第38話 あざとさと財布と運転免許証

 中央署に着き、生活安全課を尋ねると、どういったご用件でしょうか、と女性の事務員が事務的に言った。さっに電話したんですけど娘が昨日から帰って来なくて、と事務的な女性の口調に釣られて、こちらも淡々と話してしまった。もっと取り乱した感じを出した方がよかったのか、と思ったが今更態とらしくするよりも、こっちの方が現実的ではないだろうか。心配で気が滅入っているように受け取ってもらえないだろうか。


「捜索願ですね、あちらにお掛けになって、少々お待ち下さい」


 こちらの心配を他所に、事務員は事務的に事を進める。私はこういうお役所みたいなところが苦手だ。まあ、得意な人はそういないだろうが、以前母子家庭になった時、生活保護を受けようと安易に区役所を尋ねたところ、盥回たらいまわしにされた挙句、2週間も待たされて、生活保護を受けられなかった。私はもう1度区役所へ行き、何故受けられないのか理由を訊くと、そんなに大変なら何故養育費を請求できるよう弁護士さんに相談すればいいじゃないですか、と嫌味を言われ惨めな思いをして帰ってきた。

 こういうところは、態と面倒な手続きをさせ、諦めさせるように仕組まれているのではないかと疑ってしまう。きっと、また盥回しにされるんだろうな、と指示された椅子に座ると、小脇にファイルを抱えた警察官と思しき男性が小走りで近寄ってきた。


「先程のお電話の方ですね」


 私は頷き、関です、と名乗った。


「奥へどうぞ」


 私はその警察官についていくと、パーテーションで仕切られた応接間みたいなところに通された。警察官はテーブルにファイルを置くと、ソファに座るよう掌で示したので、座った。向かい側に警察官も座る。


「担当させていただきます。生活安全課の三輪と申します」


 三輪と名乗った警察官は、テーブルの上に名刺を置き、私に読めるように向きを回転させ、私の手前までスライドさせた。『生活安全課 巡査部長 三輪英之』と書かれていた。私と同じ歳か、少し上くらいの年齢に見える。


 ファイルから紙を出し、それが捜索願と分かるよう丁寧に私の前に並べた。


「身分証の確認させていただいてもいいですか」


 私はバンドバックを覗き、運転免許証の入っているカードケースを探した。ポイントカードが入っている赤いカードケースを手に取り、中を見たが運転免許証が入っていない。病院の診察券などが入っている黄色いカードケースの方かもしれない。最初に出したのは赤いカードケースを元に戻し、ゴソゴソと奥に手を突っ込んで、手にしたカードケースはまた赤だった。


「このテーブルの上に広げてもいいですよ。あ、あと娘さんの写真も拝見できますか?」


 携帯は上着のポケットに入れていたのですぐに出し、写真ホルダーから娘の画像を見せた。黄色いカードケースはまだ見つからない。テーブルの上に赤いカードケースと財布と化粧ポーチを出した。化粧ポーチが大きくてハンドバックの大半を占めていたので、中身が空いたハンドバックを除くと、黄色い革のカードケースが見えた。取り出して開くと、そこにも運転免許証がない。あれ?どこへ仕舞ったっけ?出がけに確認して、運転免許証を見た記憶がある。

 ふと誕生日に利喜人くんからプレゼントされた私の財布が視界に入った。そうだ、財布の中だった。


「先にこちらを記入しましょうか」


 気を遣ってくれた警察官の三輪さんが、ボールペンを差し出してきた。すみません、ありますあります、と慌てて財布の中から運転免許証を取り出す。小さい頃から私はノロマだと言われることが多かった。動作が鈍いのだ。こういうところが同性を苛立たせてしまうらしい。べつに故意にやろうとしているわけではないに、異性の前だと自然と出てしまう。計算だとか、あざといとか言われても仕方がない。でも大抵の男の人は、俊敏で何でもチャカチャカこなす女より、こういう鈍臭い女の方が好みの場合が多いと思う。現に目の前の三輪さんも、私の鈍い動作を優しく見守ってくれている。


 捜索願を書き終え、所定の箇所に判を押した。捜索願を書いている間、警察官の三輪さんは席を立ち、iPadを持ってきた。じゃあ画像転送させてもらいますね、と私の携帯とiPadをケーブルで繋ぎ、みずきの写真を落としていた。


