記憶喪失ライフ

伊介弥太郎

第1話 夢を見た後で

 規則的な模様が並んでいる。それが天井の模様だと気づくのには、少し時間がかかった。私の知っている天井ではない。辺りを見渡そうと体を動かすと、左腕に点滴されていることに気づいた。


(ここは病院か?倒れて運ばれたのだろうか。)


 辺りに他の患者どころか、ベッドは自分のもの1つしか無い。個室の病室なのだろう。換気のためか少しだけ窓が空いていて、心地よい風が入ってくる。枕元にデジタル時計が置いてあった。今の時刻は、10時13分。

 起きていれば、そのうち看護士が部屋に入ってくるだろう。しかし待つのも億劫だ。なぜ私が今病院にいるのか気になって仕方ない。頭の近くにあったナースコールを押した。


(しかしなんで病院にいるのか、全く記憶にない。思い出せない。最後に覚えているのは……) 


 そのとき、病室のドアが開き、若い女性看護士が入ってきた。

「すぐに先生が来ますので、少々お待ちください。お体の具合はいかがですか。」

「ああ、ありがとう。すこぶる元気なものさ。」

「それは良かった。」

 彼女は微笑んだ。胸元にネームプレートには、高橋と書いてある。

「いつ私は、ここに運ばれたんだい?」

「昨日の17時頃です。」

「そうかい。昨日の夕方に自分が何をしていたのか思い出せないなんて、年は取りたくないもんだね。」

 コメントに困ったのだろう。高橋さんの表情が少し固くなった気がした。

「救急車でご自宅から搬送されたと、記録にはありましたね。昨日、私はお休みをいただいていたもので。」

 自宅から搬送されたとなると、倒れたのは自宅ということになる。倒れる前に救急車を呼んだのだろうか。幸運だったものだ。

 倒れる前のことを思い出そうとしていると、医師であろう男性が部屋の中に入ってきた。

「お体の調子はいかがですか?」

「この歳になれば、色々とガタが来ているもんさ先生。」

「お元気そうで何よりです。私は関口と言います。」

「ご丁寧にどうも。それで先生、俺はどうしちまったんだい?」

「ご自宅で倒れて、救急車でここへ運ばれました。運ばれたときには、既に意識はありませんでした。」

「そうだったか。助けてくれて、ありがとう先生。」

「いえいえ、これも栗原さんの頑張りがあってこそですよ。」

「栗原さん?もしかして運ばれた俺を助けてくれたのは、関口先生ではなく栗原先生って人なのかい?」

「えっ……?」

 先生の表情から穏やかさが消え、少し緊張したような真剣なものに変わった。病室に変な空気が流れる。高橋さんも驚いているのか、私と先生を交互に見て落ち着かない。

「……すみませんが、簡単な質問に答えていただいてもよろしいですか?」

「お、おう。何だよ先生。」

「……ご自分のお名前がわかりますか。」

先生はさっきとは違う少し低めの声で聞いてきた。

「何言ってんだよ先生、俺は…………」


(俺は……?)


「…………駄目だ。これは、記憶喪失ってやつかい?」

「記憶障害の可能性は否定できません。また目覚めてから間もないですから、頭のエンジンが起きていないだけかもしれません。」

「……ああ、確かに俺は寝起きは悪い。いや、悪かったと思う。多分。」

「記憶障害にもいろいろあります。日常の生活動作すら忘れてしまい、生活すること自体が困難になってしまう場合もあります。ナースコールを押されていることや、これまでの会話を考えれば、そういった類の記憶障害ではないと考えられます。おそらく部分的な記憶が思い出せていない状態でしょう。」

「あ、ああ。正直、なんて言えば良いかわかんねえな。記憶喪失なんてドラマの世界だろう?なんて言えばいいのかな。何だかすごく気持ち悪いって感じだ。」

少し間があって、先生は気まずそうに切り出した。

「……実はですね、昨日運ばれた直接的な原因はよくわかっていません。この後、様子を見て全身の検査をしていきたいと思います。」

「わかったよ、先生。よろしく頼む。ところで先生、いろいろと思い出していきたいんだが、とりあえず俺の名前、教えてくれないか。」

「あ、ええ。すみません。お名前は、栗原幸一くりはらこういちさんです。」

「栗原……幸一か……。」

自分の名前だと言われても、しっくりこない。まぁそのうち思い出すだろう、と楽天的に考えることにした。多分記憶を失う前の俺も、能天気だったに違いない。それだけは、何となく確かなものだと思えた。



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