第64話 柊木奈津子と教育論

 利喜人くんの会見は警察の人にマイクを遮られて終わった。警察の人がマイクの向きを変えて、利喜人くんから引き離したが、みずきに何かあったらぶっ殺す!と小さい音だったが拾ってしまった。会場は騒然とした。シャッターがたくさん切られた。テレビ画面では、記者やテレビのリポーターたちから色んな質問が飛び交う中、弁護士の韮沢さんが利喜人くんの腕を引き、退室した。

 代わりに警察の若い人の方が記者たちの質問に応じていたが、まだ捜査中ですとか、まだ公表できる段階に至っておりませんとか、有耶無耶な答えばかりで会場は怒号が飛び交い騒然として、半ば強引に終了し、画面はスタジオの司会者のアップに切り替わった。


『えっとー、お義父さまは大丈夫でしょうか。だいぶ取り乱していたようですが。あの、もし、みずきちゃんと一緒にいる方。ご家族が心配していらっしゃいます。お義父さまの取り乱した発言がありましたが、早まらないでください。本当に無事で返してあげてください。みずきちゃんの将来もあります。が、あなたにも将来があります。まだ間に合います。どうか無事に返してあげてください』


 司会者は取り乱した利喜人くんをフォローする様に、無事に返してください、を繰り返した。自分の冠番組で放送したことにより、最悪の事態になり番組が叩かれることを恐れたのか。カメラは色んな角度から、訴える司会者を撮らえた。危機迫った横顔がアップで映しだされていた。若い頃はドラマの端役で出ていた司会者は、むかしの演技魂に火が点いたのか唇を震わせて、溜めてからもう1度、「無事に、返してください」と呟いた。カメラは司会者から静まり返ったスタジオのゲストコメンテーターを順に映していった。その中に柊木奈津子の姿があった。


『まあ、私も犯人がいると仮定して話してしまいましたが、これが事件ではなく迷子になってしまっているのかもしれません。どちらにせよ、私たちはみずきちゃんの無事を祈るばかりです。えー、番組の方でも、みずきちゃんの目撃情報を募らせていただきます。目撃情報は電話、ファックス、メールでの』


 司会者が言いかけたところ、でも容疑者は断定されていなくても浮かんでいるんですよね、と元警視庁捜査課という犯罪学者の坂東ばんどうというおじさんが問題を蒸し返した。


『行方不明になっている子供たちは、SNSで共通の人物とコンタクトを取っているんですよね。それはただの家出や迷子の可能性の方が低いのではないんですか』


『坂東さんは、どうお考えですか?』


 司会者は、そのまま聞き返した。


『静岡市では亡くなって発見された山本伊織さんがいましたね。山本伊織さんと行方不明になっている他の子供たち、それから今回の岸みずきさん、合計9件も共通の人物とのコンタクトは見逃すことができません。だいぶむかしの話ですが私が現役だった頃、ネットでの掲示板、今でいうSNSで子供たちを集めて集団生活していたという事件を捜査したことがありました。逮捕された男は当時48歳でしたが掲示板で、虐めにあっている、親とうまくいかないと、虐待されているなど悩みを抱えた子供たちを集め、自分が匿っていたと供述していました。それと非常に酷似していると感じています。その時誘拐された11人はみんな無事だったのですが、今回のケースは1人殺されてしまっていること。関連性が無ければいいのですが、SNSという共通点が見つかっている以上、心配です』


 ありがとうございます、司会者が坂東に言うと、坂東の隣にいるイラストレーターの女が、じゃあ今回の行方不明の子たちは虐めや虐待を受けてたってことですかー、鼻から抜けたような甲高い声でゆっくりと喋り出した。所謂アニメ声というやつだ。こういう場でこの声質は、妙に燗に障る。見た目が年齢不詳だ。意外に歳はいってるかもしれない。

 スタジオでは司会者と女性アシスタント、柊木奈津子と坂東、そしてイラストレーターの女と、人気お笑い芸人のコンビのツッコミの方と、6人が映し出されている。お笑い芸人は、さっきからたいしたコメントもせず、相槌を打つばかりだ。テレビ局も取り上げるニュースによってゲストは考え直した方がいいと思う。


『SNSに載せていた内容が、どれも親の虐待による悩みや呟きだったと聞いてます』


『じゃあ、親が悪いんじゃん』


『虐待が悪いことですが、それが虐待している全ての親が悪いかというと、一概にそうとも言えません。子育てというものがどれだけ大変なことか。あなた、子供育てたことあるんですか?』


『今の発言ってー、マズくないですかぁー?』


『ちょ、ちょっと待ってください。少し論点がずれていると思います』


 坂東と年齢不詳のイラストレーターが揉め始めたので、慌てて司会者が割って入った。お笑い芸人はお笑い芸人で、カメラに向かって驚いた表情をするだけだ。いったいこの人は何をしに来てるのだろう。カメラは揉めている2人を交互に映している。こんなくだらない映像が地上波に垂れ流されている。その発端が私たちであることを後悔しても、もう遅い。揉めている2人の端に柊木奈津子の涼しげな横顔が見えた。