「それでは2、3確認したいことがありますが、よろしいですか?」


 はい、と私はか細い声を出してみた。自責の念やら憔悴感やら、いろんな気持ちがい混ぜになった絶妙な返事をすることができた。


「娘さんを最後に見たのは、いつですか?」


 虚な目を三輪さんに向けてみる。それはどういう意味ですか、という気持ちを視線に込めてみた。


「あ、その、変に捉えないでください。行方不明になる前に娘さんの姿を確認した時間です。朝学校へ出てから帰って来ないのか、1度帰宅して遊びに出かけてからなのか、とか、そういうことです」


 私の醸し出した偽りの雰囲気に、慌ててしどろもどろになる三輪さんのことを可愛いと思った。


「ランドセルが家にあったので1度帰って来てると思います。私は出かけていたので、娘の姿を見たのは、朝が最後です」


 私はまた適当な嘘を吐いた。三輪さんはファイルから出した紙に私の供述を書き留めている。


「昨日の夜や、今日の朝、なにか変わったことはありませんでしたか?」


 昨日や今日のことを訊かれても、いなくなったのは3日も前なんだから答えようがない。私が言い淀んでいると、三輪さんは質問の仕方を変えた。


「たとえば、娘さんと喧嘩したとか、昨日もの凄く怒ってしまったとか。何か思い当たる節はないですか?」


 昨日も今日も、喧嘩や怒ってはいないけど、思い当たる節しかない。私は天井を見上げ、そのあと肩を落として俯いた。深い今はない。なんとなく、そうした方が落ち込んでいるように見えるのではないかと思った。


「いや、10歳くらいのお子様が叱りつけたことがきっかけで家出するということが多いんです。学校で嫌なことがあったりとか悩みを抱えている時に叱られて、家は自分の居場所じゃないと感じて家出してしまうとか、まあ多感な年頃ですから」


 そうか、みずきは私たちの家が自分の居場所じゃないと感じていたのか。そう思うと全てが腑に落ちる。利喜人くんの暴力に耐えかねて、それを見た見ぬフリをしている私に愛想を尽かしたのかもしれない。みずきは家出したんだ。


「その場合はすぐに見つかることも多いです。あとは事故の可能性もありますが、今のところそのような事故の報告はありません。それと.....」


 三輪さんが言葉に詰まったので、私は顔を上げた。


「これは皆さんに聞いているので、お気を悪くせずに。あの、とか、その。いやいや、そんなことはないと思うのですが、よくあるんですよ、躾のつもりが多少いき過ぎたり、子供にとっては躾と受け止めていなかったり。娘さんに手をあげたりしたことありますか?」


 それは、と私は少し溜めてから自分の生い立ちを話し始めた。自分が子供の頃虐待されていたこと。シングルマザーになり大変な思いをしたこと。自分が虐待されていたせいで子供の叱り方がわからないこと。再婚したこと。その再婚相手との間にも子供が生まれたこと。夫は実の娘も、連れ子の娘も分け隔てなく愛してくれていること。最後のは嘘になるが、色んなことを整理せず、話した。順を追って整然と話すよりも、よりリアルに聞こえるだろうと、思いついたことを散り散りに話した。嘘がバレないように、また俯いた。


「主人は血の繋がらないみずきのことを、本当の娘、それ以上に大切にしてくれています。自分の娘だと思っているからこそ、ちゃんと躾ようと強く出てしまったこともあったかもしれません。それだったら、悪いのは私です。私はあの子になにもしてあげれませんでした。あの子になにかあったら、私どうすればいいんでしょうか」


 私は鼻を啜った。俯いたまま鼻を啜ると、泣いているように見えるらしい。


「奥さん、すみません。まだ、なにかあったと決まったわけじゃないんです。どうぞ、お気を強くお持ちください。ただ虐待か聞いたのは、まだ公開している情報ではないんですが、連続幼女誘拐事件のことはご存知ですよね」


 私は小さく頷いた。


「山梨県で4件、神奈川県で2件、静岡県で3件の計9件の報告があります。私共はこれを同一犯と考えていますが、まだ確証はありません。ただこれを同一犯と考えているのが、まだ公にはしていませんが、これらの被害者の共通点が家庭で虐待されていた子供たちだということなんです」


 私はというワードに、胸の奥にチクリと頭を感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る