勇者は ドラゴン と 戦っている!?
「オイ、武器はどうした?」
「なに言ってるんだ。ドラゴンが剣や斧を振るうか? 杖で呪文を唱えるか? 盾と鎧で身を守るか? つまりそういうことだ」
――いや、流石に「ブッ殺してやる」は大人げなかったか。
外に出てニシキと対峙し、頭が多少冷えたアレクはそう思い直す。
なにせ、軽装ながらも荘厳な鎧に身を包んだ自分に比べ、この平民は身なりのみすぼらしいこと。簡素で使い古された服に革鎧も装着せず、武器は棒切れすら持っていない。そのくせ毅然とした佇まいだけは一丁前だ。
通常の《刻印》とは別物であるが故か、右手ではなく首筋に浮かび合った《竜刻印》の紋様がなければ、どこからどう見てもただの下賤な村人の小僧だ。
冷静に考えて見れば、相手は運良く拾っただけの力で、自分も英雄になれると思い上がった頭の可哀想な平民。真面目に対応するのが馬鹿馬鹿しいのだ。
ここは一つ寛大な心で、現実の厳しさというものを教えてやるべきだろう。
「さて。これは《竜刻印》を賭けた正当なる決闘なわけだが。流石に僕と君では実力差がありすぎて公平とは言い難い。ここはハンデとして――」
「あーあー、別にイランから、ハンデとか。細かいルールもなし。パッパと始めてパッパと済ませちまおう。リューを待たせてることだしな」
……どうやら、余程この平民は命が惜しくないらしい。
アレクは歯軋りしながら後方に目配せする。そこにはパーティメンバーの盗賊・戦士・魔法使いが控えていた。そのうちの一人、フードを目深に被った陰気な盗賊に、「余計な手出しはするな」とジェスチャーで伝える。
姑息な策を弄するしか能のない盗賊だが、今回は手を借りない。言い訳の余地を一切与えず、正々堂々とあの平民を叩き潰さなければ気が済まない。
「無印のクズごときが、英雄に対する侮辱を後悔させてやる!」
そもそも《刻印》とは古の時代より受け継がれてきた、数多いる英雄たちの力の結晶。その一〇〇年に一人という才を、一〇〇年に渡って存続させるための秘術だ。継いだ者が力を育み、また次代に託す。そうやって幾度となく英雄を輩出し、人類の窮地を打ち破り続けてきた。まさに人類の守護者である証明。
だからこそ、刻印を持つ者と持たざる者の間には絶対の壁がある。努力だの知恵だのといった小賢しい小細工では決して埋められない、天に選ばれし才能の壁だ。
この勇者アレクを軽んじることは、英雄たちが積み上げてきた偉大なる歴史への冒涜に他ならない。
次代の英雄としての貴き誇りに懸けて、《竜刻印》を奪還せねば。
「お前ら、村人たちもよく見て置けよ! 《ドラゴンの勇者》アレクの伝説がここから始まるんだからな! 《竜刻印》を手にすれば、僕はドラゴンの力で最強の勇者となる! 竜の鱗さえ断つ必殺の剣と、天より轟く雷の魔法を習得し、身体能力も超人的なモノと化す! そして僕は英雄を超えた大英雄になるんだ!」
約束された栄光を夢想し、剣を天高く掲げて哄笑するアレク。
取り巻きのパーティメンバーが拍手し、村人たちも困惑しながらそれに倣う。
しかし、なぜかニシキは酷く訝しげに首を傾げていた。
「……え? なに? お前らは《龍刻印》でドラゴンの力を得て、それだけなのか? 鱗と甲殻で鋼を弾いたり、爪と牙で地を割ったり、尻尾で岩を砕いたり、翼で空を飛んだり、口から火を吹いたりはしないわけ?」
「はああああ? 馬鹿か、君は。そんなの、ただのバケモノじゃないか。《竜刻印》はあくまで、英雄が持つ力を高める代物だ。まさか、ドラゴンに化けたりするとでも思ったのかい? 本当にモノを知らない平民だな」
なにを言い出すかと思えば意味不明の戯言。
身の程を弁えないばかりか、現実と妄想の区別もつかないらしい。
「――なるほど。おかげさまで、お前らの程度の低さはよくわかった」
落胆、失望、拍子抜けという顔でため息を吐くニシキ。
くだらない妄言を親切にも訂正してやっただけなのに、なぜこちらが呆れられなければならない!? アレクは頭に血が昇るあまり眩暈さえ感じた。
「どこまでも身の程を弁えない平民だな……!」
「身の程だと? 弁えるのはそっちの方だ。ドラゴンは挑むモノではなく挑まれるモノ。お前が、この俺に挑むんだよ。かかって来い、英雄」
うんざりだ。この道化の一言一句を聞いているだけで気が狂いそうになる。
さっさとこいつを始末して、《竜刻印》と《竜の巫女》を頂こう。
殺意でグチャグチャになった思考のまま、アレクは地を蹴った。
「死ね、クズが」
一息で間合いを詰め、剣を横薙ぎに振り抜く。
小癪にも反応してニシキが右腕を上げるが、なんの意味もない。
腕ごと首を斬り落として、ハイ終わり――の、はずだったが。
バキッ、と響く破壊音。肉と骨を断って鳴る音ではない。金属が砕ける音。
「は?」
アレクの剣が、刃毀れを起こしていた。
夜空のように黒い鎧……否、黒い鱗と甲殻に覆われた、ニシキの腕に弾かれて。
どう見ても、ドラゴンのそれとしか思えない異形と化した右腕で!
