3.23 冬至祭の炎
[とにかく、……逃げよう]
どのくらい、その場所で呆然としていただろうか。
消えかけた松明の光に、トールはサシャが置かれている状況を思い出した。
[立てるか?]
太陽が昇る前に、できるだけ遠くへ。逃げなければ、サシャは、燃やされてしまう。それは、……ダメだ。首を強く横に振り、悪い思考を払い落とす。
[立てるか、サシャ?]
「うん……」
トールに促されるまま、緩慢に、サシャは地面から腰を上げる。だが。お腹に何も入っていない所為だろうか、それとも消えてしまったクラウディオのことでショックを受けたのだろうか、ふらついたサシャはすぐに、草の多い地面に倒れ込んだ。
[サシャ!]
トールの叫びは、木々の間に響かない。
早く、逃げなければ。明るくなったように見える空に、唇を噛む。しかしサシャはぐったりと、地面に横たわったまま動かない。『本』であるトールに、今のサシャを助ける術はない。間遠になっていくサシャの鼓動に、トールは思わず首を横に振った。
「……クラウディオ?」
響く声が、トールを絶望させる。
「居ないのか? まあ良い」
その声の主、狂信者達の長デルフィーノは、倒れて動かないサシャを軽々と抱き上げると、後ろの部下達に顎をしゃくった。
「戻るぞ」
来た時よりも短い時間で、荒野が見えてくる。
丘に隠れた、昨日まで籠もっていた砦の平穏さにほっと胸を撫で下ろす前に、昨日は無かった粗雑な薪の山が、トールの目を射た。
その薪の山の上に、満足そうな笑みを浮かべたデルフィーノが、ぐったりとしたサシャを横たえる。
「……この、本」
その上で、デルフィーノは、身動き一つ示さないサシャのエプロンの胸ポケットからトールを無造作に引っ張り出した。
「あの星の神の本か。こいつも、火炙りだな」
サシャから引き離されて言葉を失ったトールの横で、デルフィーノが部下から受け取った松明の炎が踊る。トールが身構えた次の瞬間、トールの視界は一瞬で炎の赤に覆われた。
[サシャ!]
デルフィーノの手から放たれたトールの身体は、低い放物線を描いてサシャの方へと落ちる。サシャを、燃やすわけには。身を捩ったトールの抵抗は、しかし無駄に終わった。
[サシャ……]
トールの落下地点にあった、サシャの左腕が、たちまちにしてトールと同様の炎に包まれる。
[そん、な……]
一緒に燃え尽きることしか、できない。
[済まない、サシャ]
幻の涙が、トールの頬を流れ落ちた。
その時。
「なっ!」
「あの旗は」
「
戸惑いの細波と共に、一陣の疾風が、トールをサシャから引き剥がす。
「サシャっ!」
地面に落ちたトールが見たのは、地面に仰向けに倒れたデルフィーノから伸びる太い棒と、サシャにまとわりつく炎を何とか消そうとする黒鎧。
「しっかりしろっ!」
この、声は。黒鎧の正体に、ほっと息を吐く。ヴィリバルト。ピオは、きちんと任務を果たしてくれた。逃げ惑う狂信者達と、荒野を縦横無尽に走る馬と黒色のマントに、トールは胸を撫で下ろした。
「団長!」
「水! あと、そこの、本!」
ヴィリバルトの後ろで馬を止めた細身の影、黒竜騎士団の副団長フェリクスに、ヴィリバルトが荒い声を上げる。
「本?」
一瞬だけ首を傾げたフェリクスは、しかしすぐに、トールを拾ってサシャの胸の上に置いてくれた。
[サシャ……]
息は、ある。胸の鼓動を確かめる。
大丈夫。トールは無理矢理、自分自身に頷いた。
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