通信サービスはありません
姶良守兎
第1話 通信サービスはありません
「お客様、 まことに申し上げにくいのですが……こちらの端末は、ご契約が確認できませんでした」
「お客様」の名前は
「えっ? そうなんですか?」和也は耳を疑った。
「そうなんですぅ……いろいろと調べてみたのですが、やはりご契約はありませんでした」彼女はまだ同情スマイルをキープしていたが、正直なところ、彼女にとってはよく来店するトンチンカンな客の一人に過ぎなかった。
「はあ……そうですか……」和也は、釈然としないまま店を出た。「通信サービスはありません」と表示されたままのスマートフォンを握りしめて。
「おかしいな、ついさっきまで問題なく使えてたんだぞ。それが突然『圏外』って……普通は故障だろ? 契約がないって、どういうことだよ……」
秋も深まるこの季節、商店街は紫色やオレンジ色の飾り付けが賑やかだった。
「くそっ、ハロウィーンか……『リア充』の奴らが奇抜な格好して『ウェーイ』ってバカ騒ぎするだけのイベント。あんなもの、なくなればいいのに。ていうかリア充爆発しろ!」
和也は三十路を目前にして、仕事もせず、学校にも通っていない。いわゆるニートだ。服装にしても、地味なグレーのパーカーに、サイズ感のしっくりこないジーンズという、いかにもニートらしい、ぱっとしない印象だった。
そんな彼の「リアルが充実」しているはずもない。そういうわけでリア充のやつらは常に彼の敵なのだ。
「オレだって別になりたくてニートになったわけじゃない。少し運が悪かったのと、あれ以来、気力がくじけてしまっただけなんだ」
いま彼がいるのは、東京都心から電車で三十分ほど離れた、
「さてと今日の標的はどいつだ?」
彼の目がきらりと光り、ターゲットをロックオンした。直後、不運なリア充カップルは、手をつないだまま、彼の妄想のなかで無残にも爆破された。
「ざまあ見ろ」
爆破ミッションに気を良くした彼は、心が落ち着いたせいか、店の向かい側一面が工事中なのに気づいた。広範囲にわたって白く塗られた鉄板の囲いで覆われている。囲いの高さは二メートル以上あってその向こうは見えない。
「待てよ……オレは歩きながらスマートフォンで無料ゲームアプリをしていた。街角で妖怪を集めるやつだ。やっとのことで、百匹目の妖怪を捕まえようとしたその瞬間、スマートフォンが突然圏外になり、ゲームが中断してしまった。そこでふと顔を見上げたら、ちょうどこの店が目の前にあったんだ」
彼は携帯ショップと工事現場とを交互に見た。
「となるとオレは、あの鉄板の向こうから来たことになる」
彼は首をひねった。まさか、あの鉄板を通り抜けて来たとでも言うのだろうか。ちょうどあの「安全第一」と書かれたあたりを……そんなバカな。彼は思った。
「しかし、ゲームに気を取られて、無意識に歩いていた。今一つ自信がない」
そこで彼は直前の記憶を探ることにした。
「オレは『
「吉北のれん街」とは、寺吉駅と吉北センター街の間に位置し、戦前から続くレトロな商店街だ。昭和初期を思わせるノスタルジックな風情は、今となっては貴重な存在だ。
「そういえば、なんか変だった。意識ははっきりしてるはずなのに、まるで夢を見ているような、自分の体が自分でないかのような、そんな感じだった。気づいたらここにいたんだが……その途中のことは、よく覚えてないな」
改めて白い鉄板の壁をよく見ると「寺吉駅北地区 再開発工事」との表示があった。
「そうだ、再開発の話、どこかで聞いたぞ。しかし反対運動があって、結局取りやめになったのでは……?」
再開発賛成派は防災上の問題点を、反対派はレトロな街並みの価値を、それぞれ主張していた。反対派はさらに、東京オリンピック誘致が成功した場合のインバウンド需要を当て込んだ、観光資源としての価値もアピールしていた。
彼はその論争が最終的にどうなったのかスマートフォンで検索しようと、画面ロックを解除した。しかし……。
「そうか圏外なのを忘れてた……でも、なぜ……?」
彼の心で何かが閃いた。そのスマートフォンは和也の父親である
「働かざるものスマホを触るべからず」父親はよくそう言っていた。
「脅しだけではなく、いよいよ本当にやられたか。あの親父なら本当にやりかねないぞ」彼はウンウンとうなずいた。
閃きが確信に変わったところで、彼は「吉北センター街」を西へ向かって歩き始めた。この商店街で一番大きな電気店の提供する、無料Wi-Fiスポットを利用するためだ。
「格安SIMなら月額数百円からある。ならば親父に頼らなくても大丈夫だ。そっちがそのつもりならば、こっちにも手がある、そういうことだ。まあ慌てて契約する前に真意を確かめないとな」
彼は電気店の無料Wi-Fiを経由して、スマートフォンの無料電話アプリで自宅に電話をかけることにした。父親は仕事で外出しているはずだが、母親は多分家にいて、きっと何か知っているだろう。とにかく早く答えを知りたかった。
「しかし親父、けち臭いこと言うなよ。高給取りなんだろう?……」和也はぶつくさと文句を言い、電話をかけた。
「はい、新戸です」電話口に母親の
「あ、もしもし母さん? オレだけど……」和也はぶっきらぼうに語りかけた。
「あの……済みませんが、どちら様でしょうか?」
「なんだよ母さん、息子の声を忘れたのかよ」
「……番号をお間違えではないでしょうか? うちには、子供はいませんから」
「いや、なに言ってるんだよ母さん。オレだよオレ、和也だよ!」彼は慌てた。すると、電話口の向こうの母親が一瞬息を飲んだような気がした。
「……なんで和也のこと知ってるのよ?」母親の声のトーンは明らかに警戒している様子だった。
「え? 知ってるも何も、オ……オレだよ、和也だよ……」和也は動揺していた。
「嘘よ……あの子、二歳の時に死んだのよ」そう話す母親の声は震えていた。
「ちょっと待ってよ母さん、勝手に殺すなよ。オレだよ、オレ!」和也は必死に食らいついた。
「ちょっといい加減にしなさいよ……どこの誰か知らないけどオレオレって。そうだあなた、オレオレ詐欺ね! 警察に通報するわよ!」母親は冷たく言い放ち、電話を切った。
「オレが、死んだって……嘘だろ?」もちろん和也には信じられなかった。しかし、そう言われてみれば、もしかするとそうかも知れない、と少し弱気になった。「二歳といえば、オレが死にかけたころだ……あのとき本当に死んでしまったとしたら……そしてオレ自身がまだそれに気づいていないとしたら……?」
彼は自分が死んだことにも気づかず、四半世紀もの間、ゾンビのようにさまよい続ける姿を想像し、身震いした。
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