鬼神的身体
むぎばた
000
山には鬼が棲んでいる。
そういう噂がある。
噂というからには、その姿を見た人は誰もいない。ただ、自分たちを傷つける何か怖いものだと思っている。
人が山へ入らなくなって久しい。
昔は「しばかり」をしたり「うばすて」をしたり、おれたちの生死とどこか関係した場所だったという。山がかつて持っていた生産性や幻想は、もう間接的にさえ人々の生活に影響しない。
かく言うおれも、「しばかり」も「うばすて」もよく知らない。山はただの地形の隆起にしか見えない。
意味なんて知らなくても生きてはいける。
おれたちは永遠に死なない気さえしている。
「鬼が出たんだって」
春歌が言った。
昼休みのことだ。
まだ少し肌寒かったけれど、おれたちは屋上で弁当を食べていた。
「隣町の子が食べられちゃったんだって。昨日の夜。右腕を残して」
春歌の話し方には抑揚がない。
昔からそうだ。昨日の夕飯の話でもするみたい。
おれも大げさな返事をできるわけではない。鬼はただ怖いものでしかなく、実際に現れたからといって何が起きるのか想像できない。
残された腕を思ってみる。
暗闇に淡く光る白い腕。細い手首。しなやかな指先。爪。
それは無駄に神秘的な印象を伴っている。おれは隣町へ行ったことがないから、現場の風景を思い描けない。
ふかく考えず、おれは尋ねる。
「食べるって……見た人はいるの」
「はっきりと見たって人はいないよ。腕が落ちてただけ。ただ、事件の前日から街のあちこちで鬼っぽいのが目撃されてたんだって」
「ぽいって、目で見て鬼と判断できるものなの」
「角があったらしいもの」
「角があれば、鬼なの?」
「あと、すごく大きくて、野蛮なかたちをしていたらしいよ」
おれは、おれたちのような形状しか知らない。
といっても、おれと春歌にも違いはある。彼はおれより少しだけ背が低く、どの部分も丸みを帯びていて、柔らかそうに見える。おれは痩せぎすで硬い。
「鬼も何か食べるんだな」
おれはうわの空で呟く。
「そりゃあ、食べるよ。……けど、なんで今になって山から下りて来たのかな。なんで人なんて食べのかな」
「山に食べものがなくなったから、とか」
「何食べてたんだろ。獣とか?」
「体に悪そう」
「野蛮だもの。料理なんてしないよ」
「おれも料理はしないな」
「野蛮だね」
「春歌はすごいよ。毎朝自分でお弁当作ってくるんだから」
「夕飯の残りを詰めているだけだよ」
話題は鬼から逸れていく。
特に気にはしない。隣町の事件でも、おれたちにとっては異国の話のようで、切実なこととして感じられない。
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