参-6



 最後に目一杯体を動かしたのはいつだっただろうか。

 そう考えてしまうほど、久しぶりに文字通り派手に暴れまわった気がする。


「疲れた……。腹減った……。本当に死ぬかと思った……」


 昼に詰め込んだ昼食も、体力も気力も消耗しよれよれになって、だらりと上体を前に垂れ下げながら最後尾を歩く瓏衣は服も体も土埃や砂埃にまみれボロボロである。叩いて払い落としたのだが、落ちなかった。

 さながら部活帰りの少年である。

 千鶴が用意した弁当をたいらげたあと、午後は予定通り雪羅に稽古をつけてもらい、少しの休憩を挟んだのちに今度はカイナと雪羅の両方を相手に──半ば無理矢理──練習試合を繰り広げたのだが、結果はまあ、瓏衣と二人を見比べれば一目瞭然である。


「今日は負影シェイドもでーへんかったし、ずうっとこんな感じやったらええのになぁ……」


 帰路につき、カイナと並んで先頭を歩く雪羅が頭の後ろで手を組み、オレンジに染まる空を仰ぎみる。

 ふと、耳にかすかな音が届いて、セレンは呼び止められたように不意に足を止めた。


「どした?」


 気づいた瓏衣も足を止め、振り返ると、前を歩いていたカイナと雪羅も立ち止まった。

 セレンは不思議そうな顔のまま、何かを探すようにあちらこちらを見回しながら言う。


「いえ…、なにか音が聞こえたような気がして…」

「音…?」


 その場にいた全員が口を閉ざし、耳を澄ませる。

 周囲に人影は見えず、車の通りも無い。頭上は日が傾き、透き通った青色は灯のような淡く温かい橙色に染まりつつある。

 そこに満ちた静けさの中に滑り込むように、遠くから確かに何かの音が聞こえた。それが、徐々に徐々に大きくなる。近づいてきているようだ。

 ブルルブルルと連続で空気を吐き出しながら振動するような音。


「車の音…?」


 千鶴が首をかしげるが、瓏衣が首を振る。


「いや、バイクだ」


 言い終わる前に、その音の正体が瓏衣たちの前に姿を現した。

 街中でよく見かける暴走族のようなバイクに跨った男たちが十数人。そのうちの何人かは瓏衣たちの後ろへ回り、退路を断つように挟み撃ちにする。

 威嚇のつもりか、男たちはエンジンを吹かせたまま止まり、比較的先頭にいた鈍い金髪の男がバイクから降りてくる。

 百七十そこそこほどの背丈に、細身の体はスカジャンとスキニーパンツをはいて、何を気取っているのか知らないが黒いサングラスをかけている。


「よお。やーっと見つけたぜぇ?」


 ひっひっひ、と周りから一斉に下卑た笑い声が湧き上がる。

 怯える千鶴が瓏衣に身を寄せ、ぎゅっと裾を握り締める。


「えらくガラの悪い連中のようだが……」

「なんやこいつら……」


 カイナと雪羅も警戒し、千鶴とセレンを背に隠しながら瓏衣と背中合わせになる。瓏衣はダルそうにジャージの上着に手を突っ込んだまま、目の前に立つ金髪のサングラスの男を見やる。

