参-3
「ひええええっ!!」
叫び声を上げるセレンは文字通り頭を抱えながら、硬いアスファルトに飛び込むようにして屈む。間一髪。頭上スレスレを、黒く大きなものが過ぎていった。
暮れなずむ夕方。通りから外れた人気のない路地の奥。
また堕天使が現れたことがわかり、急ぎ瓏衣やカイナたちに連絡を取ると幸いすぐに向かうと承諾してくれた。先に現場に向かうと、そこには予想通り影堕ちしている中年ほどの男と
しかし彼らをねじ伏せる力を、
そんなこちらの事情などお構い無しに、
「ふえええええっ!!?」
体を起こして首を回すと、すでに
その場で再び頭を抱え、かたく目を閉じかけたところで、
「我が手、我が刃───!」
こちらに駆けてくる姿を横目に捉え、聞こえたその声にセレンは顔を上げる。
「瓏衣さん!!」
「我が威を以て断ち斬らん───!!」
セレンの声に答えるように一際大きな声で叫んだ瓏衣はアスファルトを蹴って飛び上がる。
そして翳したその手に現れた刀を力強く握り、セレンに向かって伸ばされる黒い腕目掛けて振り下ろした。
「グオォオッ!!」
痛みに怯み、
一方瓏衣は振り下ろした刀の勢いに逆に引っ張られ、アスファルトの上を転がった。
「瓏衣さん! 大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄るも、セレンが砂埃に汚れた肩に触れる前に瓏衣は勢いよく顔を上げ、
斬りつけたその黒い腕に致命的な傷は負わせられていない。
「くっそ……!」
刀を振ったつもりが振り回されて手元がぶれ、狙いを外したのだ。思わず悪態をつきながら立ち上がり、肩に下げていた鞄を脱ぎ捨てるようにしてセレンに叩きつける。
「ちょっと持ってろ!」
「だわっ!? ちょっ! 瓏衣さん!」
反射的に受け止めながら呼び止めるセレンの声を振り切って、瓏衣は刀を握り直して
守ると決めたのだ。必ず、強くなると。
───負けるもんか!
地を蹴る。すると、また体が前へ強く引っ張られるような、脳が直接揺さぶられたような感覚がした。気がつけば体は宙に在って、目の前には人体を模した
急ぎ、迷わず放った一刀が
一度真下に着地し、目眩を覚える頭を押さえた。
「瓏衣さん!」
叩きつけられた鞄を生真面目に大事そうに抱えたまま叫ぶセレンの声に瓏衣は顔を上げる。今度は影堕ちした男がナイフを手に迫ってきていた。
左手を翳して鞘を出し、刃を収めながら足に力を入れ直して立ち上がる。
「ったく……!」
「ウおぉオオッ!!」
男の濁った雄叫びに合わせてナイフが降ってくる。
「どいつもこいつも、ほいほいナイフ持ってんじゃねぇってんだ、───よっ!!!」
鞘に収めたまま刀を構え、鞘の先でナイフを握る男の手首を狙うべく、下から斬りあげるように振り上げた。
成功。男の手からナイフが飛ぶ。サングラスとマスクで表情は見えないが、怯んだように肩が揺れたのを見た。
そのまま鳩尾を蹴り飛ばしてやる。数メートル後ろまで吹っ飛んだが、ゾンビのようによろよろと立ち上がったので意識まではまだ飛んでいないらしい。
瓏衣は左手に持った刀を腰にくっ付けて右足を前に出し、右手は柄の前に構える。一般によく目にする居合いの構えだ。
「グァアアッ!」
禍々しく尖った手を振りかざして、
瓏衣の後ろで見守るセレンが彼の鞄をぎゅうと抱きしめる。
とそのとき、突然木枯らしのような白い風が唸り声をあげながら巻き上がり、
モヤでできたような
「これって……」
「グゥ、……ウウゥウ……!」
氷漬けになった
それの根源たる男もなにか苦しげに胸を押さえ俯いている。
「今や瓏衣! 決めたれ!」
未だ姿は見えないが、独特の訛りが瓏衣を呼ぶ。
我に返り、柄を握りながら構え直した。
「風断ち!」
応えるように、刀から青く眩い光が瞬く。
「くらえッ!!」
一気に鞘から刀身を引き抜き一閃。
青い光をまとった剣撃波が弧を描いて放たれ、氷漬けの
「グァア゙ア゙アァアッ───!!!!」
濁った音にも似た悲鳴がこだまするように響いて、
影堕ちしていた男はその場にばたりと倒れ込む。
辺りは静寂に包まれ、無音が鼓膜を突くことで全てが終わったことを確認するまで、瓏衣は刀を仕舞わなかった。
ふう、と肩の力を抜き、刀身を鞘に収めると青い刀は眩い光を散らしながら消えていき、やがて瓏衣の手のひらには元のペンダントだけが残った。空の夕焼けを反射し、やや橙色に光る。
「瓏衣さん! お疲れ様でした!」
嬉しそうに駆け寄ってくるセレンに返事を返して倒れた男に目をやると、そこにはやはり雪羅がいた。男の首元に手を添え、脈をみているようだ。
歩み寄ると、気づいた雪羅が顔を上げる。
「よう頑張ったね。このおっちゃんも無事やから、安心しぃや」
「そうか。手を貸してくれてありがとう、雪羅」
「ちっと手ぇ出しただけで、早速
にこっと笑った雪羅が、ところで、と話を改める。
瓏衣はセレンから鞄を引き取りながら首を傾げた。
「あの二人はおらへんの? いつも一緒におるみたいやさかい、いつやって付いてくるもんやと思っとったけど」
「先に帰したよ。わざわざ
鞄を肩に掛け直しながら答えた。
