第65話 私の生きる術

 弁護士の韮沢さんは控え室のドアをもう1度開けて外を見て、誰もいないことを確認してから、こちらに振り返るなり利喜人くんに注意した。


「関さん、あれはやり過ぎです。あんなこと言ったら、犯人を挑発してるだけじゃないですか!」


 韮沢さんは声が外に漏れないよう、利喜人くんに顔を近づけて小さな声で咎めた。韮沢さんはは柊木奈津子に紹介された弁護士だ。まだみずきが誘拐されたと決まってないのに弁護士を呼ぶ必要はあるのか、と柊木奈津子に聞くと、この韮沢さんは「マスコミから被害者を守る会」の会長で、記者会見で利喜人くんを守るためと答えた。ただこの記者会見が私たちの思惑、みずきが帰ってくるのが目的ではないこと、柊木奈津子の教育改革のデモンストレーションであることは韮沢さんには伝えていない。あくまでもマスコミからの保護のために同伴してもらった形だ。

 柊木奈津子は韮沢さんのことを、だと紹介してくれた。たぶん柊木奈津子にとっては、利用しやすい都合の良い人なのだろう。


「あんなこと言って犯人を刺激して、娘さん無事に帰ってこなかったらどうするんですか!マスコミなんて、面白おかしく書くだけなんですから」


 利喜人くんの発言を、マスコミたちは誇張して、より犯人を刺激することを心配してくれているのだろう。利喜人くんはなのだ。すみません、つい感情が出てしまって、利喜人くんは俯いて三文芝居をしているが、本気で助けようとしてくれている韮沢さんに少しでも罪悪感というものが湧かないのだろうか。


「私もこの記者会見には反対だったんです。もう始めてしまったことには、今更どうこう言うつもりはありません。でも、警察が公開捜査に踏み切ってくれたことには、これを転機として考えましょう。目撃情報が集まり、きっと娘さんは見つかります。だから奥さんも気をしっかりと持ってください」


 韮沢さんは、私が記者会見に出ないので、私も記者会見には否定的な考えだと思っている。私の意思はというと、正直どっちかわからない。利喜人くんとひかりとの3人の生活を守るために、みずきが帰ってこないことを望んでいる。その手段として、この記者会見に賛成したわけでもない。

 利喜人くんが会見場から去り際に「ぶっ殺す」と言ったことは、明らかに挑発しているので、それが元でみずきが殺されないように願う気持ちはある。利喜人くんは態と挑発したのだ。彼にとって、みずきは血の繋がらない赤の他人で、3人の家庭を守るためにはみずきが死んでいなくなってしまった方が都合の良いのだ。みずきを私たち3人から引き離すのには、どこかで生きていて、いつか出会でくわしたりしない方がいいのだ。最愛の家族を失っても3人で悲しみを乗り越えて生きている、そんな美談まで成立しそうだ。この記者会見によってみずきが助かって犯人が捕まったり、目撃情報によりみずきが見つかり帰って来てしまうことを、利喜人くんは絶対に阻止したいはずだ。

 私は少し違う。私はみずきの無事を願っている。正確に言うと、違うと思いたい。


 この流れになってしまったのは私の意思ではない。いつもそうだ。事の発端は私であっても、ゲームのオート機能のように、周りが勝手に事を進めてしまう。私の意思を聞かれ、私が答えないと心中を勝手に代弁して他人の方が盛り上がって、気づくと私は蚊帳の外。私はなぜ自分の意思を言わないのか。自分の意思がないからだ。

 何も考えていないわけじゃない。他の人がこうしたい、また別の人がああしたいという中で、私までも別の意見を言ったら収集つかなくなる。私の意見が通ったところで、他の人が我慢するくらいなら、私が他人に合わせた方が楽だ。でも自分が我慢するのは嫌だ。だから最初から意思なんて持たない方がいい。その方が丸く収まる。

