第12話 天体観測っぽいの
僕の学校生活は、放課後までは語ることが何もない。
でも、学校生活ってそういうものだろう。これは僕が友達がいないからとかじゃなくて、どんな人も、黙々と板書をしているだけの授業風景なんて語るに値しないと判断するだろう。
だから、今日も今日とて僕の星陵高校での描写は放課後から始まる。
つまらない授業をつまらなく過ごして、昼休み一人で昼食を摂って、午後の授業を打とうと過ごして、HRで先生の話を聞き流して、解散した後は自分の席で少しぼーっとして、それから屋上前の天文部室のドアを引く。そこから僕の高校生活が始まるのだ。
「……あのっ。この前は……本当にごめん」
もうすっかり見慣れた埃っぽい部室ではいろりさんがソファの上にちょこんと座っていて、僕の姿を認めるなりこちらに駆け寄ってきて頭を下げた。
「いや……全然気にしてないけど」
「話している内にどんどん卑屈になっちゃって……二幹くんにあたったわけじゃないんだけど、そういう感じになっちゃって…………」
だんだんといろりさんの声が、しぼむように小さくなっていく。
それに合わせて背中も、猿のようにしおしおと丸くなっていった。
「僕はそうは思わなかったし、怒ってもないし、気持ちが尖っちゃうときは誰にでもあるよ。だから、謝らないで」
「……ごめん」
僕のつまらないテンプレートみたいな言葉にも、いろりさんは心を痛めるように眉をしぼませた。
そういうのは辞めて欲しい。どうやって声を掛けたらいいか分からない。慰めたりフォローしたりのやり方が分からないしきまずい。
明るい雰囲気には混ざれないけれど、暗い雰囲気は苦手なのだ。
「……もう謝るのはやめよう」
それでも僕は、どうにかして言葉を紡ぎだす。
いろりさんの表情を窺いながら、脳味噌の細胞を総動員して、何とか先に進ませようとする。
「それじゃあきりがないし、気持ちも沈んだままだし、……何より僕も心が痛い」
「……ごめんね」
「……ごめんは今ので最後だから。もういろりさんは十分謝った。自分が失敗だと思うことをしちゃって、それに対して謝罪した。今はここまで終わった。その次にしなきゃいけないことは何かな?」
「……再発防止策…………?」
「そうだね。じゃあそれを考えよう」
とりあえず座ろうと僕は促した。僕が一足先にマイ椅子に腰を下ろすと、いろりさんも難しい顔で腕を組んだままよろよろと歩いてきて、そのまま後ろ向きに倒れるようにしてソファに身体を沈めた。
「……うー?」
「分からない?」
「分からない」
「教えてあげようか」
「知ってるの?」
「うん。多分」
「……教えてくれる?」
「いろりさんは、もっと僕に甘えていいと思う」僕は言った。「……ちょっと誤解を招くような言い片だけど」
「甘える……?」
「僕に自殺の補助を頼んでる時点で、まあ俯瞰的に見て、僕に迷惑とか負担は掛かってるんだよ」
「……ごめん」
「謝らない。だのにいろりさんは、その上で僕に迷惑を掛けまいと、負担を掛けまいとしてる。矛盾してるんだよ。迷惑を頼んでるのに迷惑させたくない。そりゃあ心が痛むはずだ。それはいろりさんが、僕に甘えきれてないんだ」
「…………」
「もっと甘えていい。というか甘えてくれなきゃ困る。じゃなきゃ僕もいろりさんにあれしようこれしてみようって言い辛い。そのたびに『迷惑かけてごめんね』なんて言われたくない」
「……ごめ――」
「謝らない。だから、いろりさんは僕に自殺のお願いをしてる以上は、もっとちゃんと堂々と迷惑をかけて欲しい。僕もそれに答えられるよう頑張るからさ」
「…………」いろりさんはたっぷりと黙ってから、「うん」とはっきりと頷いた。
*
これは、自意識だ。
だけれど、ナルシシズムの様な自惚れとは違う、ネガティブな自意識。
