先輩の隣

とらたぬ

先輩の隣

 寂しい。寂しい。

 一人は嫌だ。

 先輩が誰かと楽しそうに笑っているのを見るとつらい。

 ずきずきと胸の奥の方が痛む。

 少し前まで、私はずっと一人だったから、この痛みも耐えられた。

 でも、今はだめ。

 先輩と話すようになって、ずっと一人ぼっちじゃなくなってからは、一人になる度に、痛くて、苦しくて、胸が張り裂けそうで。

 夜、毛布に包まって、先輩を想うと涙が止まらなくなる。

 だって、私には先輩しかいないけど、先輩には私だけじゃなくて、たくさん友達がいる。

 私と違って人と接するのが上手だから、先輩は誰とでもすぐに仲良くなってしまう。

 それが、たまらなく苦しい。

 悪いのは、臆病で人見知りな私だって、それはわかってる。

 でも、だって。できないことは仕方ないじゃないかって。

 自己嫌悪に陥って、結局何もできなくて、いつも先輩から話しかけてくれるのを待っている。

 本当に、どうしようもないほど卑怯だ。



 夕方、一単位四十人の監獄を抜け出して、私は文芸部の部室に向かった。

 部員は先輩と私、それから幽霊部員の部長が一人。

 部室の中央にはL字型のソファーと竹製のテーブルがあって、私が部室に行くと、だいたい先輩はそこに座って小説を読んでいる。

 小説といってもあんまり堅いのじゃなくて、ライトなやつ。

 先輩は感想を言ったりはしないのだけど、読みながらよく笑うし、よく泣く。

 読書をしていないときは、ノートパソコンを開いて、自作の小説を書いている。

 たいてい私はその横で先輩を真似て、小説を書くか、本を読んでいる。

 それから、思い出したようにたわいのない言葉を交わしては、笑い合う。

 そんな日常。そんな幸せ。

 カラカラと音がして、部室の戸が開かれる。

「あ、先輩……」

 こんにちは、と続けようとしたのだけど、その言葉は喉につっかえてしまったように、声に出すことができなかった。

 よう、と言って入って来た先輩の後ろには、見慣れぬ女生徒がいた。

 幽霊部員の部長だ。

 息が苦しい。

 部長は先輩と親しげに話して、笑い合っている。

 先輩がいつもの席に座ってノートパソコンを開くと、部長はその横に座って画面を眺め、たまに「ほー」とか「そうくるかー」とか、そんなことを言っている。

 目眩がして、海の底に沈んでいくような錯覚を起こす。

 だって、そこは私の席だ。私の居場所だ。

 私が先輩と笑い合える、唯一の幸いだ。

 それなのに、部長は我が物顔でそこに座って、私がそうするよりずっと楽しそうに、先輩と話している。

 ずるい、ずるい、ずるい。

 そんな思いが膨らんで、すぐに萎んだ。

 先輩も、それどころか部長も、何一つ悪くなどないのだ。

 悪いのは全部私で、みんなができることなのに、私だけが上手くできない。

 たった一言、こんにちは、とか、今何してるんですか、とか、言えたら、先輩は優しいから、きっと私と話してくれる。

 けれど、私にはその一言が、恐ろしい。

 喉がひきつって、声にならない。

 先輩の邪魔をしてしまったらどうしよう、先輩に不快な思いをさせてしまったらどうしよう。

 そんな考えばかりが先立って、結局何もできずにいる。どうしようもない、意気地なし。

 それでも、変わらないと、って。

 このままじゃだめだ、って。

 頑張って、頑張って、どうにか自分を奮い立たせる。

 何て言って話しかければいいのだろうか。

 先輩と部長が喋っている邪魔にはならないだろうか。

 考え始めると、なかなか言葉が出なくて、もどかしくて、涙が溢れそうになる。

 それでも、なんとかタイミングを探して、ここなら、と思った。

 ちょうど、部長が先輩を遊びに誘ったところだ。

「なー隼人はやとー、今週の日曜、どっか遊びに行こうぜー」

 隼人、というのは先輩の名前だ。

「別に構いませんけど、あきらさん受験勉強は大丈夫なんですか?」

 明というのは部長の名前で、下の名前で呼ばれてることが少し羨ましい。

「なんだよー、お前までそんなこというのかよー。大丈夫だって、多分」