「は? へ? え? え?」
「なにを驚く。《龍刻印》はドラゴンの力を与える刻印だぞ? だったら鱗と甲殻を纏い、爪と牙を生やし、尻尾を振るい、翼を羽ばたかせ、火を吹く……ドラゴンと同じことができない方がおかしいって話だろ? この程度の【
ニシキの右手が剣を掴む。当然、刃が手のひらに食い込んでも傷一つ付かない。
慌てて剣を引いても微動だにしない。剣先から、親指でベキンベキンと刀身を折られていく。
悪夢じみた光景を振り払おうとするかのように、アレクは喚き散らした。
「そ、そんな馬鹿げた話があるか!? 過去の英雄にも、そんな真似ができたなんて話は一つとしてないぞ!?」
「ふむ。俺は読み書きと『先生』から教わった偏り気味な知識しかないんで、これは完全に想像なんだけどな。過去にドラゴンの力を手にした英雄さんたちは、その実『ドラゴン本来の力』は満足に引き出せていなかったんじゃないか?」
あっけらかんと告げられる内容に、アレクは足元の地面が崩れる錯覚を感じる。
竜殺し、竜騎士、竜の聖女……歴史に語り継がれる、ドラゴンの力を手にした英雄たち。その伝説を根底から否定する悪魔の囁きだ。
「英雄の力を宿す刻印に、ドラゴンの力を宿す龍刻印を合わせれば、そりゃあ一見すると最強だろうさ。だけど本当は英雄の刻印が不純物になって、龍刻印が力を発揮する邪魔になっているとしたら?」
だからお前ら英雄たちは火も吹けやしないのだ、と眼前の悪魔がせせら笑う。
「お前の言う通り、俺は特別な力や才能なんて何一つない、ただの村人だよ。だけど、なにも持たない俺だからこそ、一切の混じりけない『純粋なる龍の力』を《龍刻印》から引き出せるとしたら? それなら、俺のこの姿にも説明がつくんじゃあないか?」
ありえない。ありえない。そんなことはアリエナイ!
しかしどれだけ否定を叫ぼうとも、目の前の現実は変わらない。
刀身を折り切った黒鱗の右腕が、内包する筋肉の隆起で異音を立てる。
「ところで……俺の女に、随分と下衆な目を向けてくれやがったじゃないか。ドラゴンの怒りを買うことの恐ろしさを知ってるか? ――貴様は、俺の逆鱗に触れた」
金色に輝き、瞳孔が縦に裂けた、ドラゴンの眼がアレクを睨みつける。
心臓が縮み上がって硬直するアレクの前で、振り被られるドラゴンの拳。
アレクの右手に刻まれた《勇者》の刻印、そこに宿る英雄の直感が全力で警鐘を発していた。当たれば死ぬ、と。
「グルアアアア!」
「ひぃ――ぐぇ!?」
間一髪ながら、確かに拳は躱したはず。なら、鳩尾に走るこの衝撃は一体!?
感覚の高速化で遅延する時間の中、アレクは視線を動かす。
拳を振り抜いたニシキは反転してこちらに背中を向けており、足も両方地に着いているので蹴りでもない。
ただ、背中の辺りから伸びる、太くて長い鞭のようなモノが。
これはまさか……尻尾?
「龍の恋路を邪魔する勇者は、ドラゴンの尻尾でドォォォォン!」
「おっぶぁぁぁぁ!?」
肉が軋み、骨が圧し砕ける、生まれてこのかた味わったことのない激痛!
天地が何度も回転する感覚を最後に、アレクの意識は断絶した。
尻尾による一撃で、曲がってはいけない向きでくの字に折れ曲がったアレク。
戦士と魔法使いが必死に呼びかけるのを余所に、盗賊の少年がニシキと相対する。
「いやあ、お強いお強い。こりゃ敵わない――」
降参の意を示すように両手が上がり切るのを待たず、ニシキが手を伸ばす。
甲殻に覆われ鉤爪状に尖った指先が掴んだのは、盗賊の手から伸びる細い糸。
普通なら見落としてしまうほど細い糸は、ベルトにぶら下げた球状の道具、それに刺さったピンと繋がっている。大方、ピンを抜くことで仕掛けが発動する仕組みなのだろう。
ニシキは気を悪くした様子もなく、むしろ笑みを浮かべた。
「閃光弾か煙幕か……こういう食えない強かさは、嫌いじゃないぞ?」
「そいつぁ、どうも」
「そう警戒するな。仇討ちでも考えない限り、お前らまで潰す理由はない」
それを聞いて、盗賊の肩から少しだけ力が抜ける。
やはりと言うべきか、勇者アレクにパーティメンバーからの人望はないようだ。
「一つ訊きたいことがあってな。王都には、お前らみたいな《刻印》持ちが一つの学び舎に集まる『学院』ってヤツがあるんだって?」
「あ、ああ。《エインヘリヤル英雄養成学院》って名前だが、巷じゃまんま《英雄学院》なんて呼ばれてる。……こう言っちゃなんだが、あの坊っちゃん勇者様を基準に考えない方がいいぜ? こいつが《竜刻印》を狙ったのも、学院が底知れないバケモノの巣窟で落ちぶれ焦ったせいだしな。……底が知れないのはあんたも大概だけどさ」
その目と口調に心配の色が窺える辺り、陰気でも根は善良な少年なのだろう。
しかしニシキは、牙を剥く獰猛な笑みでこう宣言した。
「よし、決めたぞ。俺とリューもその学院に入る!」
「は、はいぃ?」
「どうせチマチマ追い払ったところで、噂を聞きつけた馬鹿どもが次々とこの村に押しかけて来るんだろ? だったらこっちから学院に乗り込む! 英雄どもを一人残らず叩き潰して、俺とリューの仲を邪魔できないよう黙らせてやる!」
――かくして、二人の少年少女が辺境より王都に赴く。
それはラグナ王国……否、後に全世界を巻き込む災禍の始まりを意味していた。
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