例えば「自分は人に迷惑をかけている」とか、「今あの人は私のことを笑っている」とか。
必要以上に人への加害者意識を感じ、実際には存在しない中傷を想像し、言われてもないのに傷付いてしまう。
自意識は「尖っている」なんて表現をしばしば使われるけれど。
この場合はただ歪んでいるだけだ。
そしていろりさんはそれに怯えている。迷惑をかけることに、それに対して自分が悪く思われることに、びくびくと、自分の心の部屋の隅で怯えている。実際には存在しないものに怯えている
そういう場合、人の取る行動は大きく二通りに分けられる。自分を強くするか、相手を弱くするか。
自分を強くするというのに説明はいらないだろう。相手を弱くするとは、「お前なんて取るに足らない」「自分の方がずっと優れている」と虚勢を張ったり相手を卑下して、自分の中で相手の存在を小さくしてしまうことだ。
だけれどこちらは正しくはない。間違っているとは言わないけれど、少なくともも徘徊等から遠いものだ。
だけれど、いろりさんがしているのはそのどちらでもない。強くなってもないし、弱くなってもない。
じゃあ何か。予防線だ。精神的苦痛への予防線。
「あの人は私のことを迷惑だと思っているはず」「あの人に陰で悪口を言われてるはず」「私はそれを知っている」「だから大丈夫」「嫌われることを知ってるから」「何を言われても」「何をされても」「ダメージは少ないんだから」。
つまりあれだ。
裏切られるくらいなら、傷付くくらいなら。
最初から人を信じない。友達なんて作らない。人に心を開かない。
そういうやつだ。
だから僕は、それを否定する。
自分の周りの環境を、うがった見方をせず、歪んだ予防線を張らず、そのまま受け止めさせる。
友達と遊んだ。楽しい。先生から褒められた。嬉しい。話したことの無いクラスメイトから声を掛けられた。仲良くしたい。そう思わせる。
いろりさんの自意識を否定して、いろりさん自身を肯定するのだ。
*
どういう話の流れでそうなったかは分からないけれど、僕は部室で、いろりさんと一緒に星を眺めていた。
とは言っても本物の星ではない。かといって偽物かと言われればそうでもない。
映像だ。スマートフォンで星空の動画を再生して、それを一緒に見ていたのだ。
「綺麗……」
「うん」
いろりさんが今日何度目かの言葉を言って、僕も全くおんなじ言葉を返した。僕の小さなスマホをテーブルに置いてそれを二人で見ているので、黒い画面に白い星がキラキラと点在しているだけだった。だけれど、それでも十分にきれいだった。
これが空一面に広がっていたらさぞ感動するのだろうと思った。
「でもこれ、多分ここじゃ見れないよね。この街は夜が明るすぎるから」
「そうだね。きっと、山の方じゃなきゃ見れないよ」
「天体望遠鏡ならこれが見れるのかな?」
「どうだろう……。でも空一面にこの景色が広がるのと、望遠鏡で星空を覗き見るのじゃあ、やっぱり感動は違うと思うよ」
「そっかあ……。そうですよねー……」
動画は全部で十分くらいだった。オルゴールの様なリラックスする音楽と共に、淡々と様々な星空が映し出されていた。
だけれど僕は、折り返し地点にたどり着く前にもうすっかり飽きてしまった。視線はスマホの画面に向いていたけれど、心は何の感慨も生み出さなくなってしまった。
確かに星空は綺麗だ。綺麗。でも、あまり集中してのめり込めるものじゃあないな。そう思った。ぼんやりと眺める分には、あくまで背景として楽しむ分には素晴らしいけれど。
本当に天体が好きな人に言ったら怒られそうだなと苦笑。
でも、僕はそう思ったのだからしょうがないだろう。
「……すごーい」
いろりさんは結局、動画が終わるまでずっと見入っていた。代わり映えのしない映像によくそんなにのめり込めるものだと少し感心。