とそこで、瓏衣は倒れている男の手元に転がる黒いボストンバッグに気づく。
「なんだこれ?」
鞄の傍にしゃがみこみ、引き寄せる。持ち上げることは出来るがイヤに重量感がある。
サングラスとマスクで顔を覆うような不審者が持っている鞄なんて大概ひったくりか盗んできたか何かだ。もしくは犯罪を犯すために準備した小道具でも詰まっているか。どのみちロクなものではないが、にしてもこの重さの説明になる理由は今のところ思いつかない。
ともかく中身を改めようと、瓏衣は訝しげな顔をしながらも躊躇なく鞄のファスナーを開いた。
そして、
「ぎゃあああっ!?」
ドン引き。飛び退る勢いで離れた。
後ろで見ていた雪羅とセレンには中身が見えず、揃って首を捻る。
「どうしたんです?」
「なんかヤバイもんでも入っとったんか?」
すると、瓏衣は目を疑うといわんばかりの面持ちのまま鞄を引き寄せて近くに来た二人にも見えるように鞄の口を開いた。
見えたのは、何枚もの長方形の紙と、その上に散らばる小銭たち。
つまり、
「これ……、お金、ですよね……?」
「そう、みたいやな……」
二人の顔が顰められる。
大量の千円札から五千円札、一万円札の紙幣と、一円から五百円までの貨幣が、その鞄に入っていた。
こんな鞄に乱雑に大量の金を詰めて持ち運び、使う人間などいないだろう。
「瓏衣! 雪羅! セレン!」
とそこに、一人の歳若い青年が路地の向こうから三人のもとへ駆け寄ってくる。トートバッグのようなショルダーバッグを肩にかけ、Vネックのシャツにジャケットとパンツの装いのその青年の髪は雪のような白髪であった。
「遅くなってすまない。三人とも怪我は無いか?
そばで足を止め、心配そうに問いかけてくるその青年はやはりカイナだった。
「ニューフェイスが大活躍やったから、みーんな丸く収まったで」
大丈夫だと後押しするようなウインクに、カイナは安堵しながら頷いたあと、瓏衣に顔を向ける。
「それはなによりだ。ところで瓏衣、その鞄には大量の金銭が入っていないか?」
「大量すぎて驚いてるとこなんだけど、なんで知ってんだ?」
未だ訝しげな表情のまま問い返すと、彼はなんてことないふうに答える。
「実は、この近くのコンビニに強盗が入ったらしいんだ。警察や店員がこの男と男が盗んでいった売上金を探している」
道理で、男はサングラスにマスクと不審者丸出しのまったく顔がわからない服装に、こんな大量の金を持っていたわけだ。
謎が解明され、瓏衣の眉間からシワが消え、セレンが顔を明るくする。
「なら、この人とお金をその警察さんと店員さんたちに渡せば、丸く収まりますね!」
「そーゆーこっちゃな。ほな行こか」
雪羅が男を肩を貸すようにして担ぎあげ、瓏衣に鞄を運ぶように言おうとしたところで遮るように瓏衣が声をあげる。
「あ! 悪い! オレ今日夕食作る当番なんだ! あとよろしく!」
言い終わらないうちに、瓏衣は現金が入ったボストンバッグを足元に置いて脱兎のごとく逃げるように走り去っていった。
取り残された雪羅たちは無言でその背を見送る。
「忙しない子やね……。ほなどっちか、鞄頼むで」
よっこいしょ、と雪羅が男を担ぎ直す横で、セレンがバッグに手を伸ばす。
「僕が持ちます! って重たっ!?」
鞄一杯、とまではいかないが、そこそこ現金が詰め込まれたバックは予想以上に重い。セレンの腕力では持ち上げるぐらいしかできなかった。
「では私が持とう」
「すみません。お願いします……」
自分では運べないと悟ったのだろう。見兼ねたカイナが手を差し出すと、セレンは渋々申し訳なさそうにボストンバッグを差し出した。
「ん。では戻ろうか。近くに警察官がいるはずだ」
「ほいほい」
だんだんと日が沈み、薄暗くなっていく空の下を雪羅とカイナが歩きだし、その後ろをセレンがついて歩く。
「そういえばカイナさん、今朝から瓏衣さんに指導を始められたんですよね? 瓏衣さんは少し荒事に慣れていらっしゃるみたいですけど、どうでしたか?」
「ああ。だがそれでも人より少しケンカが強い程度だ。基礎は身に染みているがその応用をまったく知らない、というところか。人間相手と
どことなく楽しそうに、嬉しそうに言うカイナに、雪羅は口を引き攣らせて苦笑する。
「カイナはわりとドSやからなぁ……。瓏衣も厄介なんに弟子入りしてもうたねぇ……」
自覚が無いのだろう。そう言われる要因が思い当たらず、そうか?とカイナは不思議そうに首を傾げ、そしてやはり機嫌よく口端を上げた。
「心外だ、な……」
言葉を不自然に終えて、カイナが足を止めながら後ろを振り向く。
「カイナさん?」
「なんや、どないしたん?」
雪羅とセレンが気づいて立ち止まる。カイナはまだ不思議そうに住宅街を見渡している。
「いや、視線を感じた気がしたのだが……」
だが、視界には夕陽に染まる家々や物言わぬ塀が立ち並ぶのみで、人の姿は見受けられない。気のせいか。
「すまない。なんでもないんだ。行こうか」
敵意は感じられなかったし、まあ、いいか……。
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