『今は岸みずきちゃんの話です。無関係な話は止めましょう』


 司会者はCMを挟みたいのか、一旦ここで締めようとしているのに、さっきまで黙っていた柊木奈津子がここぞとばかりに発言をした。


『無関係でしょうか。虐待は深刻な問題です。近年虐待は増え続けています。先程坂東さんがおっしゃっていたように、苦労して産んだ子供に対して虐待したくてしている親ばかりではないのです。金銭的に余裕がなくなれば、心の余裕も奪われます。その時母親だからと大らかな広い心で、子供の我儘を受け入れられず虐待してしまうケース、今テレビをご覧の皆様にも心当たりがあるのではないでしょうか。私は数日前に、この岸みずきさんのご両親とお会いして、相談を受けました。このご家族は先程ご説明された通り、お父様とは血縁関係がありません。小学4年生の女の子ということで多感な時期ですから、うまくいかないこともあったのでしょう。このご家族のケースはネグレクトという、謂わば育児放棄と言われるケースです。が、育児放棄と一括りにしてしまうのも難しいです。手を差し伸べたいけど、子供の方から拒否されてしまう。それが育児放棄に繋がってしまった感は否めません。べつにお母様を庇護するつもりもありません。育児放棄は立派な虐待です。でも、どうしてこんなことになってしまうか、わかります?』


 柊木奈津子は涼しい顔のまま、年齢不詳の女に質問を投げた。年齢不詳の女は惚けた顔をして、首を傾げてから、


『でも、ダメなものはダメじゃない。そういうのひっくるめて、全部お母さんがしっかりしないと』


 年齢不詳の女はアホなフリをして、結構まともなことを言う。できていない私が言うのもなんだが、母親はそうでなければいけない、と私も思う。私も、私の母親もそれができなかったのだ。


 スマホがテーブルの上で震えていた。画面を見ると電話番号が出ていた。見覚えがある番号。もう関わりなくて電話帳から消した前の夫の電話番号だった。たぶん、今この番組を見て、「瀬川の名前は出すな、ママに怒られる」とかその程度の電話だろう。みずきと血が繋がっている父親の方は、みずきの心配よりも自分の母親を気にするマザコンだ。私はそれを無視した。ひかりが、マゥマ、ブッブ、マゥマ、ブッブ、とスマホを指して言った。


『社会がそうさせてしまってるんです。私が言っている社会とは、現在いまの教育体制のことです。現在の教育を作り上げたのは文部科学省の責任は大きいと思います。もっと子供のいる家庭へのサポートを厚くするとか、もっと強い子供たちを育成する教育機関、国が変えていくべきだということです。今回の岸さんも、もし教育体制や教育費用のサポートがもっとあったら、離婚することなく、実の父親と母親の元で普通に暮らすことができたのかもしれない、生活に余裕があれば虐待なんかすることがなかったかもしれない、そればかりではないかもしれませんが、現在よりも虐待する家庭は減少すると思いませんか?』


 よくわからない、というような顔をして年齢不詳イラストレーターは画面に向かって笑って誤魔化した。


『大きな教育改革をしなければなりません。現在の学校教育は子供に優しいサービス業になってはいませんか。教育とは何です?勉強を教えるだけで教育と言えるのでしょうか。健全に大人になるまでの生き方を教えるのが、教育というものではないのでしょうか。集団行動の中で生きる術、困難にぶつかった時の対処の仕方、それに耐えうる精神力を備えさせて、子供たちを社会に放たなければなりません。まだ断定はできませんが、これが誘拐事件だとすると、子供たちがSNSを使ってSOSを出し、そこに犯人が目を付けたということになりますが、子供たち自身が強い精神力をつけていたら、このような事件は起こらなかったはずです。体罰を認めるわけではないですが、時には厳しい指導も必要です。その教育をするためにも、教師の数が少ない、それにそのためのも必要なのです。現在の教師たちを見てください。子供たちの顔色を伺い、保護者の顔色も伺い、トラブルがないのを祈るだけの教師ばかりじゃないですか?』


 ちょっと、今しているのは誘拐事件の話じゃないんですか、と司会者が横槍を入れるが柊木奈津子はそれを無視した。


『国は、もっと教育に資金を投じるべきです。もっと未来ある子供たちに投資するべきなんです。現在の文部科学省大臣を見てください。この前田義文という大臣は、旧体質にしがみついて何も変えようとせず、自分の地位と名誉を守るだけじゃないですか。現在の大臣になって、お子様のいる家庭、何か変わりましたか?子供は作らないと言っているご夫婦、考えは変わりましたか?もしかしたら、大臣の名前すら知らない人がほとんどなのではないですか。それだけこの大事な教育ということに、世間の関心は薄いのです。うちは子供がいないから、自分は結婚しないから関係ないと思っている人はいませんか?でも貴方たちが老人になった時この国を支えるのは、この乏しい教育を受けている現在の子供たちなんですよ。この意味がわかりますか?現在の子供たちを守るということは、決して甘やかすことではないんです。この子供たちを強く育てられる国になることで、貴方たちが守られるんです。誰1人、無関係なことではないんですよ。この番組を見ている皆さん1人1人が声を挙げないと何も変わらないのです』


 柊木奈津子の圧力に、誰も声を発しようとしなくなった。まさに一人舞台だ。もう私も、みずきも、記者会見をした利喜人くんも蚊帳の外だ。私たちのことはきっかけに過ぎず、柊木奈津子に利用されているだけだ。それは最初からわかっていたが、ここまで大事おおごとになってくるとは思わなかった。私が望んでいるのは、みずきの無事だけ。みずきが無事に、優しい人に拾われて、うちよりも楽しく元気に過ごしてくれさえすれば、それでいい。勝手過ぎるのは百も承知だ。

 でもこんなに騒ぎ始めたら、もしも幸運なことに優しい人に拾われていたとしても、事の大きさに収集がつかず、みずきを殺して逃げてしまうかもしれない。お願いだから、静かにしていて欲しい。もしもみずきが自殺を考えて家出をしたのだとしたら、このテレビをどこかで見て、後戻りできずに自殺を決心してしまうのかもしれない。お願いだから、踏み止まって。


 控え室の外から話し声が近づいてきた。利喜人くんが控え室のドアを開いた。

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