 むかしからそうだ。私が困っていたり、立ち止まっていたりすると、周りが勝手に騒いで、私の意思に関係なく、気づくと事が済んでいる。最初はそれが嫌だった。意思なんか持つから、嫌な気持ちになるのだ。


 中学生くらいの頃の話だ。仲の良い友達が3人いた。亜香里あかり千絵ちえ穂花ほのかの3人。私を含めて4人で、いつも一緒にいた。

 母に育児放棄をされていた私は、弁当なんか待たされていなかったから、家にあった賞味期限の切れた食パンの切れ端を、教室の隅で食べていると、一緒に食べようと、3人は仲間に入れてくれた。お弁当のおかずを分けてくれた。自分で切ったバラバラの髪型をバカにしなかった。将来美容師になりたいという穂花が、見様見真似だけどいい?と言って、慎重に切って、髪を綺麗にしてくれた。

 千絵は背が小さくて可愛い顔をしているのに変顔とかする面白い子で、穂花は美意識が高くて誰が見ても綺麗な子だった。亜香里は頭も良くてリーダーシップをとれるしっかりした子でクラスでも中心的な存在だった。

 中学3年の夏、みんな受験や進路のことで少しピリピリしている最中、事件が起こった。

 有名私立高校に進学が決まっていた亜香里に進路の相談をするという名目で、学校帰りにマックに寄ったが、進路の話から恋の話に変わってしまった。千絵が好きな男の子ができた、と言い始めた。その男の子と同じ高校に進みたいのだが、千絵の成績だとその男の子が志望している高校の偏差値に少し足りない、そんなような話だった。私はその男の子の名前を聞いた時、少しドキッとした。私も少しいいなと思っていたからだ。でも、千絵が好きなら私は身を引こう、とすぐに思えた。まだ、いいなと思っているからいで、にはなっていなかったから。

 男の子は、穂花と同じ志望校で、同じ塾に通っているらしい。


「勉強教えてって言い訳にして、一緒に勉強しようって誘ってみればいいじゃん。それでいい感じになったら付き合っちゃえばいいじゃん」


「えー、でも私、あんまり話したことないし」


「だったら私、誘ってみるよ。同じ塾だし」


 千絵の恋愛をみんなで応援することになった。最初は穂花も入れて3人で勉強して、千絵と男の子がいい雰囲気になってきたら、穂花がフェイドアウトする。穂花が一緒に勉強するのに参加出来なくなる理由まで、みんなであれこれ考えた。彼氏ができて、そこに男がいると焼き餅を焼く奴だとか、親に言われて志望校を変えるかもしれないだとか、色々。

 みんなで盛り上がっている中、フワッと嫌な予感が浮かんだが、やっぱりそういう予感は当たってしまう。穂花が男の子を誘って、そのまま付き合ってしまったのだ。大したことない、よくある話。

 穂花は私に、七海だけに言うから内緒にしておいて、と言った。内緒にしなければいけないのなら最初から言わないで、という気持ちをグッと堪えて、うん、と快く返事した。

 そういうことは、すぐにバレる。待てど暮らせど、穂花は勉強会をセッティングしないからだ。亜香里は私を呼び出し、知っていて何故黙っていたのか問い詰めた。


「黙っててって、言われたから」


 私はそう答えるしかなかった。千絵は落ち込んで、私の顔を見たくないという。悪いのは私じゃなくて、穂花なのに。気まずいので、あまり4人で合わなくなって暫くしたころ、もっと面倒臭いことになった。

 今度は亜香里と穂花に呼び出された。穂花は男の子と付き合っていると思っていたが、それは穂花の勘違いで、男の子は付き合っているつもりがなかったらしい。それなら、また千絵と仲直りできるのかと思ったが、今度は穂花が怒っている。男の子は私のことが好きらしく、穂花に私との仲を取り持ってほしいと言ってきたらしい。そんなの私に言われても困る。でもあの男の子が自分が好きなんて、ちょっとだけ嬉しくて複雑に思った。そうしたら穂花は、何その顔、と私の頬を張った。


