BLUE
森山 満穂
track1 藍色
海鳴りが割れるような音と共に光景は青に包まれた。
完全な青というよりは、色褪せた白黒写真が映す藍色に近い。事実、それは十年も昔の記憶であって、写真の中に入り込んだように世界は静止し続けている。
僕は幼い頃の姿で、コンサートホールの舞台に立っている。
向かい合う観客達は皆、真っ青な顔をしていた。目の前に仁王立ちしている男のジャンパーも陰に覆われた顔も青い。足元に横たわっている父の姿も青い。父の腹部から流れ出す血も青かった。飛び散ったそれも、生温かいはずなのに身体の芯から冷たく感じる。
気がつくとそれは、インクのように皺の間に入り込み、皮膚全体に染み込んできた。指先から腕へ、頬から首筋へ、色の濃度を深めて体を侵食していく。僕は恐怖で身動きが取れず、助けを求めて辺りを見ても、見開かれたいくつもの双眸は、こちらを見据えてただ青さを増すだけだった。
とうとう喉に流し込まれた青は、呼気を凍らせ、呼吸をも縛りつける。鼓動はひどく高まっているのに、どんどんと体は機能を停止するほどの冷気を纏って凍っていくばかりだった。ついには視界にぬらりと青の幕が下り、意識は薄れゆく彩度とともにゆっくりと飲み込まれていく。
「
その声で、殴りつけられるように青の世界に沈み込む。深く、深く、どこまでも深く。熱は抜け、ただただ青に体が吸収されていく感覚に溺れる。薄れゆく意識の中で、僕は急激に理解していた。もう一生、この世界から逃れることはできないということを。
*
真っ白なはずの天井が水色がかって見える。目を覚ましてそれを認識した途端、滲み出るように身体のだるさを感じた。また、やってしまったか。自室のベッドに横たわりながら、ため息とともに心の中で呟く。ゆっくりと瞬きを繰り返し、視界に薄く塗られたその色が消えては立ち現れる様子をなんとなしに見つめる。そんな静かな習慣を破ったのは、視界の端から現れた母の困り顔だった。
「蒼斗、大丈夫?」
母の心配そうな声が耳に届く。大丈夫だよ、と僕は母を安心させるために起き上がった。冷え切って蒼白い指先は、手をついたシーツの感覚をぼんやりとしか認識させてくれず、まだ血液が行き届いていないことがわかる。急に起き上がったからか、軽く眩暈もしていた。母の顔がさらに悲しく歪む。だめだ、しっかりしろ。揺れる視界を振り切って、手のひらを握り込む。ぎこちなさがばれないように、意識して口角を上げる。大丈夫。ちゃんと、笑えているはずだ。だが母は困り顔のまま、僕を見つめていた。
「ごめんね。私が急に入って来てしまったから……」
「僕が不用意に歌ってたからいけないんだ。母さんのせいじゃないよ」
母の言葉を遮るように口にする。気持ちが焦ってしまったからだろうか、語尾が強めになってしまった。途端、母の顔はみるみる曇っていき、ついには両手で顔を覆って泣き始めた。
「貴方までいなくなったら私……どうしたらいいの」
ため息をぐっと堪えて、嗚咽を漏らして泣く母を優しく抱きしめる。震える背中を、赤子を寝かしつけるように一定のリズムで叩き続けた。
「大丈夫だよ。いなくならないから。一人にしないから」
呟きながら、呪いのようだと思った。感覚を取り戻した指先が、触れるたびにじわりと悲しみを吸い取っているように感じる。まだ、目の前の壁は水色がかって見えた。
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