蛇ノ弐

「一体、如何なさったと云うのですか」

後輩が

文學結社を立ち上げた後に、青年の友人が発表した其の作に惹かれ、其して友人に憧れるまま、焦がれるままに結社に参加をした彼が


再び寝台に寝かされた友人を心配気に、不安気に見ながらに静かに問う


友人は憮然の言葉相応しい面持ちで、後輩へ視線を向ける事も無く

其の眼は唯、窓の外へ

遠くへと視線を馳せて居た


「先生」

面を曇らせ、後輩が友人へと声を掛ける

「報道屋の方が仰っていました。彼奴の話を-世に出された評の通りの話を致した処、先生が激昂なさったのだと」

「……」

友人は何も言葉を返さぬ儘、唯、窓の外を見つめる


後輩の面は益々暗雲掛かる様に、苦味さえ滲み出す


「……未だ、彼奴の事を思うて居られるのですか」

搾る様な後輩の声

「-」

友人は何も答えない

「彼奴を庇うて、何になると云うのです」

「-」

「彼奴の、世の評を先生も御理解の筈でしょう」

「お前達が勝手に綴った評ではないか」

漸く友人が口を開き、後輩をちらと見遣る


後輩はふと息を呑む

「ですが、彼奴が不義であり不道徳であるのは事実では御座いませんか」

「何故お前は其う思うのだ」

友人が問う

併し、視線は既に後輩から外れ、白の天井へと注がれて居た


「彼奴は、先生方を裏切ったでは御座いませんか」

後輩は己が手を膝上で堅く握り絞めて言う

「彼奴は、先生方皆様が-文學結社の皆々が未だ-其の御名が文壇へと上がらぬ内……綴りを生業と致すよりも前、皆を出し抜き、唯一人だけ文壇に上りのうのうとして居たではありませんか……」

「……」

「あの、皆が一丸となり文學同人を生み出して居た結社にて、彼奴は誰にも相談する事も無く、抜け出たではありませんか……!彼奴が、花形であり……誌の人気を惹いて居たのが自身であると云うのを自覚していた筈であるのに」

「……」

「彼奴が寄稿せぬ様になって、結社は一時期存続が危うく-」

「-黙れ」

眉間に皺寄せ友人が後輩を睨む

「先生」

「あいつだけが悪いか、唯あいつを悪しとして責めるのは止せ」

「併し先生」

「困窮したのは何もあいつだけが悪い訳じゃあ無い。残された我々が時代に乗る事が出来なかったが為だろう」

友人の言葉に、後輩は一度小さく頷いてから静かに首を横に振った

「-併し、今や先生は大家に次ぐ寵児と、其の御名を世に鳴り響かせて居られます」

「……俺だけでは無かろう、文學結社に関わった皆、皆名を馳せて居る」

「ええ、此れこそが在るべき文士の姿-世は彼奴に瞞されて居たに過ぎません」


言葉が止まり、静寂が流れるや深く、息つく音が鳴った


「いい加減にしろ」

「併し、事実彼奴は今や底辺へと」

「噛み砕いて、幼子を諭す様言わねば分からんか」

寝台に手を着き身を起こし、友人は後輩へと向き直る

「あいつが名を落としたのは、あいつ自身のせいじゃあねえ。下らねえ話をさも悪行を致した様に書き立てられ、不相応な酷評を受けて……てめえらまで、片棒担いで碌でもねえ記事を出しやがって」

「-彼奴へ対する、相応の報いでは御座いませんか」

「莫迦野郎、何が報いだ。只の私怨だろうが、私怨をあいつにぶつけて、引き摺り落して何が愉しいってんだ」

「-先生!」

後輩の手が、友人の患者衣の袖に触れる


「何だ」

「先生は、口惜しく無かったのですか」

「何がだ」

「彼奴は先生方を裏切ったと云いますのに」

「……口惜しい、と云う気持ちが無かったと言えば、嘘になる」

「では」

「だが、あいつには其うしなければならなかった理由があった」

「-甘受なさったと、仰るのですか」

「甘受じゃあねえ。只、受け入れた-至極当然であるのだと」

「何故です」

「諄い、何度言わせる」

「申し訳御座いません、併し-」

「併し、何だ」


後輩は一度口を噤み、項垂れ

触れた患者衣を強く握り締めた


「先生の大家への反論、其して今の-彼奴の事を擁護なさる御姿、まるで」

「『まるで』?」

「-まるで、恋慕の様です」


ふ、と溜まった息を吐く音が後輩の耳に響く


「お前まで其う云う事を宣うか」

「失言、申し訳ございません、併し」

「良い。好きな様に思え」

「先生」


驚愕に後輩が目を見開く


「先生、まさか-矢張り」

「お前は本当に、諄い奴だナァ。好きに思え、好きな様に考えろって言ったろうが。人に如何思われ様が、知ったこっちゃねえ」

「……はい」


後輩は友人の患者衣を握り絞めたまま頷く

頷き、所作静かに友人の肩口に軽く額を触れさせた


「今度は何だ」

冷たく問いを向ける友人

患者衣を握る後輩の手は、微かに震えて居た


「先生-」

後輩は固く瞳を閉じる


「僕、は」






其れから随分な時間を経て

後輩は他の文學結社の一員と見守りを交代し

病院を後にした



「失礼、少し御話を宜しいですかな」

其処へ、聞き覚えのある声が掛かる


振り向けば、其れは報道屋で-

気の良い、度々見舞いに訪れる報道屋の男であり


「報道屋さん、如何致しましたか」

「イエ、少し気になりましたものでね」

男は柔らかな笑みを浮かべ、後輩へと語り掛ける

「先生が随分と荒れておられましたでしょうに、私が失言を致したのだろうか、ならば今一度御詫びに伺うべきであるか、と」

「……失言、ですか」

後輩は男を見て、静かに首を横に振った

「貴方はきっと、失言などして居りませんよ。多分恐らく-」

「先生は矢張り、件の人物に道ならぬ想いを抱いている。」


男の言葉に後輩は息を呑んだ

男は至って柔らかに、優しく後輩に笑みを贈った


「嗚呼、其うなのですね」

「其れは」

「イイエ、隠さずとも」

「併し」

「私は同じ性を持つ者同士が惹かれ合う事も好しと思うておりますよ」

「……其う、でしたか」


ふっと後輩は視線を地に落とす

男は密やかに口許を震わせ、言葉を続けた


「……ですが、彼の様な愚劣な青年に、寵児たる先生が想いを寄せるは如何なる物であるかと、私は思う物でして」

「-」


後輩ははっと男を見遣り

其うして、表情険しく頷いた


「仰る通りです。先生があの様な奴を御思いなんて」

「エエ、本当に……崇高な先生には、其の儘で、清らかな儘に文壇に在って頂きたい物です」

「併し、先生は」

「嗚呼、問題御座いませんとも。ええ、凡て私に御任せを」


男は笑顔の儘に、ポンポンと柔らかく後輩の肩を叩く

後輩は半信半疑の様相で男を見遣った

其の表情に、男は口端を吊り上げ、後輩に顔を近付け囁いた


「-貴方様は御慕いして居るのでしょうに、先生を」

「-其れ、は」


ぐ、と詰まる後輩の肩を労わる様、男は再びポンと叩く




「如何か、御任せ下さいませ。貴方様の情を晴らす為にも」



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