 男は不意にニヤついた笑みを正し、そして───。


「ご無沙汰っス! 瓏衣の旦那! 千鶴お嬢!」


 勢いよく体を折り曲げ、瓏衣に頭を下げる。


『ご無沙汰っス!』


 すると、周りの男たちも一斉に頭を下げた。想像の斜め上をいく異様な光景に、カイナたちは唖然である。


「お前ら……、大人数でバイク乗り回して会いに来るなって言ったろうが……。来るなら一人だけにしてくれ。世間体が悪い……」

「すんません! 旦那やお嬢の連絡先を聞いてなくて、総出でお二人を探してたっス!」

「る、瓏衣……? このぎょーさんおるのはいったい……」


 雪羅が恐る恐る問いかけると、瓏衣は不愉快そうな表情で頭を押さえて答える。


「小太郎の舎弟たちだ。アイツ、オレたちと会う前まではこの辺りでブイブイいわせてたゴリゴリのヤンキーなんだよ……」


 と答えて、ため息を一つ。


「そちらの御三方は初めましてっスね! アニキや旦那たちが世話になってるっス!俺らは小太郎のアニキの手となり足となり一生ついて行くと誓った優秀な部下でぐぇっ!?」

「風間、お前らの説明はいらん。用件だけを話せ」


 風間と呼ばれたサングラスの男は瓏衣にスリーパーホールドを決められ言葉を遮られた。

「ちょっ! 旦那! ギブっス! じ、実は昨日からアニキと連絡がつかなくて……!」


 ぴくり。瓏衣が反応し手を離すと、風間は涙目で咳き込む。


「連絡がつかねぇだぁ……?」

「ゲホッ! そ、そうなんスよ……! それで、旦那たちならなにか知ってるんじゃないかと思って……」

 それで瓏衣たちを探し回り、こうして会いに来た、ということらしい。仲間に介抱されながら未だ咳き込む風間を無視し、瓏衣は腕を組み考える。


「瓏衣くん……」


 同じことを考えたのか、千鶴が不安そうに瓏衣を見る。こちらだけでなく舎弟たちとも連絡が繋がらないとなると、まさか……。

 とそのとき、示し合わせたように、その場に二つの音が同時に鳴り響いた。


「もしもし!?」

「あだっ!?」


 風間が着信を知らせる電話に急いで応じる一方で、ゴツン、瓏衣の側頭部に鈍い音を立ててぶつかったそれは、反動でセレンのもとへ落ちてくる。


「わわっ!」


 なんとか両手でキャッチしたそれは、セレンが携帯している堕天使や負影シェイドの気配を感知することが出来るという卵型のおもちゃのような装置だ。


「セレン」


 勘づいたカイナの表情に緊張が走る。


「はい! 負影シェイドが現れました!」

「セレン、お前わざとやってんじゃねぇだろうな……!?」


 報せてくれるのはいいが、前回といい今回といい、狙いすましたように装置は瓏衣の頭目がけて飛んでくる。偶然であるにしたってそこそこ痛いので、悪い方向に考えずにはいられない。


「め、めめめめ滅相もないですっ!!!」


 慌ててセレンはぶんぶんと首を振るが、頭を押さえながらこちらを睨む瓏衣の目に、セレンは震え上がった。

 そこで、かなり慌てた様子の風間が瓏衣を呼ぶ。


「だ、旦那! アニキが見つかったっス!」


 すぐにセレンから目を離し、風間に言い放つ。


「案内しろ!」





 セレンの持っている装置が鳴り出したのと、風間の携帯に着信が入ったのが同時だったときから、瓏衣のなかには一抹の不安があった。

 どうかそうならないでくれと必死に祈っていたが、どうやら聞き届けてはもらえなかったようだ。


「この辺りだって言ってたんスけど……!」


 大きく首を回して辺りを見回す風間の黒っぽい金髪が揺れる。大勢で、しかもバイクではなにかと不便だ。そこで連絡を受けた風間だけを連れ、あとの舎弟たちには待機を言い渡してきた。

 駅前の大通りから一本路地を潜り、寂れ荒れ果てたような雰囲気が漂う入り組んだ裏通りに着いた瓏衣たちは辺りに目を凝らす。


負影シェイドの気配も近いです!」

「小太郎くん、どこにいるの……?」


 セレンの忠告に、千鶴もまた、脳裏に最悪な想像がうかんだのか、不安そうに胸を押さえている。

 と、そのとき。

 近くでガシャンと音がした。弾かれたように瓏衣と千鶴が走り出して、カイナたちが後を追う。

 裏通りを抜けた先。フェンスで区切られた隣には電車が走る線路が続く、車両は進入禁止の小道。そこに、彼はいた。

 しかし、


「こた、ろ……?」


 目を疑うような光景に瓏衣は目を丸くし、その隣で千鶴がひっ、と悲鳴を漏らした口を押さえた。

 こちらに背を向けて立っている小太郎の足元には六人ほどの男が転がっている。不良だろうか。それらの服装は制服だがどれも気崩され、耳や首、腕などに豪奢と言うよりはただ下品で悪趣味な装飾品がぶら下がっている。

