Youは何しに海外へ? -国外在住者のつどい

三崎伸太郎

第1話 1: 学校編 2: 英会話編、3: 時間があれば「その他」と45日終了までに書いて見ようかなと思っています。

「学校編」

私はアメリカに住んでいます。思いつきで下記のようにアメリカに住む日本人のクラス分けをして見ました。


1} フルブライト奨学金による人物交流、日米政府が費用を持ち優秀な社会人をアメリカ、日本で数年勉強させる。

2} 結婚によりアメリカ人と結婚してアメリカに住む。

3} 会社の派遣社員、例えば商社やITなどの社員や技術者、会社負担でアメリカで生活する。

4} 特別な人、例えばスポーツ選手、芸術家、料理人など自分の技術で生活する。

5} ホーム・ステイ、契約しているアメリカ人の家庭でアメリカ生活を体験。

6} 留学生、親や法人が生活費や学費を面倒見る。

7} その他、ふらりとアメリカに来て住み着く。


一番から六番は経済的に恵まれている方達だと思います。私は七番に位置します。

ふらりとアメリカに来ました。小学生の頃からアメリカに来る事を夢見ていました。

既にアメリカに住む期間のほうが日本に住んだ期間より長くなっています。

ただ「ふらり族」で経済的に恵まれた生活ができるのは稀だと思います。

成功した「ふらり族」を聞いた事がありません。多分現在の私は、アメリカの中間層の下方に位置し、貧困層の少し上にいるようです。

生き様も結構厳しく、生活する環境にも恵まれているとは思えません。

私は、サンホセのシリコンバレーと言うコンピューターやIT企業の集中する市内に住んでいます。此処はアメリカの中でも恐ろしく家賃の高い地域だそうです。聞くところによりますと、上記の三番に位置する方達は、家賃が月に1,800ドル(20万円)から4,000ドル(46万円)以上もするアパートメント、コンド、又は一戸建ての借家に住んでおられるそうですよ。勿論、中には家を買って住んでおられる方もいらっしゃいます。

地域にもよりますが一戸建ては、中古の安い家(3LDK)でも800,000ドル(9、200万円)からです・・・信じられますか? 本当に大した家でもないのがミリオンの値をつけています。ウエブサイトで調べてみて下さい。

サンフランシスコのベイエリアでは、家賃の高騰で生活できなくなった大学生の一部が路上に停めた車で寝泊りをしているそうで社会問題になっています。

しかし、路上生活者は学生達に限ったわけではありません。家賃の高騰で、家賃より安価なレンタルのキャンピング・カーで車上生活している一般人も可なり多いようです。

確かに私の給料程度では生活できない地域ですね。

でも、私は意外と強運でして家内の度胸のおかげで住宅バブルになる前にコンドを買っていました。なんとなく買ったわけですが上手く行きました。毎月の住宅ローンの支払いは、私の給料でやりくりできる範囲に収まっています。

コンドは四棟が一まとまりで広い芝生の中に並んでいます。しかし、敷地区画に余裕のあるコンドは投資の対象にもなります。投資で家を買ったオーナー達は、家賃滞納の心配が無いサンタクララ群やサン・ホセ市の低所得者対象のプログラムに家を貸しますので、自然生活環境は悪くなって参ります。理由は簡単です。住宅補助を受けた住人は最初の数ヶ月だけ申請した人数で住み、計画的なのか経済的な問題からか次第に同居人を増やして来るのです。家の周辺が汚れ始め、騒音等のトラブルが発生し、私は隣人達と口論をする羽目になります。我々日本人と違い彼らはトラブルや闘争に慣れています。直ぐにポリスを呼び、家のドアをノックして現れるポリスに自分の正当性を説得なければならなかった事は数知れません。何度も住宅を管理するマネージメント会社とも話し合わなければなりませんでした。

家内は、私を庇うために大変です。ずいぶんと迷惑をかけています。多分、経済的なバックにより環境の良い常識のあるアメリカ人社会で生活する日本人には思いもよらない事でしょうね。しかし、残念ながら戦闘体制を維持している日本人もいるのですよ。私のような貧困一歩手前の環境下で生活する日本人は「勝ち抜く」と言う強い意志を持たないと生活していけません。

運がよかったのは、アメリカで過酷な生活を送りながらも家内の勧めにより二年生と四年生の大学に行かれたことです。四年生の大学は働きながらでした。当然キャンパスと併用してオンライン教育に優れている大学を選びました。クオーター制で四学期あり週に数個の小論文、月に二つの中論文、三ヶ月に一つの長論文が求められて死ぬ思いを致しました。論文は、日本の大学における書評論文や研究動向論文ではなく、どちらかと言うとテーゼ(課せられた問題に対する命題)を明確にし自論を述べる事が求められました。

