第34話 水問題

 娯楽飛行船団は賭博神ギャモンが満足したのを理由に帰っていった。

 スターニアでも、ゲルバスタとの間に問題はないとの確認をして交渉を終えた。だが、街には平穏は戻ってこなかった。


 幸運の尻尾亭では街の人が渋い顔でぼやく。

「最近、水の質が悪くなったよな。危なくて井戸水が飲めやしない。河の水質もだいぶ悪くなったな」


「ニチラ村でも急速に発展した農場を支えるのに水が必要だ。オアシスが小さくなっていると聞いたぞ」


(雇用が生まれ、街が人を惹き付けた。観光客も来た。せやけど、それに対して水の供給が追い付かんか。困った状況やで)


 誰もが綺麗な水を求める中、魔術師のレイラがある論文を発表した。

題して『水はダンジョンに豊富にある』。


 一年前なら誰も気に止めなかった論文だが、綺麗な水の不足に陥っているユガーラでは目を惹いた。


 幸運の尻尾亭でも知識人や冒険者が困った顔で噂する。

「確かに、街の北にあるダンジョン内には水路があるんだから、水があるんだろう」

「でも、あるのは、ダンジョン内だぜ。どうやって水を運ぶんだよ」


(ある意味、正論やね。ダンジョンから水路を掘るか、水道橋を結べれば、水の環境問題は解決する。でも、ダンジョンは協力せんやろう)


 チャンスが無理やなと思っていると、幸運の尻尾亭に、にこにこ顔のエイミルが現れる。

「チャンスくん。ちょっと話がある。君に利益を生む話だ」


「お金ならあるんで、遠慮しときますわ」

 エイミルは困った顔でお願いする。

「そう冷たくしないで、話だけでも聞いてほしい。頼むよ」


「聞くだけなら、ええですよ。でも、できない仕事は断りますよ」

 エイミルはチャンスを密談部屋に誘う。エイミルが改まって切り出す。


「実は今、街は好景気で潤沢じゅんたくな資金がある。これを市民に還元しようとして、公共事業の話があるんだ」


「まさか、とは思いますが。ダンジョンからここまで水道橋を作ろうって話とは、違いますよね?」


 エイミルは、にこやかに微笑む。

「実は、そのまさかだ。水道橋を造りたい。ダンジョンはユガーラより高地にあるから、高低差を利用して水が運べる」


「でも、それは物理的な話でっしゃろ? 水源地を抱えるダンジョンが、うんと承諾するわけがない」


「そうだ。おそらく、水をダンジョンの外に出すのが最大の問題だ。そこで、交渉役をチャンスくんにお願いしたい」


(やはり、来たか、でも、簡単に考えてもらっては困る)

「無理ですって。そんなの、ダンジョンに知り合いなんておらん」


「そんなことはないだろう。知っているよ。カジノの件。あれは運営主体が人間ではない。だが、あのカジノを誘致した人物は、チャンスくんだともっぱらの噂じゃないか」


(ほんま、油断できない人やわあ。こっちが隠したい情報を、どこからか持ってきよる)


 チャンスは白を切った。

「エイミルはんの情報は嘘ですわ」


 エイミルは弱った顔で尋ねる。

「そう、隠さんでくれよ。チャンスくんだって、今の街の水事情の悪さは、わかっているだろう」


「でも、それは、政治の問題や。引退した冒険者崩れのする仕事ではないですわ」

 エイミルは驚いた顔で持ち上げる。

「何? 君は自分を、そんなふうに卑下しているのかい。だとすれば、それは違う。君はこの街の英雄だ」


「いや、今回は断らせてもらいます」

 チャンスは席を立って幸運の尻尾亭に戻った。


 チャンスはその後もアルバイトをしながら、街の動静を見守った。

 街では水質は改善されず、不満は溜まる一方だった。


 そん中、ついに知事が動いた。知事は水道橋の建設を宣言し、ニュースとなった。

(何やて? 水道橋を作るんか? でも、ダンジョン側の許可なしに造っても、破壊されるのは目に見えとるで)


 日を置かずして、続報が入る。街はダンジョンの最深部の制覇に懸賞金を懸けた。

(これは、あれや。金の力でダンジョンを征服して、水を街に持って来ようとしとる。これは、ダンジョンとの攻防が激しくなるで)


 冒険者稼業が下火になりつつあったユガーラの街だった。

 だが、懸賞金の噂が出回ると、他国からの冒険者の流入が増えた。


 再び冒険者に陽が当たり始めた。

 チャンスが街の水の受け入れ口を確認しに行く。


 すでに水道橋の建設が始まって、橋脚が作られ始めていた。

「本気や。街の人間は本気でダンジョン攻略に動いとる」


 そのうち、冒険者ギルドに見られなかった兵士がやって来る状態になった。

 最初は何かの依頼かと思っていたが、どうも違う気配だった。


 休憩時間に、セビジに昼飯を奢って訊く。

「最近、兵士が出入しているやろう? 何があったの?」


 セビジは、のほほんとした顔で教えてくれた。

「兵隊の訓練の一環として、ダンジョンを使った訓練をしているのよ」


「それって、軍事目的でダンジョンを利用しとるんか?」

「そうよ。それで、冒険者ギルドとトラブルがないように、折衝に来ているのよ」

(ダンジョンで訓練か。単なる練兵の一環やといいやけど)


 気になったので悪神アンリを探す。

《幸運の尻尾亭》で見かけた時に、密談スペースに誘って尋ねる。


「おやっさん。最近、人間の動きが活発になっとりますやろう。ダンジョン側の動きを教えてもらっても、ええですか?」


 悪神アンリの態度は、素っ気ない。

「何で、そんな情報を聞きたがる? 引退したお前には関係ないだろう」

「でも、ここまで大きな動きやと、気になりますやん」


 悪神アンリは気楽な態度で教えてくれた。

「そうか、なら、教えてやろう。ダンジョン側の動きも活発だぞ。人間が大勢、入ってきて、大勢が死ぬから大繁盛だ。でも、安心しろ、ダンジョンは落ちないから」


「でも、ここまで人間側からの圧力が強いと、耐え切れなくなりますやろう?」

 悪神アンリは目をぱちくりさせる。

「圧力って、何を言っているんだ?」


「ほら、人間の軍隊が来ていますやろう」

 悪神アンリは、さらりと言ってのける。

「それなら、問題ない。軍上層部とダンジョン上層部は、結託している」


「何やて? どういうことでっか?」

「お前は知らなくていい――と拒絶したいところだ。だが、前回、大きく儲けさせてもらったからな。教えてやろう」


「それは、ありがとうございます。して実態は?」

 悪神アンリは楽しそうに語る。

「ダンジョンでは犠牲者が欲しい。軍では強い兵が欲しい。街では水が欲しい。欲しい、欲しい、と渇望していたらこうなった。全ては欲のなせる業だ」


「でも、水質問題と軍備拡張は別の問題でっしゃろう?」

「そうだな。でも、気が付く頃には後戻りできなくなっているだろうな。人間とは、そういうものだ」


 悪神アンリは、席を立つ。

「また、何か面白い話があったら、教えてくれ」

 チャンスは暗惨さたる思いで悪神アンリの背中を見送った。

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