第12話 人狼の軍隊

 人狼はフィニの腕を掴んだ。

 フィニは抵抗するが、大人の力に勝てずに引きずられてしまう。イーラはフィニの胴に腕を巻きつけ、体を捻ってフィニを人狼から奪い返した。


「ちょっと! 死霊魔術師デュラハンの通報なんて嘘なんじゃないの?! 誰もそんなの見てないわよ!」


 イーラが啖呵切るが、人狼は涼しい顔で鼻を鳴らした。人狼はフィニの襟首を掴んでイーラを蹴り飛ばした。


 空気を吐き出し地面を転がるイーラにエミリアが駆け寄る。肺を刺す痛みに激しく咳き込み、上手く息を吸えないイーラを見下みくだして人狼はフィニを兵隊に投げて渡した。


「人間には分からないだろうが、死霊魔術師デュラハンからは死臭がする。見習いだろうが手練だろうが、それは変わりない。庇ったお前も連行対象だ」


 人狼は今しがた蹴り飛ばしたイーラに手を伸ばした。それをエミリアがはじき飛ばす。キッと睨みつけて「触るな」と威圧するが、男はエミリアを冷たい視線で見つめていた。

「あなたは無垢な子供を傷つけました。わたくしの大事な仲間ですわ。いくら議会の専属軍隊とはいえ、このような蛮行が許されてはいけません」


「何を偉そうに『神殺しの巫女』」


 エミリアは口を閉じた。

 イーラは人狼の足元を見つめていた。

「ヴォイシュの巫女がまさか犯罪者とは思わなかった。だがその身にこびりついた蛇の血の臭い、ヴォイシュの神のものだろう。神殺しの巫女の噂も聞いていた。お前が犯罪者なら死霊魔術師デュラハンと一緒にいるのも頷ける」

「·········」


 イーラは頭に血が上る。

 フィニを捕まえ、エミリアに詰め寄る男が許せなかった。

 イーラは砂を掴み、力の入らない足で立ち上がると、人狼を睨みつけた。

「さっきから好き放題してくれるけど、偉い人ってわりには手順を踏まないのね。私でも知ってるわ。死霊魔術師デュラハンの通報があったらまずは書類の提示、次に事実確認してようやく連行でしょ」

「この遊撃隊は人狼で構成されている。正確性はほぼ100%だ。人間ごときの面倒な手順を踏む必要は無い。非効率的だ」

 イーラは意地悪な笑みを浮かべた。

 男を見上げ、自分がやられてきたような、嘲りを吐く。



「そうよね。あなた、ワンちゃんだもの」



 人狼はあからさまに怒り出した。腰に構えた剣を抜き、イーラに向かって突いた。だがその剣は、イーラの後ろにいたリムバが的確に跳ね返した。

 人狼が一瞬下がった瞬間、ドワーフたちが一斉に兵隊に襲いかかった。兵隊は混乱し、応戦し、和気あいあいとしていた砦は互いに傷つけ合う阿鼻叫喚あびきょうかんと化す。


 イーラはエミリアとフィニの腕を引き、乱闘のどさくさに紛れて砦を脱出した。

 リムバがその背中に叫んだ。




「船は海に浮かべてある!兵隊が来る前に早く逃げなせぇ!」




 人狼はリムバを飛び越えてイーラたちを追う。リムバは男の護衛に出てきた兵隊に押さえつけられた。エミリアが悲痛な悲鳴をあげるも、リムバは「早く行け!」とイーラたちを案じていた。

 イーラはリムバから貰ったナイフを強く握った。


 それでも人狼は追ってくる。

 狭い木々の隙間を縫って走り、岩だらけの斜面も軽々と飛び越える。獣と同等の身体能力で距離を着実に詰めてきた。

 エミリアは杖を胸に押し当て、祝詞を唱えた。



「土よ、我が身の魔力を糧として、迫り来る危機より無垢なる子供を守り給え!」



 エミリアが杖で地面を削ると土はボコボコと動き出し、茨のようになって人狼の体に巻きついた。

 その隙にフィニが紙を煩雑に貼ったような玉をカバンから取り出すと、人狼に向けて投げつけた。緑色の粉を舞わせ、玉が破裂すると人狼は苦しそうに鼻をつまんだ。

死霊魔術師デュラハンのお守りなんだ。人狼に出会った時、これを使えば逃げられる」

「すごいですわ! しかし、匂いが残っていてはまた追われますよ」

「大丈夫! 一時的に鼻が効かなくなるからその間に距離を稼ぐんだ。時間が経てば匂いが薄くなって追えなくなるから」

「やるじゃない! 見直したわよ!」

「え? えへへ、そう?」


 森を抜けると海が見えた。

 その先には船も見える。イーラは間近に迫ったゴールに安堵のため息を零す。だが喜んだのも束の間、そこには兵隊が先回りしていた。

 槍を構え、イーラにその矛先を向ける。

 足を止め、森に引き返そうとすると、青い顔をした人狼が鼻をつまんだまま現れた。

「もう逃げられないぞ。大人しくついて来い」


 ──万事休す


 イーラは唇を噛み、思考を張り巡らせる。

 薬を使うか? いや、持ってる薬に今使えそうなものは無い。組み合わせる? 毒に変えては被害が出る。自他ともに危険だ。ならば物理攻撃か? いや、それこそ無謀だ。大人に適うわけもないし、多勢に無勢で勝てるものか。更に応援を呼ばれる前に何とかしないと······──



『風の戯れ 精霊の気まぐれ』



 聞いたこともない声が降ってきた。



『そよ風は噂が好き つむじ風は葉っぱの音が好き』



 さわさわと弱い風が全員の体をなぞっていく。



『竜巻はひとりぼっち 精霊もひとりぼっち』



 そよ風の温かさがイーラの頬を撫でた。



『風の目指す先 風の見つめる先は青い空の彼方』



 イーラは空を見上げた。



『自由のその先へ 世界樹の佇む世の先へ』



 イーラよりも若い女の子が踊るように空を舞っていた。誰もが目を奪われる珍しい深緑の髪と花びらのような服。足首についた飾りが陽の光に当たってキラキラと輝いた。


 女の子はイーラを見つめた。何種類もの色が混じった瞳がイーラを映し、イーラもまた、その瞳から目が離せなかった。



『風の雄叫び』



 彼女がそう呟くと、突風がその場を襲った。

 足元からさらっていく風に吹き飛ばされそうになるも、エミリアが咄嗟に創り出した壁に身を隠し、兵隊が飛ばされていく様子を眺めた。

 風が止むと、女の子も姿を消していた。

 飛ばされた兵隊は遠くで重なり合い、槍でケガをしたり木に腕をぶつけて腫れたりと自滅していた。

 イーラは彼らに手を伸ばしたが、その手をエミリアが掴んだ。


「······船へ!」


 小船に乗り、離れた沖合に留まった船に乗り込む。

 浜の上では追えなくなった兵が呆然とイーラたちを見送っていた。

 人狼が兵隊を集め、的確に指示を飛ばす様子も見えた。

 イーラは帆を張り吹く風に任せて船を海原へと走らせる。フィニは船尾に立ち、浜の方を見つめていた。

 エミリアは杖を掲げ、空に祈る。

 イーラは今まで世界樹の聖堂への道が、陸地を越える旅になるとは思っていなかった。

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