狩りの教え
ほう、狼を狩る手段を学びたいと言うのか。
確かに儂は狼の生態と血統についての研究を重ね、学位を得たが、奴らを殺したいのならば高名な狩人に師事するのが慣例だろう。または、王立アカデミーで専門的な教育と訓練を修め、女王陛下の
なんだと、お前はあの女の弟子だったのか。彼女の事は、よく知っている。そして残念だった。儂が知る限り、彼女ほど優れた狩人はいなかった。夜闇に溶け込み、息を殺し、獲物の心臓を一撃で撃ち抜く――まさに見惚れる程の技巧だった。数え切れぬほどの狼を狩り、女王陛下からは無数の勲章を――と、こんな事はお前の方が詳しいのであろうな。
なるほど。師の仇を討つために、儂の智慧を借りたいと、そういう訳か。
だが、理解しているのか。敵はあのダスティウッズの
……いい眼をしている。
暗い渇望と抑えがたい殺意で濁り、憎悪に狂っている。あの女が、弟子に取ったのも頷ける。
いいだろう。ならば、儂の知りうる限りの知識を以って、お前の復讐に手を貸そう。見返りとして――そうだな、仕留めた獲物の胸骨を持ってくるのだ。狼についての、貴重な研究材料となる。もちろん、それによって得られた成果は、お前の狩りを成就させる助けとなるだろう。
さて、ではさっそく、講義を始めるとしようか。
一言も聞き漏らすでないぞ。狩りたくば――狩られたくなければな。
§
最初の獲物を仕留めたか。まずは上出来。おめでとう、と言っておこう。
辰砂を塗った弾丸の効力は、素晴らしかっただろう。多くの狩人は、伝統的な銀の武器の使い手だが、それらの弱点は余りにも脆すぎることだ。長年に亘り修練を積んだ達人でも、狼が持つ鋼のような毛皮を切り裂いて、致命の傷を与えることは難しい。だが、この赤い弾丸は、わずかな傷でも奴らを悶え苦しませる毒効を発揮するのだ。
しかし、言っておくぞ。これは無敵の武器ではない。お前が狩ったのは、所詮、序列外の木っ端――いくらでも替えのきく雑兵だ。こんなものが狼の力だなどと侮るなかれ。どれほどの狩人がわずかな慢心から命を落とす事になったのか。
まあ、近いうちにお前も知ることになるだろう。奴らの力をな。それが、お前の最期とならないことを祈るぞ。銃を磨き上げ、銀を振るう腕を鍛えるのだ。どれほど優れた武器を揃えようと、最後に勝利をもたらすのは、狩猟者の力と技と智慧なのだ。それを、忘れるな。
§
まさか狼の集団に狩りを仕掛けるとは、愚かな選択をしたものだな。あの女ですら、そんな真似はしなかった。右目を失うだけで済んだのは、運が良かったからだ。そのような無謀な戦いの結末は、獣の胃袋に収まることだけだ。よいか。こんな幸運は二度とない、と脳髄に刻め。死ねば、次はないのだ。
とはいえ、一度に三匹もの狼を仕留めるとは。
どうやら、儂の眼に狂いはなかったと見える。お前には、狩猟者としての天性の素質が備わっている。あるいは、その心に宿る、憎悪の暗い炎が力を引き出しているのか――まあ、どちらでもよい。お前に力を貸したのは、間違いではなかったと思っているぞ。
お前ならば、成し遂げられるかもしれぬな。ダスティウッズの忌まわしき
だが、まだその時ではない。次は
お前が狩るか、奴が狩るか。結果を楽しみに待つとしよう。
§
おお、この巨大な胸骨は――まさにラモラックのものに違いない。素晴らしい。あの巨狼を屠るとはな。
正直に言えば、お前が無事に戻るとは思っていなかった。だが、儂が与えた銀の巨剣と一時の力を増す霊薬は、想像以上の威力を発揮したようだな。もちろん、それを使いこなすお前の技量があってこそ、だが。
……少しばかり、この骨が支えていた巨躯の持ち主について、話をしようか。ラモラックはもともと、それほど強大な狼ではなかった。だが、〝凍える牙〟がその地位に就く以前に存在した
さて、次なる標的はわかっておるな。ダスティウッズ狼群の
だが、奴を狩る妙策を練る前に、まずは祝杯をあげようではないか。伝説に語られる狼を討った狩人の誕生を祝してな。ささやかだが、酒と肉を用意している。飢えを満たし、傷を癒し、力をつけよ。美食の享楽に耽るのは、勝者の特権だ。
食らえ。そして、ふたたび狩りに赴くのだ。
§
どうやら、生きてはおるようだな。
