第36話 代替案


 チャンスが有効な代替案を見出せない間に、街の空気が変わっていった。以前は聞こえなかった祖国復興を掲げる宣伝活動が行われるようになる。街のあちこちで兵隊を見かける状態になった。


(あかん。水に関する不満が、完全に別方向に進んでおる)

「どないしよう」と思って日々、答えの出ない問いに幸運の尻尾亭で悩んでいた。


 すると、チャンスに声を懸けてくる老人がいた。

 老人はアミルの酒蔵であった精霊だった。気さくに声を懸けてくる。


「チャンスよ、元気にしておったか」

「あまり、元気でないですわ。心労でワインも美味く飲めません」


 老人はチャンスを気遣った。

「それはいかんな。どれ、こんな年寄りでもよかったら、悩みを話してみろ。楽になるぞ」


 チャンスは老人を誘って密談スペースに行く。

 冥府神サヴァロンに命の輝きを捧げる必要があり、困っていると話した。


「なるほどのう。それは難儀だ。だが、街の人間を殺さずに済む手はあるぞ」

「ほんま、どんな妙案があるんでっか?」


 老人は真剣な顔で教えてくれた。

「街で自然になくなる身寄りのない人間や、貧しい人の命の煌きを捧げるのじゃ」

(駄目や。そんなの、できん。期待して損した)


「そんなの、弱者の切り捨てや」

 老人はすぐにチャンスの思い違いを指摘する。


「いやいや、違う。お主は人間でないから知らぬかもしれん。冥府神サヴァロン様に捧げられた人間は、地獄に行くわけじゃない。冥府神サヴァロン様の裁きを受けて、輪廻の輪に戻るだけなんじゃ」


「でも、そんな坊主の説教を聞いた覚えはないでっせ」

 老人は当たり前だといわんばかりに指摘した。

「そりゃあ寺院にいくら寄進しても、死後に裁きを受けるとなると、神職には都合が悪いからな」


「お布施が集まらんと、神殿かて維持できませんからな」

「それに、神々も自分の信徒には甘い。神々は毎年、冥府神サヴァロン様に付け届けをしている。そうして、信徒の裁きに温情を加えてもらっておる」


「そうでっか。神様の世界も、付き合いが大事なんやな」

 老人は威厳を持って頷き語る。


「だが、貧しくて、生まれた時も、場所もわからぬ者は、神殿に行って洗礼を受けられない。だから、貧しい者の大半は、守護神の加護や恩寵を受けられず、気にされず死んでいく」


「守護神は生まれ月や地方で決まると言い伝えられていますからな」

「そうじゃ。守護神の加護がない者は、サヴァロン神に縋るのが一番よいのだ。だが、これは、あまり知られていない。知られれば、他の神への信奉が影響するからな」


「なるほどのう。神様たちの信者の奪い合いですか」

「信徒の引き抜きは、問題が多い。だが、貧者や流れ者はどこの神の影響下にもない」


「ははーん、なるほど。冥府神サヴァロンの影響下にある、貧者救済院を作る。そんで、最期を看取る。そうすれば、命の煌きが捧げられて冥府神サヴァロンはお喜びになる、と?」


「そうじゃ。冥府神サヴァロン様が喜ぶなら、冥府神サヴァロン様の影響下のダンジョンとて無下にできまい」

「なるほど。ええ情報を聞きましたわ。さっそく動いてみます」


 チャンスは、街で貧しい人が集まる地区を歩いてみた。すると、路上に打ち捨てられた者、病気で苦しむも者、孤児、働けない者が、多くいた。

(発展の陰で見えなかった。せやけど、好景気の波に乗れん者は大勢おるんやなあ)


 チャンスはエイミルの家に行く。エイミルは会ってくれた。

 エイミルは清潔で広く立派な応接室にチャンスを迎え入れた。

(こうしてみると、ユガーラの街も貧富の格差が広いなあ)


 エイミルがにこやかな顔で尋ねる。

「チャンスくんから訪ねてきてくれるとは、珍しいな。何の用件だい」

「遅くなりましたが、ダンジョンから水を引けそうですわ。ただし、条件があります」


 エイミルが乾いた笑いを浮かべる。

「何だい? 怖いねえ。何を要求されるんだい?」

「冥府神サヴァロンの寺院が直営する貧民救護院の設置ですわ」


 エイミルは思案する。

「街では貧富の格差が広がっている。それに伴ない、路上で亡くなる貧者も出ている。可哀想だとは思うが、街の金を使かってまでやる事業かね?」


「わいは慈善事業をやりたいと頼んでいるわけやない。水を手に入れる条件だと話しているんですわ。そこは勘違いしないでください」


 エイミルは冴えない顔で質問する。

「でも、財源はどうするんだい」

「ダンジョン攻略で出る懸賞金。あれを宛てましょう」


 エイミルは顎に手をやり、考える。

「ダンジョン攻略は進まずに、水道橋だけの工事が進んでいるからね。このまま、ダンジョン攻略ができないと、水道橋工事は失敗に終わって無駄になる、か」


「なら、ダンジョンから許可を取って水を引きましょう」

 エイミルの表情は暗かった。

「でも、今は時機が悪いかもしれない。議会は鷹派が台頭してきつつある。貧民救護院を作るくらいなら軍に金を廻せ、と要求するだろう」


「そこは、エイミルはんの力で抑えてください」

「私も鷹派の台頭には頭を痛めている。よし、議会工作をやってみよう」


「お願いします」

 チャンスは悪神アンリを幸運の尻尾亭で捕まえると、ダンタの元に連れて行ってくれるように頼んだ。


 悪神アンリは嫌がらずに、チャンスをダンタの元に再び連れていってくれた。

ダンタを前に、チャンスは語る。


「代替案を持ってきました。冥府神サヴァロン様を信奉する寺院直営の貧民救護院を造ります。そんで、貧しい人や行き場のない人の命の煌きを冥府神サヴァロンに捧げます」


 ダンタは渋面で語る。

「守護神が定まらない自然死の人間の命の煌きを捧げる、か」

「どうでっしゃろう? 貧しい人は多く、常に街では人は亡くなる。ならば、時間が経てば、数も無視できないほどになると思います」


 ダンタの感触は悪くなかった。

「街で取りこぼされる命の煌きは我らもできれば回収したいと思っていた。だが、回収する手段がなかった。人間がこれに率先して手を貸すのなら、有難い」


「なら、貧民救護院設置の代価として、水を貰えますか」

 ダンタが腕組みして、要求してきた。

「上に案を上げるのなら、もう一押しが欲しいな」


(何や? この期に及んで、まだ何か要求してくるんか? ええい、やってやれや)

「何が、必要でっか?」


 ダンタは真面目な顔で、厳しい用件を提示した。

「冥府神サヴァロン様のお墨付きだ。冥府に行って、冥府神サヴァロン様からお墨付きを貰ってきてくれ」


 チャンスは驚いた。

「冥府なんて、死なんと行けないとちゃうの?」


 悪神アンリがさらりと教えてくれた。

「生きたまま、行けるぞ。狂気の谷の底の大穴から飛び込めば行ける」


「でも、狂気の谷の谷底なんて行ったら、気が狂うで」

 悪神アンリはポケットから黄色い耳栓が入ったケースを取り出した。

「なら、耳栓をやるよ。双六すごろくの褒美だ。遠慮なく受け取れ」


 冥府に行けと指図されると、チャンスは、さすがに躊躇った。

「でも、冥府なんて行ったら帰って来られんやろう」


 悪神アンリは気の良い感じで説明する。

「サヴァロンの城へと渡る大河の行きは、タダで渡れる。ただ、帰りは渡し賃が要る」


「もしかして、冥府銅貨六枚ですか?」

「そうだ。冥府銅貨が六枚あれば、渡し守が現世まで送ってくれるぞ。それで、チャンスは行くのか、冥府まで?」


(冥府銅貨は六枚ある。一人なら、冥府から帰って来られる。なら、行くしかないかな。これ断ると、それこそ街が、とんでもない事態になるしなあ)

「行くしかないやろうなあ」


 悪神アンリが滅多に見せない真面目な顔をする。

「チャンスよ。お前は目に見える幸せを守りたかった。たが、守りたい一心がいつも大事になる。今回も、いつもの延長線上だと思っているだろう」


「何や? 違うんでっか?」

「これは俺の予感だ。人間はチャンスに多大なる恩恵を受けている。だが、最後にはきっと裏切るぞ」


(アンリのおやっさんが、何も考えなしにほのめかしはせん。最後は、ほんまに人間に裏切られるのかもしれん)


 それでも、チャンスは街の人と築いた絆を大切にしたかった。

「裏切られた時は裏切られたですわ。その時に、また考えますわ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る