ふうと息を吐いて、首を回しながらソファに背中を持たれかけた。
「すごいね。この辺でもこんな景色が見れればいいのにね」
「そうだね」
「……あれ、二幹くんはあんまり楽しくなかった?」
「いや、そうじゃないよ」ここで余計なことを言うと折角楽しい気分になっているいろりさんを白けさせてしまうと思い、慌てて否定した。「ただ、じっと何かを見てるのが苦手で」
「あー。その気持ちは分かるかな。私もなんかすごい肩こっちゃっいましたよ。でも二幹くん、屋上でぼーっとするのは好きなんだよね」
「屋上は景色だけじゃなくて音とかもあるからさ。景色だけを見てる訳じゃないんだ」
「なるほど。でも、この夜空も実際に見たらそうだと思うよ。空だけじゃなくて、この雰囲気とかシチュエーションも含めて素敵なんだよ」
その通りだろう。
こういう「趣味」の世界というのは、経験した人にしか分からない楽しさというのがあるものだ。趣味になり得る、はまってしまう独特の良さがあるのだ。
だけれどそれは外側から見ても伝わらないものだ。だから最初のハードルがやや高いのだけれど。
「……屋上」
「うん? どうしたの?」
「この学校の屋上じゃこんなに綺麗には見えないだろうけど、どれくらい見えるものなんだろう」
「どうなんだろう……。十時先輩なら知ってるかも」
「夜まで残って屋上で天体観測どかできないのかな。……天文部だから、それくらいの許可は出そうだけど」
「そうだね、じゃなきゃ活動なんてできないし……って、どうしたの急に?」
「見ようよ、星空」
「随分と突然……だね」
「突然って、そういう話の流れじゃなかった?」
「そうだけど……なんていうかなあ…………ちょっと失礼だけど、」
「うん」
「二幹くんってもっと面倒臭がりというか、そういう行動を自分から起こす人だと思わなかったよ」
「失礼な」
「ごめんって」
あくまで冗談だよ、ということを表す為に笑顔を作る。いろりさんはそれを察してくれたらしく、つられて笑った。
いろりさんの分析も間違いじゃない。僕は必要のないことはしない。だって必要ないから。
だけれど逆を言えば必要のあることに労力は惜しまないということでもある。それも面倒くさいからとしないことも時にはあるけど、まあ――この天体観測会はいろりさんにとって必要なことだと僕が判断したということだ。
そういうのって、青春っぽいだろう、なんか。
夜の学校、そして屋上、星空。うん、青春だ。
「こういう時ってどっちに聞けばいいんだろね?」
どっちというのは、部長と顧問の二択だろう。僕は一瞬考えて、「十時さんかな」と結論を出した。
「その心は?」
「近いから」
「納得」
という訳で僕たちは屋上へと向かった。
十時さんは珍しく貯水タンクの上ではなく、フェンスに寄って立って、ぼんやりと遠くの景色を眺めていた。いや、景色を眺めていた訳は無いのかもしれない。ただとにかく、視線を遠くに向けてはいた。
「……後輩君と後輩ちゃん。どうした?」
十時さんは僕たちが声をかけるよりも先に僕たちの存在に気付いて、ゆっくりと上半身だけで振り返った。眠たそうに目じりを擦って小さく欠伸。きっとお昼寝タイムが終わった後だったのだろう、髪の毛の先がところどころ、小さく跳ねていた。
僕はなるべく端的に、天体観測をしたいという旨を十時さんに伝えた。
「なるほど……」十時さんは眠たげな目をしながら僕の話を聞き終えて、「うん、いいんじゃないかしら」と頷いた。
「前例もあるし、きっと大丈夫なはずよ」
「本当ですかっ!?」
「うん、流石にこんな変な嘘はつかないって。……あれ、後輩ちゃんって、もしかして天文部したくて天文部に入ってきた感じ?」
