先輩の隣
とらたぬ
先輩の隣
寂しい。寂しい。
一人は嫌だ。
先輩が誰かと楽しそうに笑っているのを見るとつらい。
ずきずきと胸の奥の方が痛む。
少し前まで、私はずっと一人だったから、この痛みも耐えられた。
でも、今はだめ。
先輩と話すようになって、ずっと一人ぼっちじゃなくなってからは、一人になる度に、痛くて、苦しくて、胸が張り裂けそうで。
夜、毛布に包まって、先輩を想うと涙が止まらなくなる。
だって、私には先輩しかいないけど、先輩には私だけじゃなくて、たくさん友達がいる。
私と違って人と接するのが上手だから、先輩は誰とでもすぐに仲良くなってしまう。
それが、たまらなく苦しい。
悪いのは、臆病で人見知りな私だって、それはわかってる。
でも、だって。できないことは仕方ないじゃないかって。
自己嫌悪に陥って、結局何もできなくて、いつも先輩から話しかけてくれるのを待っている。
本当に、どうしようもないほど卑怯だ。
●
夕方、一単位四十人の監獄を抜け出して、私は文芸部の部室に向かった。
部員は先輩と私、それから幽霊部員の部長が一人。
部室の中央にはL字型のソファーと竹製のテーブルがあって、私が部室に行くと、だいたい先輩はそこに座って小説を読んでいる。
小説といってもあんまり堅いのじゃなくて、ライトなやつ。
先輩は感想を言ったりはしないのだけど、読みながらよく笑うし、よく泣く。
読書をしていないときは、ノートパソコンを開いて、自作の小説を書いている。
たいてい私はその横で先輩を真似て、小説を書くか、本を読んでいる。
それから、思い出したようにたわいのない言葉を交わしては、笑い合う。
そんな日常。そんな幸せ。
カラカラと音がして、部室の戸が開かれる。
「あ、先輩……」
こんにちは、と続けようとしたのだけど、その言葉は喉につっかえてしまったように、声に出すことができなかった。
よう、と言って入って来た先輩の後ろには、見慣れぬ女生徒がいた。
幽霊部員の部長だ。
息が苦しい。
部長は先輩と親しげに話して、笑い合っている。
先輩がいつもの席に座ってノートパソコンを開くと、部長はその横に座って画面を眺め、たまに「ほー」とか「そうくるかー」とか、そんなことを言っている。
目眩がして、海の底に沈んでいくような錯覚を起こす。
だって、そこは私の席だ。私の居場所だ。
私が先輩と笑い合える、唯一の幸いだ。
それなのに、部長は我が物顔でそこに座って、私がそうするよりずっと楽しそうに、先輩と話している。
ずるい、ずるい、ずるい。
そんな思いが膨らんで、すぐに萎んだ。
先輩も、それどころか部長も、何一つ悪くなどないのだ。
悪いのは全部私で、みんなができることなのに、私だけが上手くできない。
たった一言、こんにちは、とか、今何してるんですか、とか、言えたら、先輩は優しいから、きっと私と話してくれる。
けれど、私にはその一言が、恐ろしい。
喉がひきつって、声にならない。
先輩の邪魔をしてしまったらどうしよう、先輩に不快な思いをさせてしまったらどうしよう。
そんな考えばかりが先立って、結局何もできずにいる。どうしようもない、意気地なし。
それでも、変わらないと、って。
このままじゃだめだ、って。
頑張って、頑張って、どうにか自分を奮い立たせる。
何て言って話しかければいいのだろうか。
先輩と部長が喋っている邪魔にはならないだろうか。
考え始めると、なかなか言葉が出なくて、もどかしくて、涙が溢れそうになる。
それでも、なんとかタイミングを探して、ここなら、と思った。
ちょうど、部長が先輩を遊びに誘ったところだ。
「なー
隼人、というのは先輩の名前だ。
「別に構いませんけど、
明というのは部長の名前で、下の名前で呼ばれてることが少し羨ましい。
「なんだよー、お前までそんなこというのかよー。大丈夫だって、多分」
