参-5
「ぃよーし。ほないくでぇ!」
例によって森林公園。その隅っこ。
雪羅の声と、緩慢な動作で動いた彼の腕を合図に、彼の武器である白札が一枚、自在に宙を舞う。
それを見据えるのは険しい表情で風断ちを握るジャージ姿の瓏衣だ。白札が右へ動けば、瓏衣は追って右を向き、白札が左に動けば左を向く。
惑わすように、戯れるように動くその様は、まるでそれ自体が意思ある生き物であると錯覚させられるようであった。
視線が縫い付けられたように、瓏衣はそれを険しい表情のまま凝視し続ける。
ちぃと気負い過ぎなんちゃう?と雪羅が言うとそれだけあの子の決意が本物だということだ、とカイナが返す。
朝からついさきほどまで剣の扱いの手解きをしていたカイナは今は雪羅の隣で瓏衣の動きを見ていた。そしてその反対側の雪羅の右隣には同じく瓏衣を見守るセレンがいる。
すると、白札が不意に動く。
「そこだっ!」
瓏衣が動き、風断ちが閃く。
その刃は確かに白札を斬り裂いていた。二つに裂かれ、木の葉のようにひらひらと落ちていく。
ほう。とカイナが感心したように笑い、セレンがすごい!と感嘆の声を上げる。
「お! やるやんか! ほな、次は一気にいくで!」
感化されて火がついたか、雪羅の声が弾み、今度は白札が三枚が飛び出し瓏衣を囲う。
すぐに構え直し、瓏衣は白札の動きを見る。白札は言葉こそ無いがかごめかごめのように瓏衣を中心にゆっくりと回る。
そして、今度は瓏衣と白札がほぼ同時に動いた。
順に、スムーズに三枚の白札を斬り伏せる。
「まだ力にも使い方にも慣れてへんやろうにちゃあんと全部斬れとるやんか! 大したもんやで瓏衣!」
「ちゃんと刀も振れているし、最初に比べればブレが小さくなっている」
「最初の頃のお二人よりも早く力が馴染んでいるようですし、並の
思わず拍手をしながら雪羅たちが褒めるが、瓏衣は浮かない顔をして紙切れになった白札の残骸を見下ろす。
「いや、ダメだ。ちゃんと斬れてないし、オレは全部真ん中を狙ったはずだった。でも結果は、」
えらく落ち込んだように言う瓏衣に首を傾げながらも下を向いて、三人は瓏衣の言葉の意味を理解する。
地面の上に落ちた白札たちはよく見れば最後まで斬りきれずに端が繋がっていて、ちゃんと斬り裂かれて二枚になっているものもあるが、斬り口が真ん中より大幅にズレている。
セレンに言わせればまだ片手で数え切れる回数しか力を発動させていないのにちゃんと的に刃が当たっているだけ褒められたものだと思うのだが、狙った通りに斬れていないために瓏衣はこれが本物の
生真面目というか、向上心が強いというか、細かいというか……。
「ま、まあまあ、そのための修行なんやから今落ち込んだってしゃーないて。いつでも付き合ったるから、これから頑張っていこーな」
「己を驕らないその姿勢を忘れなければ大丈夫だ」
思いのほか肩を落としている様子なので雪羅たちは瓏衣に歩み寄り励ます。
すると、瓏衣は顔を上げて真剣な顔で大きく頷いた。
「……よし雪羅、もう一回頼む!」
「あ、いたいた! 瓏衣くん! みなさん!」
華奢な体躯が駆けてくる。千鶴だ。
「いらっしゃい千鶴ちゃん。よう来たねぇ。今日はどしたん?」
「こんにちは皆さん。瓏衣くんがまた朝から修行すると聞いていたので、差し入れにお弁当届けに来ました。いっぱい作ってきたので、よかったらみなさんもどうぞ!」
肩にかけたトートバッグを差し出して示すと、そういえばと雪羅は携帯を取り出し、カイナは腕時計を見て現在の時刻を確認する。
「おっと、もう昼回っとるやんか」
「ちょうどいい。休憩にしよう」
「よっしゃあああ」
勢い余って、瓏衣は飛び跳ねながら拳を空に向かって突き上げた。
千鶴が料理を作ることがとても好きで、また得意であることを付き合いの長い瓏衣は知っている。三段にもなる重箱のような弁当箱にはオーソドックスな黄金に輝く鶏の唐揚げやエビフライ、こんがり焼かれた野菜のベーコン巻きに形の良い卵焼き、きつね色の皮の焼き目が食欲をそそる焼き魚から彩り良く詰められたブロッコリーやミニトマト、アスパラを始めとする体に良い副菜まで、バランスよくおかずが並んでいる。
