第2話 指輪、欲しい?
* * * *
「未涼?」
名前を呼ばれて、私はハッと我に返る。
慌てて顔を上げると、目の前の人は涼しげな表情に少しの心配をにじませていた。
「ご、ごめんなさい……ちょっと、ぼーっとしちゃって……」
申し訳なさすぎて、私は縮こまりながら謝る。
駅前のカフェで遅めの昼食を取りながら、さっきまで映画の感想を言い合っていた。
今日一緒に見た映画は、私の好きな小説が原作のものだ。
恋愛もので、心情描写が切なくて、けれど最後にはハッピーエンド。映画のラストシーンがプロポーズだったから、数日前の多恵ちゃんとの会話をつい思い出してしまった。
付き合ってもらったのは私のほうなのに、ぼんやりして話を聞き逃すなんて、何をやっているんだろう。
「別に、大したことは話してないし。調子悪いなら今日はもう帰る?」
「だ、大丈夫!」
私は泣きそうな気持ちになりながら声を上げた。
せっかくのデートで、まだ日も高い時間に解散なんて寂しすぎる。
心配をかけてしまった私が悪いとわかっているけれど、本当に体調にはなんの問題もないんだから。
私の必死さが伝わったのか、木内くんはかすかに表情を和らげて、笑みを形作った。
もう数えきれないほど見ているはずの彼の微笑みに、私の心臓が慣れてくれる日はいつか来るんだろうか。
ドキドキと鳴る鼓動を耳の裏に感じながら、私はそんなことを考えた。
木内くん――
私と多恵ちゃんと同じ高校で、同じ学年だった人。
そして……私の、彼氏、だったりする。
今でも、夢みたいだって思ってしまうけれど。
「ちょっと、多恵ちゃんと話してたこと思い出して。それだけ」
「……小川さんと?」
木内くんは少しの間を空けて聞き返してくる。
多恵ちゃんと木内くんは、高校三年間で一度も同じクラスになったことはない。
私を通じて顔を合わせたことがある程度の、知り合いと言えるのかもわからない関係だ。
それでも、仲のいい幼なじみのことは付き合う前からよく話に出していたから、むしろ普通の同級生よりも多恵ちゃんのことを知っているかもしれない。
木内くんはいつも、あまり話し上手じゃない私の言葉を急かすことなく待ってくれる。どうでもいいような話だってちゃんと聞いてくれる。
だから、友だちといると聞き役に回ることの多い私も、彼と一緒にいるときはついついしゃべりすぎてしまうのだ。
「うん、幸太さん……彼氏さんに、プロポーズされたんだって。すごくしあわせそうで、よかったなって」
「……そっか」
「指輪もきれいだったなぁ。約束を形にしてくれたのがうれしい、って言ってた。そういうの、すてきだよね」
多恵ちゃんの指できらきらと輝いていた指輪を思い返してうっとりしてしまう。
恋がそのまま結婚につながるわけじゃないとわかってはいても、漠然とした憧れのようなものはある。
いつかは私も、好きな人と……って。
「指輪、欲しい?」
その好きな人は、真顔のままそう問いかけてきた。
一瞬、息が止まった。
そうして次の瞬間、爆発するみたいに一気に全身に熱が広がっていった。
冷房の利いた店内は少し肌寒いくらいだったのに、今だけはもっと強くしてくれてもいいと思った。
「いいいいいいいらないっ!! ご、ごめん! 催促に聞こえちゃったかな!?」
「いや、そんなことはないけど」
大慌ての私とは対照的に、木内くんは涼しい表情のままだ。
木内くんは基本的に感情をわかりやすく外に出すことはないけれど、声のトーンや雰囲気でなんとなく読み取ることができる。
たぶん、本当に気にしていないんだろう。よかった、と私はほっと息をつく。
友だちの話をしながら、間接的にプレゼントをねだるようなずるい女だとは思われたくなかった。
そんな考え自体が、すでにずるいのかもしれないけれど。
「あの、ね……」
自分の気持ちを話すのは苦手だ。
鈍くさい私はいつもみんなのペースについていけなくて、受け身に回ってしまうことが多い。
でも、木内くんは、そんな私の話をちゃんと聞いてくれる人だから。
とても大事な、特別な……好きな人だから。
言葉を惜しみたくない、と思う。
「一緒に、いられるだけで、うれしいの」
声は震えてしまったかもしれない。それでも、木内くんにさえ伝わってくれればそれでいい。
確かなかたちが欲しい気持ちはとてもよくわかる。私だって、欲しい。
私があまりアクセサリーをつけないからか、今まで木内くんから身につけるものをもらったことはない。
もし木内くんから指輪をもらったりしたら、うれしすぎて小躍りしてしまうかもしれない。たくさん泣いて木内くんを困らせてしまうかもしれない。
でも、そんなものがなくたって。
私は今でも充分すぎるくらい、木内くんからもらっている。
「……そっか」
木内くんは微笑んで、俺も、と小さな小さな声で付け足した。
ほら。
もうそれだけで、胸がいっぱいに満たされて、涙がこぼれそうになる。
これ以上なんて望んだら、きっとバチが当たってしまう。
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