予期していた事とはいえ、やはり敗れたか。まあ、無理からぬことであろう。賢狼マカルピンは、かつてお前の師と幾度も剣と牙を交え、ついに狩ることの叶わなかった相手だ。比類ない素質を秘めていたとはいえ、付け焼刃の経験しかないお前の勝てる相手ではなかった、ということ。むしろ、死なずに逃げ帰れたことを奇跡と呼ぶべきだろう。だがもはや、その身体では――片腕を奪われては、報復は望むべくもない。実に残念だが、お前はここまでだ。
……その目。どうやらまだ、銀の武器を捨てる気はないようだな。なにがお前の殺意を漲らせる。その憎悪の源泉は、一体なんなのだ。師の仇だけではあるまい。
なるほど、お前はダスティウッズの
もし、お前が真に望むなら、再び戦う力を与えてやることは出来る。王立研究所が造り上げた、戦傷兵のための義腕がある。あれに、銀の武器を仕込んでやろう。だが、それだけではマカルピンには勝てぬ。お前に託した霊薬――あれの効果を更に増強したものを調合した。はっきり言っておくが、劇薬だ。命の保証はできぬ。それでもなお、お前の魂に宿る暗い炎が萎まぬというならば、それを授けよう。
どうやら、躊躇いはないようだな。ならば征け。憎悪に身を焦がし、怨嗟の咆哮を叫び、理性の枷を引きちぎれ。黒き獣の心臓に銀を突き立てるのだ。
§
マカルピンは無比の力を持ってはいたが、同時に理性を――無論、人のそれとは異なるが――備えた獣だった。故に、賢狼と呼ばれていた。
〝凍える牙〟を
だからと言って、戦意は衰えまいな。素晴らしい、今やお前は復讐を越え、狩猟そのものにこそ、喜びを感じている。人が忘れかけた原始の欲求――戦い、殺し、喰らうという行為そのものに。理性はそれを野蛮と呼ぼう。だが、闘争や生存競争によって成り立っているこの世界で生き抜くには、それこそが本当に必要なものなのだ。結局のところ、狼も人も変わりない。どちらも獲物を狩り、同胞を殺し、その返り血に塗れながら歩む、獣なのだ。誰が、どれだけ否と叫ぼうともな。
さあ、行くがいい。〝凍える牙〟がお前を待っている。狩猟の果て、どちらが捕食者であるかを決するために。
§
これほど凄惨で、血生臭く、そして美しい狩りを、儂はかつて見たことがなかった。いずれが勝者となっていても、この光景は年古りた脳髄に永遠に刻まれたことだろう。
だが――勝ったのはお前だ。〝凍える牙〟を貫き、切り裂き、咲き乱れる血飛沫と骨を砕く音の狂騒を制し、奴を狩ったのだ。たとえ半身を失い、今や死にゆこうとしていてもな。
儂がここにいるのが不思議か。最強の狼に、儂の教えのもと熟達の狩猟者となったお前が挑むのだ。弟子の成長を最後まで見届けぬ、そんな師がどこにいる。
ああ、そういえばあの女はお前を育てきれずに死んだのだったな。愚かなものだ。人の領域に収まらぬほどの力を持ちながら、信仰と理性に目を眩ませ、本能の開放がもたらす快楽と本質への回帰を認められぬとは。
だから――弟子を上手く育てることができなかった。
だから――儂に喰われた。
だが、僧衣に包まれた白い肌の向こう、柔らかな肉と暖かい血の味は格別だったぞ。長年、戦い続けてきた相手だというのに、お前の師は最期まで儂をただの学者と信じて疑わなかった。背後から牙を突き立てた時のあの表情――あれほどの愉悦は、ここ百年は忘れていた。
しかし、あの女の遺産のなかで最も優れていたのは、お前だ。あれほどの才が見込んだ者――素晴らしい素質を秘めているに違いないと思った。そして、儂は間違っていなかった。
素晴らしかったぞ。儂の教えと、獣性を解き放つ霊薬によって、目覚ましい速度で成長を遂げていく様は。かつて儂が育て上げたラモラックを超える、最高傑作だ。
お前は本当によく尽くしてくれた。儂を追い落とした者どもに、復讐を果たしてくれた。理性などという枷に繋がれ堕落した犬ころ、力ばかりで智慧のない〝凍える牙〟、そして、兄を裏切ったマカルピンを、八つ裂きにし、皮を剥ぎ、乾留炉にくべ灰にした。奴らの胸骨に詰まった髄液は、儂に大いなる力をもたらした。
もはや、人の姿に身をやつす必要などない。儂は新たな群を結集し、絶えぬ殺戮によって、世界をあるべき姿に還すのだ。食物連鎖の頂点がすべてを支配する、蒼古の世界へと。
……だが、その為には有能な
さあ、我が教え子よ。人の身にして理性の楔を断ち切りし者よ。今こそ、我が不死の血を啜り、真の獣性を開放せよ。拒むことなど叶うまい。既にお前は、狩りに心を奪われているのだから。
戦い、殺し、喰らい――その末に、不死の身にして生の実感を得るのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます