天然少女は企んでいる

御茶ノ宮悠里

プロローグ

第1話 天然少女は企んでいる

 夕焼けの茜色が、ゆっくりと宵闇色へと染まり始めた頃。

 愛藍学園の中央庭園に置かれた木製テーブルに、一人の少女が腰掛けていた。

 蒲公英の綿毛のような、ふわりとした雰囲気を纏った少女だった。くるくるとした強い天然パーマのかかった亜麻色のショートヘア。小学生ほどの背丈と、丸みを帯びた小作りな顔立ち。新芽のような幼さを感じさせる体つきに反して、Eカップほどに盛り上がった大きな胸がアンバランスな色気を漂わせる。

 少女は肩の力を抜いて体を揺らしながら独特のリズムを刻む。彼女はどこか周囲の世界から解き放たれていた。ふと目を離した隙に、小風に吹かれてどこかに飛んで行ってしまいそうな……そんな危うげさを感じさせる。

「うう~! どうしましょうか~!」

 少女――芽吹ひなたは、緑色のシャープペンシルを小さな指先で器用に摘まみながら、真剣な面持ちでテーブルの上に開かれたキャンバスノートを見つめている。タイトルには『お兄ちゃん絶対堕とすノート!』と題打たれており、紙面には『廊下の角で頭をぶつけて入れ替わる大作戦!』とこれまた女の子らしい丸文字で綴られている。

「むー、一体何が悪かったのでしょうか」

 華奢な体がゆらゆらと揺れる。ひなたは大きな目をぎゅっと瞑り、桜色の唇にペン尻を押しつけて喉を鳴らした。

「ネットでは『王道だ!』って書いてあったのですが。ごっつんこしても痛いだけだったのですよねえ。もしかして、ネットの人達は嘘をついていたのでしょうか。わたしは騙されたことになります。……まあ、お兄ちゃんに頭をなでなでされたのは、すごくきゅんときたのですが」

 ひなたは仄かに頬を火照らせた。

 彼女には年上の兄がいる。名前は芽吹護。強い癖のあるショートヘアーが特徴の温和な性格をした青年で、体育会系と文化会系のどちらにいても馴染めそうな、よく言えば優しく、悪く言えば目立つとこのない、どこにでもいるような普通の青年であった。……しかし、ひなたにとってはそうではないのだろう。彼女の頬はぽわぽわと紅潮していた。

「はふぅ~。なんだかムラムラしてきましたね。そろそろ帰ることにしますか」

 ウサギのように小さく跳ねて、ぴょんと立ち上がる。

「ふえ? あれは一体なんでしょう?」

 椅子の横に置いていた学生鞄を引き寄せたとき、テーブルを囲う鑑賞樹の茂みに一冊の本が隠されているのに気づいた。おそらくこの辺りによくたむろする男子生徒たちが隠したものだろう。怪しげな雰囲気を放つその雑誌に興味を惹かれたのか、ひなたはおもむろに茂みに手を突っ込み、その一冊を取り出した。

 表紙には『愛を育むSM特集』という見出しと、『後ろ手に手錠をかけられた男性がボンテージを着用した女性に鞭で殴られて恍惚の笑みを浮かべている写真』が大きく映し出されている。

「これは……っ!」

 両手に握った雑誌を胸元へぎゅっと抱き寄せながら、ひなたは語調を弾ませた。柔らかな瞳がキラリと光る。

「いいことを思いつきました! わたし、この方法でお兄ちゃんを堕としてみせます!」

 ひなたはぐっと拳を振り上げてみせた。


 天然少女は、何かを企んでいるようだ。

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