さらにその隣に置かれた竹かごの弁当箱の中には様々な具が挟まれたサンドイッチとおにぎりが所狭しと詰め込まれている。
それらが並べられ、瓏衣たちが腰を下ろしているレジャーシートもまた、千鶴が周到に持参したものである。
「それにしても、八時ぐらいから開始したのにもー昼か。午前中はほとんどカイナの指導だけで終わってもうたなぁ……。ん! この卵焼きめっちゃ美味いで千鶴ちゃん!!」
「ありがとうございます。お口に合ってよかったです」
五人で弁当を囲み、セレンも食べてみぃ!と雪羅が隣に座るセレンに促すと、じゃあいただきます、と箸をむける。丁寧に左手を下に添えてこぼさないように気をつけながら口に運ぶと、ほへもおいひいでふ!とセレンの顔も綻んだ。
「すまない。瓏衣があまりにも真剣に食いついてきてくれるものだから、つい力が入ってしまった。……む、この唐揚げも美味いな」
「力入れすぎや」
「ちょっと死ぬかと思った」
「あはは……」
なぜか嬉しそうな顔をしているカイナに雪羅が呆れ顔でウィンナーを口に放り込むと、サンドイッチを齧る瓏衣がジト目で隣に居るカイナを見やり、セレンが苦笑をこぼしながらおにぎりを手に取った。海苔が巻かれた三角のそれは一口食べてみると具材は入っていないようだが、このシンプルな塩味がなんとも美味だ。
「そういや千鶴、コタはどうした?」
エビフライを口に突っ込んで千鶴を見ると、彼女は途端に顔を伏せて、ひどく落ちた声で言う。
「それが……、連絡したんだけど全然返事が返って来ないの……」
昨日の夜に一度、今朝にもう二、三度連絡を入れてみたのだが、折り返しの連絡も、メッセージを見た様子もないため仕方なくとりあえず一人で来たという。
「昨日オレと別れたあとケンカでもしたのか?」
瓏衣はエビフライを飲み込んで、次はおにぎりに手を伸ばす。千鶴は首を振った。
「ケンカなんてしないよ。ただ、瓏衣くんが先に帰っちゃったときの小太郎くん、ちょっと様子がおかしかった……」
酷く落ち込んでいたような、酷く怒っていたような。
それに、
───あのとき見えた、あの黒い影は、なんだったんだろう……。
昨日、俯く彼を包むように覆い被さっていた、あの黒い影は。
「オレの方にも、連絡は無いな……」
起動した携帯から、瓏衣も短いがメッセージを送っておいた。子供じゃあるまいし、彼にも一人になりたい時や用事がある時だってあるだろう。
何かあったのではと考えるには少し早計だ。喧嘩や怒らせた節は思い当たらないし、放っておけば夕方にでも返事が来るだろう。
……たぶん。
「三人はえらい仲ええみたいやけど、付き合い長いん?」
「ああ。千鶴とオレは幼稚園から一緒で、小太郎は中学からの付き合いだ。何年になるかな……」
携帯をしまい顔を上げた瓏衣は、右手で二人との付き合いの年数を指折り数え始める。
カイナたちのときもそうだったが、思えば小太郎との邂逅もまた、瓏衣の中では特に印象深いものであったが……。
「……とりあえず、今日と明日は様子を見るか。
「任しときぃ。ビシバシしごいたるから、ぎょーさん食べて体力つけときや」
「望むところだ!」
意気込む瓏衣は手当り次第におかずをかきこみ、塩むすびを頬張る。隣で千鶴が嬉しそうに、微笑ましげに笑っていた。
「最後の仕上げには、実際に力を発動して私と雪羅の相手を同時にしてもらうからな」
「んぐ……!? げほげほっ!!」
エビフライを咀嚼するカイナが涼しい顔でそう言うと、瓏衣は途端に苦しげに咳き込みだす。勢いよく食べていたところに彼の一言に驚いて喉に詰めたのだろう。
「る、瓏衣くん大丈夫!? お茶あるから!」
大きなトートバッグからペットボトルを取り出し、蓋を開けて手渡すと、瓏衣はお茶を一気に煽りぐびぐびと飲み下す。
「……あ、ありがとう千鶴……」
苦しげな表情ながらも礼を言う瓏衣の目尻は若干湿っていた。
素知らぬ顔で昼食を続けるカイナを、雪羅は目だけを滑らせてジトリと一瞥する。
「スパルタやねぇ……」
セレンの口からは苦笑以外のコメントが出なかった。
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