「いや、そうじゃないですけど……ただ、天文部にいる以上はそう言う経験もしてみたいなって……」
「ああ、それは確かに。天文部の特権を使わなきゃ勿体ないわね。それにある程度活動しとかないとうるさい先生もいるし……よし、じゃあやろっか、第一回天体観測会」
十時さんはのっそりと緩慢な動作で回れ右すると、ブレザーの胸ポケットからスマホを取り出しつつ、「胡桃ちゃんには聞いた?」と僕らに尋ねた。僕たちは揃って首を振った。
「ふむ、まずは部長に確認を取ろうとしたのは褒めてやろう。でもまあ、次からはそういうのはどっちでもいいわ、どっちも同じくらいいい加減だから」
「はあ……」
十時さんはスマホの画面の上に人差し指を何回か滑らせてから、それを耳に当てた。
「……さて、出るかな………あ、胡桃ちゃん? 今いい? ……そんな固いこと言わないで、いいでしょ、教室で堂々と掛けてる訳でもないんだし。それでね、連絡と相談。そう、部活のやつ。今度天体観測会をやろうと思うんだけど胡桃ちゃんは何時なら空いてるかな……え、うん、夜だよ。昼間に星は見えないでしょ、はっはっはっ。…………うん、うん……了解です、了解―。ありがとね、お願いしますー」
一分程度の短いやり取り。相手は勿論、諏訪部先生だろう。
十時さんはスマホを、スカートのポケットに乱暴に投げ込むようにしてしまうと、ほっぺたの横でオッケーマークを作った。
「来週にでもできると思うって。先生が同伴しなきゃいけないから、胡桃ちゃんの都合の会う時に。その連絡は改めてしてくれるってさ」
「……ありがとうございます、十時先輩…………」
「うん。……なんだか反応薄いぞ後輩女子。どうかしたの?」
「……多分、わりと急に持ち込んだ話がとんとん拍子で進んで行って驚いているんだと思います」
「そう、そうです!」
「ちなみに僕もです」
「はは、そーかそーか」
すると十時さんは、どこか幸せそうに見えるように頬を緩ませて、僕たちを交互に見た。
「わたしは天文観測に興味がないだけで、別に天網部部長としてのやる気がない訳ではないのよ」
「……十時先輩は、どうして天文部に入部したんですか?」
ふと、いろりさんが訊ねた。それは僕も気になっていたことだ。
部活を残したかった理由は聞いたけれど、それはなんだかんだで聞きそびれてしまっていた。
「別に大した理由じゃないよ。大したこと無さ過ぎてがっかりするかも」
「……そんなに?」
「うん。わたしはいろんな文化部を掛け持ちしてて、まあそのどれもが幽霊部員でたまに遊びに行く程度だったんだけど、天文部の部員が居なくなっちゃうってことで部長を就任したんだ。ただそれだけ」
「へえ…………」
「ほら、何でもなさ過ぎて反応にこまってるだろう?」
「そんなこと! ……まあ、ちょっとはある……かな?」
「それでいいよ。だけど、天文部が一番気に入っていたからなるべくしてなったのかもしれないわ」
「確かに……居心地はいいですが」
いいというか、悪くは無いというか。
ふいに十時さんは、「そう言えば」と話題を切り替えた。
「そう言えば、今日で仮入部期間最後の日だけど、来週の予定立てるってことは本入部確定ってことでいいのよね?」
「……あっ」
言われてはっとした。今日は金曜日か。そうか。もう一週間が終わったのか。
あっという間だった。いや、そんなに時間が経つのを早く感じた訳じゃない。だけどこうして、金曜日の放課後に「あっという間だった」という感想を抱くほどにはあっという間だった。
僕はいろりさんと顔を見合わせた。いろりさんはにっこりと笑っていた。
「入部でよろしい?」
「はい」「はい」
僕らは同時に頷いて、十時さんも満足そうに笑った。
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