不服そうに口を尖らせる部長に、先輩は小さくため息を吐く。
「多分って……。ちゃんと勉強しないとダメですよ」
そんな風に言う先輩の表情は、呆れているというよりも、本当に心配しているようだった。
「わーってるよ。でもさー、息抜きも大事じゃんよー? だから、な? いいだろ??」
子どものようにジタバタとソファーの上で暴れて、駄々をこねる部長に、とうとう先輩が折れた。
「じゃあ、どこ行きます? あんまり遠くは無理ですよ、お金ないんで」
私は、自然に、自然に、と自分に言い聞かせて、切り出した。
「あ、あの」
突然の闖入者に、先輩と部長の視線が集まる。
「どうかした、
普段なら先輩に名前を呼ばれると、嬉しくて踊りだしそうな気持ちになるのだけど、私はそんなことにも気づかないくらいテンパっていた。
何度も噛みそうになりながら、それでも、しっかりと伝える。
「あの、それ、日曜日、私も付いて行っちゃ、だめ、ですか」
何とか、最後まで言えた。
でも、言ってしまってから、すぐに後悔した。
ある程度冷静になってきて、客観的に見ると自分は、とてつもなく空気の読めないやつみたいだと、気づいてしまった。みたいというか、まんまその通りだ。
返事がくるまでの数秒の間が、無限にも長く感じられて、ずぶずぶと足元から自己嫌悪の海に沈んでいく。
そんな私を、先輩の優しい声が救い上げる。
部長と顔を見合わせていた先輩は、私の方を向くと、柔らかな笑みを浮かべて頷いた。
「いいよ。な、明さん」
部長も、先輩に向けるのとは違う笑みで、うんうんと頷いた。
「いいともいいともー。楽しくなりそうだねー」
それから、日曜日の昼過ぎに駅に集合することを決めて、解散した。
先輩と休日も会える。
その事実が嬉しくて、頑張った自分を褒めてあげたくて。帰りにちょっと寄り道して、自分へのご褒美に本を買いに行った。
そしたら、先輩がいた。
ただし、部長と一緒に。
私のちょっと前を歩く二人の声が聞こえる。
「意外でしたよ、アキラさん、てっきり断ると思ってました」
「はー? よく言うよー。隼人が先にいいよって言ったんじゃん」
「それは、そうですけどね」
「それにさー? 可愛い後輩のお願いだぜー? 断れるわけないだろー?」
何の、何の話を、しているの……?
「まーどーしても許してほしいってんならー? こんどマッサージでもしてくれればいいよー」
「あはは、ありがとうございます。なんなら今から家に来ます?」
「おー、いいのかー?」
「ええ、もちろん」
息ができない。苦しい。
私は、何を勘違いしていたのか。
先輩の隣が、私の場所? そんなわけあるか。思い上がるのも大概にしろ。
そもそも部長は受験生で、部に所属しているのだって、人数が足りなくなって廃部になるのを防ぐためで。
当然先輩は去年から部長と一緒にこの部にいたわけで。
ふと、振り返った先輩と目が合う。
「よ、よう、佐栁。あー、えっと、これはだな」
先輩は気まずそうに頬を掻いていて、部長は目を逸らす。
「あー、その、何だ。これは、まあ」
言われなくたって、二人の態度を見ていればわかる。わかってしまう。
ようは、私はお邪魔虫で、勘違いした痛い女だったと。
そんな風に思ってしまうと、もう、止まらなかった。
「日曜日、私、やっぱり用事があって、その、だから、ごめんなさい。邪魔して、ごめんなさい」
背中を向けて、逃げ出す。
投げかけられた先輩の声がぼやけて、何を言っているのか聞き取れない。
結局、先輩の隣に私の居場所なんて最初からなかったのだ。
それだけの話。それだけなのに。
辛くて、辛くて。
その日は、人生で一番ってくらい泣いて、泣いて、泣いた。
先輩の隣 とらたぬ @tora_ta_nuuun
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