参-2
帰宅。
シャワーで汗を流し、朝食をたいらげ、身支度を済ませて再び家を出る。
いつもの遊歩道をとぼとぼと歩きながら、大きなあくびをしていると、
「るーいくんっ!」
「どふっ!?」
呼びかけと共に背中になにかが飛びかかる。
不意を突かれたものの、踏ん張りが間に合い、大きく前につんのめる程度で済んだ。体勢を戻しながら振り返る。
「ちぃ、おふぁ…、おろろろ…」
おはようと続くはずが、あくびにかき消され言葉にならない。とそこに、またも後ろからあきれたような声が一つ。
「挨拶するか吐くかはっきりしろ」
後ろから歩いてきた小太郎がジーンズのポケットに手を突っ込んだまま言う。
「あくび止まんなくてさ…。おはよう小太郎」
目をこすりながら言う瓏衣に小太郎が挨拶を返すと、瓏衣はまたそこであくびを一つこぼす。
「眠そうだね、瓏衣くん…」
「今朝からカイナに修行に付き合ってもらってたから…」
「今朝って、朝早くから…!?」
千鶴が目を丸くする。家を出る前に確認した時刻から考えて現時点でまだ八時過ぎのはずだ。それで今朝、というのであれば瓏衣の言う今朝とは夜が明けるか否かの早朝と捉えて間違いないだろう。
「いつ何が起こるか分かんないし、なるべく早く始めたくて…」
しかし明日からは春の長期休み、いわゆるゴールデンウィークに入るため大学に行かなくてよくなるのはありがたい。みっちり修行に打ち込む所存だ。
「授業中ちゃんと起きてなきゃだめだよ…?」
「お前眠気に弱いだろ…」
「大丈夫大丈夫。任せて」
二人の不安げな眼差しを浴びながら、瓏衣は得意げに笑って胸を叩いた。
「…って、言ってたのに…」
「言わんこっちゃねえな…」
全ての授業が終了し、人が少なくなっていく教室の隅で、呆れ顔で腰に手を当てる千鶴と、腕を組みため息をつく小太郎。その目が見下ろす先には、
「くー…」
見事にフラグを回収し、机に突っ伏して、死んだように眠っている瓏衣がいる。
ちなみに本日は一、二、四、五限まで――三限目は空きコマだった――あり、起きていたのはそのうちの一限目の開始十分まで、昼休み、四限目の開始三十分までである。
つまり、ほぼ寝ていた。
「ふ…、ふひひひひへへへひゃひ…」
「なに気色悪い笑い声出してんだ帰るぞオラ」
中々起きないために首根っこを掴むと、苦しいのか不気味な笑い声が止む。好都合とばかりにそのまま引きずられていく。自分と瓏衣の荷物を持った千鶴が苦笑しながらついていく。
「いたっ!?」
教室を出てすぐ目の前にある三段の短い階段で腰を打ち、瓏衣が飛び跳ねるようして起きた。
「こたろークンひどい…」
「起きねえからだバカ」
腰をさすりながら小太郎をジト目で見ると、彼もまたジト目で見返してきた。
と、不意にポケットの中で携帯が震えた。
画面には深月雪羅の文字と、昨日彼から聞いた番号が表示されている。出ない理由は無い。千鶴と小太郎に断りを入れ、応答ボタンを押して耳に充てる。
「もしもし、雪羅か。 なにか……」
電話の向こうの彼の言葉のせいだろう。言葉を止めた瓏衣の表情が険しくなり、千鶴と小太郎は神妙な面持ちで顔を見合わせる。その間も瓏衣の顔色はいい方へは変わらなかった。
「……わかった。すぐ行く。千鶴、カバンを!」
電話を切りながら差し出された手に、千鶴は迷いなく瓏衣の肩提げカバンを渡したが、今度は瓏衣の腕を掴む。
「
「ああ。行かないと。コタ、ちぃを頼む」
携帯をカバンに突っ込み、そのまま肩に下げる。すでに泣き出してしまいそうな顔をする千鶴の頭を撫でてやりながら小太郎に声をかけると、彼はしっかりと頷いてくれた。
「わかった。送ったら俺も合流する」
「ダメだ。戦えないお前じゃ危険すぎる。千鶴を家に送ったら、お前もすぐに帰るんだ」
いいなと念を押す瓏衣を見るダークグリーンの瞳が丸くなる。小太郎の動きが止まる。
なんでだよ。そう言いかけたところで、瓏衣はじゃあなと短い一言を残して、十メートルほど先の棟の玄関口へと走り去ってしまった。
「瓏衣くん…」
どうか無事であるようにと、千鶴は胸の上で手を重ね祈る。
「なんで、なんだよ…」
溢れる何かを押し殺したような声が聞こえて、千鶴は首を回す。
取り残され立ちつくす彼の顔は俯いていて、その表情は見えなかった。
不意に、その姿が不鮮明になり、揺らいで、黒い影が重なった。
───あ、れ…?
目を丸くした千鶴が視界を正そうと二、三度瞬きをする。
小太郎に覆いかぶさったように見えた黒い影は、もう見えなかった。
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