ハムスターばいばい

紅林みお

ハムスターばいばい 第1話

妹の奈々のハムスターがかわいい。


「金玉が大きいから、キンタマって名前なの」

奈々は肩に金色のハムスターをのせて手で撫でる。


 キンタマなんてそのまんまじゃないか。馬鹿だなあ。

そう思いながらも、妹にハムスターを触らせてもらった。


「ねずみに名前なんていらないでしょ」


「要るよ。名前は大切だよ」


ふわふわのハムスター。呼吸をする度に肉と骨が上下して、皮膚と連動して、ふわふわが波打っている。この温かくて柔らかい肉の塊が欲しいと思った。


「ねえ、奈々。このハムスターちょうだいよ」


「え? なにいってんの。お姉ちゃん」


妹は眉間に皺をよせた。


「このハムスター私にちょうだい」


私は、彼女にわかるようにもう一度言った。


「駄目に決まってるじゃん。だって、これ奈々のハムスターだよ」


「違うハムスター買うお金あげるよ」


「……奈々はこのハムスターがいいの」


「ハムスターなんてどれも同じでしょ」


「とにかく駄目なの!!」


 彼女は、金色のハムスターを私から庇うように、両手で包んだ。

キンタマは、奈々が一日100円の親からのお小遣いを必死にためて買ったハムスターだった。


 彼女は私と違って親にねだるのが下手くそだ。

私は、大人にねだるのが上手いので、欲しいと思えば何でも手に入れることが出来た。


 例えば、私が着ているピンク色のトレーナーは、高い子供服だ。これは、クリスマスに親にねだって買ってもらった。一方、妹は親に「何が欲しい?」と聞かれても、「私は、明太子と白いご飯が食べたい」と、とんちんかんな回答をした。「せっかくのクリスマスなのに、明太子だなんて」と、私は妹を鼻で笑った。すると、彼女は私にこう言った。


「お姉ちゃんより、私ゲンジツテキだから」


 現実という言葉の意味を、彼女はちゃんと理解できているのだろうか? 私はクリスマスの日からその言葉を忘れることが出来ない。


 キンタマを抱いた妹は、軽蔑的な視線を私に向ける。


「いつもみたいに、ママやパパに買ってもらえば?」


 黒くて丸いビーズのような瞳のハムスターも、責めるようにこちらを見ている。

いつもはパパやママにねだるところだが、私は一人で町のはずれにあるペットショップへと向かうことにした。


「いらっしゃいませ。何をお探しですか……ってあなた、一人で来たの? 偉いわね!」


女性の店員がわざとらしい笑顔で私を出迎える。


「ハムスター、ください」


私は店員の顔を見ずに、ペットショップ内を見回しながら答えた。カラフルなおもちゃやケージ、ちょこまかと動き回るハムスターが陳列している。


「ハムちゃんを飼うのは初めてかな? おうちの人には相談した?」


「いえ、でも買うのは私なんで」


店員の顔が一瞬強ばる。


「はあ……」


「私が決めるんで」


面倒な子供だなと思ったのだろう。しかし店員は、大人の威厳を保つためにまた笑顔を作り直した。


「それならこちらの初心者ハムスターセットがおすすめよ」


それはハムスターを飼うのに必要な道具が一式揃っているセットで安い値段だった。しかし、デザインがダサい。私はため息をついた。


「ハムスターセットは……いいです。これとそこの棚にあるケージと、あれとこれください」


 私は店の中にあるケージやおもちゃの中でも一番価格が張るものを選んだ。

高級なもののほうが、きっとハムスターも喜ぶだろう。


 ハムスターは、パールホワイトという種類を選んだ。ペットショップからの帰り道、紙袋を何個も抱えた私はいつの間にかスキップをしていた。


「お姉ちゃん、どうしたのその紙袋」


玄関の引き戸を開けるとキンタマを手にした妹がひょっこりと覗いた。


「私もハムスターを飼うことにしたの」


私は妹に、パールホワイトのハムスターを見せた。妹のハムスターよりも高いハムスターだ。


「お姉ちゃん、奈々の真似した」


 妹はそう言って頬を膨らませた。


 早速私は、ケージを組み立てて、牧草を敷き、えさ箱や水入れを配置した。しかし、最後にハムスターが走って遊ぶ車輪型のおもちゃをいれると、ケージはそれだけでいっぱいになり、ハムスターを入れる隙間が無くなってしまった。どうやらケージが小さすぎたようだ。


「それじゃハムスター入らないよ」


いつのまにかキンタマを抱えた妹が横に立っていた。


「あんたはだまっててよ」

 

 私は、箱の中から買ったばかりの白いハムスターを掴んで出した。ハムスターはいきなり連れてこられた新しい環境に、鼻をひくひくさせて怯えていた。キューと鳴いて、小さい手足をバタバタさせて、必死に抵抗をした。私はその動きを全て無視して、ケージやおもちゃの間にハムスターをぐりぐりと押し込んだ。


「なかなか入らないな……くそ」


「おねえちゃん……やめなよ」


キューキューキューキュー


ハムスターの声がどんどんかすれて、甲高くなっていく。


「隙間にうまく押し込めば入るかも。あんた、邪魔だから向こう行ってな」


妹に冷たく言い放つと、私はぴしゃりと障子を閉めた。


掌を通してハムスターの肋骨と中の内臓がはっきりわかる。ごろごろしていて、やわらかくて、温かかった。トクトクトクと私の心臓よりも何倍も速い鼓動が聞こえる。何度も押し込んでいると、やがてハムスターは車輪と家の間に入って見えなくなった。


「やっと入った」

 私は疲れ果てて床の上で眠り込んでしまった。


 目を覚ますと、部屋が薄暗くなっていた。夕方になっていたのだ。誰もいないキッチン、誰もいないリビング。暗い窓の向こうでは、町内放送の夕焼け小焼けが流れている。私はその光景に、ぞっとする。不安がこみあげ、何かを確かめるように自分の頬を触った。

 すると、ぬるりとした感覚がした。ふと自分の手を見ると、指先が赤い液体で濡れている。


 これは血だ。しかし、私の血では無い。獣のにおいがするのだ。


「ん?」


 嫌な予感がして、ケージの中のおもちゃや家を全て出してみた。

車輪の下に、口から血を吐いて圧死しているハムスターがいた。

身体のちょうど半分の場所が、極端に細くなって紫色に変色し、口と肛門から塩辛みたいなものが飛び出している。


「んん?」


指でハムスターの頭をつまんで出して、ぶらぶらしてみた。ぴくりとも動かないただの小さな肉の塊になっていた。だめだ。死んじゃった。


「気持ち悪……」


 私は、ハムスターをビニールに入れてゴミ箱に棄てた。

 そして、すぐに違うハムスターを買いに行った。

(続く)

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