 不服そうに口を尖らせる部長に、先輩は小さくため息を吐く。

「多分って……。ちゃんと勉強しないとダメですよ」

 そんな風に言う先輩の表情は、呆れているというよりも、本当に心配しているようだった。

「わーってるよ。でもさー、息抜きも大事じゃんよー? だから、な? いいだろ??」

 子どものようにジタバタとソファーの上で暴れて、駄々をこねる部長に、とうとう先輩が折れた。

「じゃあ、どこ行きます? あんまり遠くは無理ですよ、お金ないんで」

 私は、自然に、自然に、と自分に言い聞かせて、切り出した。

「あ、あの」

 突然の闖入者に、先輩と部長の視線が集まる。

「どうかした、佐栁さなぎさん?」

 普段なら先輩に名前を呼ばれると、嬉しくて踊りだしそうな気持ちになるのだけど、私はそんなことにも気づかないくらいテンパっていた。

 何度も噛みそうになりながら、それでも、しっかりと伝える。

「あの、それ、日曜日、私も付いて行っちゃ、だめ、ですか」

 何とか、最後まで言えた。

 でも、言ってしまってから、すぐに後悔した。

 ある程度冷静になってきて、客観的に見ると自分は、とてつもなく空気の読めないやつみたいだと、気づいてしまった。みたいというか、まんまその通りだ。

 返事がくるまでの数秒の間が、無限にも長く感じられて、ずぶずぶと足元から自己嫌悪の海に沈んでいく。

 そんな私を、先輩の優しい声が救い上げる。

 部長と顔を見合わせていた先輩は、私の方を向くと、柔らかな笑みを浮かべて頷いた。

「いいよ。な、明さん」

 部長も、先輩に向けるのとは違う笑みで、うんうんと頷いた。

「いいともいいともー。楽しくなりそうだねー」

 それから、日曜日の昼過ぎに駅に集合することを決めて、解散した。

 先輩と休日も会える。

 その事実が嬉しくて、頑張った自分を褒めてあげたくて。帰りにちょっと寄り道して、自分へのご褒美に本を買いに行った。

 そしたら、先輩がいた。

 ただし、部長と一緒に。

 私のちょっと前を歩く二人の声が聞こえる。

「意外でしたよ、アキラさん、てっきり断ると思ってました」

「はー? よく言うよー。隼人が先にいいよって言ったんじゃん」

「それは、そうですけどね」

「それにさー? 可愛い後輩のお願いだぜー? 断れるわけないだろー?」

 何の、何の話を、しているの……?

「まーどーしても許してほしいってんならー? こんどマッサージでもしてくれればいいよー」

「あはは、ありがとうございます。なんなら今から家に来ます?」

「おー、いいのかー?」

「ええ、もちろん」

 息ができない。苦しい。

 私は、何を勘違いしていたのか。

 先輩の隣が、私の場所? そんなわけあるか。思い上がるのも大概にしろ。

 そもそも部長は受験生で、部に所属しているのだって、人数が足りなくなって廃部になるのを防ぐためで。

 当然先輩は去年から部長と一緒にこの部にいたわけで。

 ふと、振り返った先輩と目が合う。

「よ、よう、佐栁。あー、えっと、これはだな」

 先輩は気まずそうに頬を掻いていて、部長は目を逸らす。

「あー、その、何だ。これは、まあ」

 言われなくたって、二人の態度を見ていればわかる。わかってしまう。

 ようは、私はお邪魔虫で、勘違いした痛い女だったと。

 そんな風に思ってしまうと、もう、止まらなかった。

「日曜日、私、やっぱり用事があって、その、だから、ごめんなさい。邪魔して、ごめんなさい」

 背中を向けて、逃げ出す。

 投げかけられた先輩の声がぼやけて、何を言っているのか聞き取れない。

 結局、先輩の隣に私の居場所なんて最初からなかったのだ。

 それだけの話。それだけなのに。

 辛くて、辛くて。

 その日は、人生で一番ってくらい泣いて、泣いて、泣いた。

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先輩の隣 とらたぬ @tora_ta_nuuun

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