 また、全員が酷く強く痛めつけられたのか顔や腕に腫れや青あざをのせ、頭や口から大量の血を吐き、死んだようにぴくりとも動かない。

 殺気に似た鋭い雰囲気を漂わせる彼がこんな光景を作り出したなんて信じ難くて、その場に立ち尽くしたまま動けない瓏衣と千鶴の後ろに風間とカイナたちが追いついて、雪羅が素早く携帯を取り出し、救急車を呼ぶ。


「アニキ!」


 瓏衣の隣で風間がたまらず彼を呼んだ。

 その声を聞いた小太郎が、ゆっくりとこちらを向く。しかしその目は、纏う雰囲気は、氷柱のように冷たく、鋭い。まるで、見ず知らずの人間を見るような目。

 その姿は、昨日までの彼とはまったくの別人に見えた。


「どうして……。なんで、こんな……!」


 これでは……、あの頃と同じだ……!

 瓏衣が詰めよろうと踏み出しかけて、止まる。

目に映る彼の、その背後にゆらゆらと立ち上るモヤのような黒い影を見たからだ。

 それが何なのか、瓏衣たちに分からないはずがない。


「な、んで……!」


 声が震える。言葉が出ない。

 なぜ、なぜ彼に負影シェイドが……!


「ひ……、ひぃ……!」


 まだかろうじて意識があったようだ。フェンスにもたれかかって倒れていた男が小太郎の気が逸れた瞬間を狙い、逃げようと動いた。しかし声をあげたせいか、動いた拍子にフェンスがいたずらに音を立てたせいか、小太郎が気づいた。

 這って逃げる不良の首根っこを小太郎が掴むと、放り投げるように思い切りフェンスに叩きつけた。


「があっ!!」


 編まれた細い金網は不良を受け止めたが、それでも力任せに叩きつけられれば痛い。痛みに顔を顰めて動かない不良の胸ぐらを掴み引きあげると、小太郎は徐ろに拳を構える。

 為す術なく、やめてくれ、許してくれと恐怖に震え懇願する不良。

 こんな虐殺みたいなことを、まだ続ける気か……!


「よせ小太郎!」

「アニキっ!!」


 瓏衣と風間の制止も聞かず、小太郎の拳が繰り出される。それに間に合わなくても、命だけは助けなければと、駆け出す瓏衣。しかしその足はすぐに止まった。

 突如不自然に小太郎の動きが止まったのである。


「ぐっ! ……う、……うぅ……!」


 胸の辺りを右手で押さえ、なにかに耐えるように苦悶の表情を浮かべた小太郎はよろよろと二、三歩後ろへ下がり、頽れるようにその場に膝をつく。


「小太郎!?」


 様子がおかしい彼に今度こそ駆け寄ろうとするが、遠くから響くサイレンの音がそれを止める。


「サツ!?」


 風間がサイレンのする方へと首を回す。騒ぎを聞きつけた民間人による通報だろうか。さらに、そこに雪羅が手配した救急車のサイレンも加わる。


「あ、瓏衣くん! 小太郎くんが……!」


 瓏衣を呼ぶ千鶴の声に、フェンスの揺れる音が被さる。

 正面に目線を戻すと、彼は既にフェンスを登り終えて飛び降りるところだった。


「おい待て!」


 彼が着地すると、上から降ってきた突然の重みに線路の周りに敷き詰められた小石たちが音を立てる。

 呼び止める瓏衣の声など聞こえていないかのように、小太郎は未だ胸を押さえながらも線路を跨いで反対側へと一心に走り去っていった。


「待て小太郎! 話を……!」


 追いかけようとする瓏衣の体は意思に反して前に進まない。振り返ると、カイナに腕を掴まれていた。


「ここにいては事情聴取に付き合わされる。一旦戻るぞ」

「でも小太郎が!」


 彼の後ろでは既に先に雪羅がセレンを連れてこの場を離脱している。風間も瓏衣と同じ思いのようで追いかけたくてたまらない歯がゆい表情であったが、悔しそうに歯を食いしばると、雪羅たちのあとを追う。


「瓏衣くん早く!」


 反対側の腕を千鶴に掴まれ、二人に引きずられながらも瓏衣は首を後ろに回し小太郎が去っていったフェンスの向こうに目を向けたままだった。


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