昼食の並んだテーブルに座る瓏衣は淹れたてのコーヒーを啜りながら、ニュース番組をぼんやりと眺めていた。
「瓏衣ちゃん、昨日帰ってきてから元気ないけど、何かあったの?」
声をかけられ、テレビに向けていた顔を反射的に正面に戻すと、眉尻を下げ、心配そうにこちらを見る柚姫と目が合う。
今朝の彼女はまだ髪を纏めておらず、美しい金糸の髪が肩口から流れている。
「あ、すいません。……その、小太郎と喧嘩しちゃって……」
喧嘩というか、一方的に怒らせてしまった挙句影堕ちしてしまうという最悪の事態だが。
「あらそうなの! 珍しいわね」
柚姫が目を丸くする。確かに、珍しいかもしれない。中学から知り合った小太郎を混じえた瓏衣たち三人は、いつでも一緒だった。瓏衣が幼なじみである千鶴を大切にして守っていることを瓏衣の言動で悟った小太郎は、いつの頃からか瓏衣を真似るようにして彼女に接していた。
最初は千鶴も元は不良である小太郎をあまりよく思っていなかったようだが、いつの間にか打ち解けていた。くだらない言い合いぐらいなら何度かしたが、それも翌日や遅くても三日後には忘れて、あるいは水に流して、三人でおもしろおかしく楽しく過ごしてきた記憶しかない。
「あはは……。それで口聞いてくれなくて、メッセージも返してくれないし」
今朝も、目覚めてすぐに携帯を見たが小太郎からの連絡はなく、風間からの連絡も入っていなかった。
「大丈夫よ」
「え?」
「一度は仲良くなれたんだもの。きっと仲直りできるわ。だから諦めちゃダメよ?」
ね?とウインクをする柚姫。
……そうか。そうだ。この五年間三人でずっと一緒に過ごしてきたのだ。それはこれからもきっと変わらない。絶対にあのバカを一発殴って正気に戻してみせるんだ。
「はい!」
「よし、この辺りで一度休憩だ」
「やったー……!」
カイナの言葉を合図に、瓏衣は竹刀を握ったままいつもの公園の芝生に倒れ込んだ。疲弊しきった顔には大粒の汗が滴っている。
けれど、そろそろ豆だらけで痛むであろうその手から竹刀を手放さず、疲れたと言うことはあっても止めたい、辛いという弱音だけは吐かない瓏衣に微笑んで、カイナは隣に腰を降ろした。
「私はまだ時間があるが、続けるか?」
「やる! もうちょっと付き合ってくれ!」
弾かれたように飛び起きて頷く。その表情は真剣そのものだった。
「やけにやる気だな。とはいえ、体に無理強いをすると返って体を壊す。今はしっかり休め」
「へーい……」
再び仰向けでどさりと芝生に倒れ込み、目を閉じた。背中に降る日差しが暖かく心地よくて、このままじっとしていたら寝入ってしまうかもしれない。
瓏衣は芝生に寝そべったまま近くに放っていたボディーバッグを引き寄せて中をゴソゴソと探ると、携帯を取り出してスリープを解く。
風間からの連絡は無く、ロック画面に表示された時計は午後十五時前を示している。修行を始めてもう二時間近くも経過していたらしい。そしてその下になにか連絡はあったかという千鶴からのメッセージが表示されているのみだ。小さくため息をついて、携帯を再びバッグに突っ込んだ。
ため息が聞こえたか、それとも携帯を触る動作で察しがついたか、カイナが口を開く。
「彼はまだ見つかっていないか……」
「そうみたいだ……。一番近くにある大切なものさえ満足に守れないなんて、悔しいな……」
自身の手を見つめて、瓏衣は呟く。竹刀を日常的に握り慣れていなかった瓏衣の手には、修行初日を終えた時点で既に両手に豆が出来ていた。
だがそれしきで音を上げるほど、瓏衣の中にある覚悟は軽いものではないが。
「君は守ることに固執している節があるようだが、なぜだ?」
何か印象深い、あるいは強烈なきっかけでもない限りまだ年端もいかない子供が家族や友人を命にかえても守るなんて、そうそう思う事じゃないはずだ。
すると、瓏衣は自身の手から目線を外し、重ねた両腕の上に顎を乗せて、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「……オレの父さんと母さん、オレが小さい時に亡くなったんだ」
何があったのかは、瓏衣にも分からなかったが、家に押し入った強盗に殺されたのだろうというのが警察の見解らしく、しかし情報や痕跡の少なさから犯人は未だ捕まっていない。
あの日の夜、強盗の侵入に気づいた両親は瓏衣を寝室のクローゼットに押し込んだ。自分たちが呼ぶまで、出てきてはいけないよ、と言い残して。
まだ小さい子供は、両親の表情に滲んだ緊迫感に気づかない。元気よく頷いて、クローゼットの奥で小さくなって座っていた。かくれんぼのようだと一人笑いながら、両親の声を待った。待ち続けた。
しかし、子供とはそう我慢強くないものだ。静かになって、すぐにつまらなくなってしまった瓏衣は自らクローゼットを出て、両親がいるはずのリビングに向かった。
しかし、開いた扉の向こうには、
「……そのうち、近所の人が異変に気づいて、警察が駆けつけて、そして柚姫さんが来てくれた」
当時は子供だったし、突然両親と死別したことにショックを受けるばかりだったが、やがて柚姫に引き取られ、千鶴や小太郎という友人ができ、さらに堕天使や
彼女たちを、彼女たちと笑い合いながら過ごすこの日々を、この幸せを二度と失くすものかと。そして、あの時の自分と同じ思いを他の誰にもさせたくないと。
「十五年経っても犯人が捕まってないのは腹立たしいけど、ひょっとしたらあの事件も堕天使に唆されて影堕ちした誰かによるものなんだとしたら、オレはやつらと間接的な因縁がある。放置はできないし、堕天使を許せない。だからオレは戦う」
語る瓏衣の表情に曇りはないが、それでもカイナは安易に問いかけたことを悔いた。けれど上手い言葉も見つからず、ただ瓏衣の頭をそっと撫でる。
「無理はするなよ」
「ああ、ありがとう。じゃあ、今度はカイナは番な!」
笑って頷いたかと思えば、瓏衣は急に体を起こし、蓙をかいて座り込む。今度はこちらの番、とは。カイナはキョトンとしながら首を傾げる。
「カイナはなんで戦ってるんだ?」
ああ、なるほど。意味を理解したカイナはほんの半年ほど前の記憶を思い出す。この戦いに身を投じる、そのきっかけになった一つの出来事。
そう。あのとき、こちらに向けて伸ばされたあの小さな手を、自分は───。
「ある意味で、理由はお前と似たようなものだな」
それだけ言って、カイナは逃げるように芝生から腰を上げた。
瓏衣はその言葉の真意を測りかねるが、あまりいいきっかけでなかったということだけは、理解できた。
「カイナ」
立ち上がった瓏衣の呼びかけに、カイナは振り返る。
「今度こそ、オレたちの大切なもの、守り通してみせような」
瓏衣の笑った顔を見て、脳裏に誰かが過ぎった気がしたけれど、カイナは気づかないフリをして、笑顔を返した。
「ああ」
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