「七海、今、笑ったでしょ。なんなの!アンタが仲間外れになってるの、可哀想だと思って!」


 ショックだった。ボランティア精神で私に声をかけてくれたのを知って、私は膝から崩れそうになった。クラスで中心の亜里沙たちと一緒にいることで、調子に乗っていたのかもしれない。そんなことにも気づかず友達顔していたなんて恥ずかしい。ああ、この人たちなら私も心を許せると思っていたのに。平穏な学校生活が送れていたのも、この3人のおかげ。それが崩壊し始めている。


「七海も好きだったの?」


 亜香里は真っ直ぐ私を見て静かにそう言った。亜香里の迫力に押されて、私は素直に頷いてしまった。


 最低!とまた殴りかかろうとする穂花を亜香里は止めた。七海はどうしたいの?亜香里の質問に私が黙っていると、じゃあ、どうしたらいいと思う?亜香里は別の聞き方にして、もう1度言った。2つの質問、少しだけの言葉の違いで、大きなニュアンスの違いを感じた。

 私は亜香里に試されていると悟った。私の返答次第で、この崩れかけた関係が修復するか、もしくは最小限に留められるかもしれない。私は必死に考えた。考えに考えて、考え抜いて、その男の子と穂花が付き合うのが1番いい、と答えた。

 千絵にはもう脈は無さそうだし、穂花の方はまだ気持ちを伝えてないのであれば、もしかしたら告白すれば男の子と付き合えるかもしれない。私は、千絵と穂花のことを考えたら、その男の子となんて付き合う気になれない。そう考えた。

 2人の暫くの沈黙。亜里沙は何も言わないで立ち去った。穂花は振り返り様に、まさかそうくるとはね、と一言言い放ち亜里沙の後を追いかけていった。

 その日を境に、亜里沙と千絵と穂花は、普段と変わらず仲良くしている。私は3人の仲を取り持つためのスケープゴートにされただけだった。

 あの時、その男の子の悪口でも言えばよかったのだろうか。それとも最初千絵を応援するって言ってたのに裏切った穂花を責めれば良かったのか。そうしたら、仲間外れにされていたのは私じゃなくて穂花だったのか。何が正解だったのか、わからない。

 私なんて意見を言わない方がいいのだ。意見を発したから、周りの非難を浴びてしまう。意見が無ければ、称賛されることもなければ、非難されることもないだろう。私は、私に意見を求めた亜里沙を恨んだ。


 その後、1人ぼっちのまま中学は卒業した。育児放棄の母も、周りの体裁を気にして高校は進学させてくれた。中学の同級生があまり志望しない高校を選んだ。少し偏差値の低い学校だった。幸い同じ中学出身の子たちは大人しい子ばかりで、私がだったことを言いふらすようなことはなく、高校生活は平穏だった。

 私は意見を言わないようにした。みんなで何食べに行く?と聞かれても、何食べようか?と流し、誰かが誰かの悪口を言っても、賛同することも否定することもなく、うんうん、と頷いてやり過ごした。相手はそんな私を見て、七海は優しいなぁ、と勝手に解釈してくれる。我慢するのは嫌だ。でも誰かを騙すのも嫌だ。だから自分を騙す。我慢ではない、誰かの言っていることを自分もそうだと思い込ませるのだ。他人に身を任せることで、自分の平穏が手に入る。そんなことを繰り返すうちに、私は意思を持たないようになった。でも、その方が何事も全てうまくいってる気がした。それが私の生きるすべ


 だから利喜人くんのことも、柊木奈津子のやり方にも否定はしない。そういう流れなら、それが1番みんなの正しい道なのならば、私にとっても正しい道。

 みずきが辛くて、『チャミュエル』とやらに助けを求めて、それで私を選ぶことがあったとしても、私はそれを否定してはいけないのだ。

 私はみずきが幸せに生きていてほしい。でもそれに、私は力添えをしてあげることができない。だから、私のという意思も捨てなければならない。


 私は、そうやって生きてきた。




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