私は入学直後、単に単位を稼ぐ為に取った「ヨーロッパ中世史」で書評レポートのような論文を提出して、教授に{馬鹿者}扱いされた経験があります。彼に「何を書いているんだ。この程度の英語しか書けないのか」と酷評されました。当時、私の英語の文章はお粗末でした。叱咤激励だったかもしれないのですが落ち込みました。未だに、あの時受けたショックが消えておりません。働きながら、英語で論文を書くのは過酷です。各コースごとに講義、試験、グループによる討論、学科のプロジェクト等が教育プログラムに隙間なく設定してあるのです。仕事から家に帰り夕食をとると深夜の一時に二時まで勉強をしなければなりませんでした。大学の学位プログラムは手抜きを許しません。頭の毛が抜けて痔になった程です。予断ですが痔は、サンフランシスコの安価な治療院に通って治しました。

ある時、中論が書けず、週末に頭を抱えておりますと家の外で騒音です。見るとメキシカン達が芝生でサッカーをしています。当然、外に出て怒鳴り口論になりました。次は、スケートボードの騒音。ラジオから流れてくるマリアッチ、ラップやヒップホップ・・・たまったものではありません。当分の間は隣人として避けたい人達です。特に私の周りの住宅手当を受けている借家にはメキシコ人、プエロトリコ人など中南米出身者らしき方達が多く住んでいるようです。残念ながらアメリカ社会の秩序に慣れていらっしゃらないのか、一般的な常識が通じない方が多いようです。直ぐに戦いを挑んでまいります。日本人のモラルの観点で相手を判断してはいけません。相手が常識のある良い人間か悪い人間かで判断しましょう。

仕方ないので、私は大学が各学期ごとにサインをさせる「論文規則」に違反し、一部の参考資料を貼り付けて論文を作成しました。日本でも貼り付けをした研究論文が世間を騒がした事がありましたよね、私もアレと同じ事ことをしたのです。

勿論、上手く行くはずがありません。論文は、多量の赤文字の注意書きとともに返却されました。見ると、論文チェック会社のマークがあり、学生指導の教授から論文は30パーセントが貼り付けされたもので当大学の論文規則に違反している。したがって書き直すようにと指示されました。くどいようですが英語で論文を書くこと自体、私には死ぬような苦痛です。私は、小学生のように泣きたい気持ちで論文を書きなおさなければなりませんでした。

オンラインで専攻した科目の場合は特に難しいですよ。キャンパスでは同級生に聞けばある程度助けてくれます。オンラインであれば、己の能力をフルに活用しなければ前に進めません。

そこで、私は出来るだけ数学を専攻することにしました。多くの数学の科目がありましたので、かなりの単位を稼げるだろうと目論んだのです。

オンラインで取る科目を見くびってはいけません。ある時、サンフランシスコにある大学で修士課程に席を置く日本人学生に統計学の教科書を見せられましたが私の習った統計学の教科書の方が高度な内容と専門性を持っていました。従って、彼に質問された問題にも答える事ができました。オンライン科目では、あの分厚い教科書の最初から最後まで勉強させられます。教室だと生徒の状態がわかるので少しは容赦されますがオンラインではプログラムされたカリキュラムを生徒が必死に追いかけるだけです。へとへとでした。アメリカでは卒業証書に夜間とかオンラインとか、科目を取った課程は書いてありません。それは、科目の単位習得手段として、どれを専攻しても同じレベルであるということです。時々ウエブサイトなどで「オンライン・コース」を見下げるようなことを書いている人を見ます。大変申し訳ないのですが、もう少し調べて書いていただきたいものですね。自分が他人の受ける教育をよく調べもせず見下げているのは、知識の欠如と本人の教養の低さからでしょうか。

さて、数学系の科目で単位を稼いだ後の私には、当然メジャーの必須とする科目の単位が残りました。当たりまえですが教科書は英語に満ち溢れています。

かつてキャンパスの大学に行っている時に、私は何となくリーガル(法律)の科目を取ったことがありました。そして、コースに二度も落ちた苦い経験を持っています。教授は自治体の弁護士でもあり、法律は「言葉」だ。出来るだけ多くの法律用語を覚えなければならないと言っていました。私にとって法律用語や医学用語は大変難解です。結局卒業が一年遅れました。学費も損をしました。

日本の皇室と関係しているらしい一般人の青年がアメリカのロー・スクール(法科大学院)に入学して、アメリカの弁護士の資格を取るために勉強をしているそうですね。日本の大学の単位を使わずに、全ての科目を習得して卒業するのであれば大したものです。

しかし、失敗は至る所から転がり込んで参ります。最終的な詰めの甘い私は、四年生の大学でも再びとんでもないヘマをしました。後二つほど単位を稼げば卒業できるところまでこぎつけた時に、手違いで希望したコースが満席で取れなかったのです。残っているのは、新設されたコースで「リーガル」でした。一度目の大学における苦い経験が蘇って来ました。それで、最初は躊躇しましたが少しは英語にも慣れていたので、三度目は大丈夫だろうと安易に考えて手続きを取ってしまったのです。正直に言うと、後一学期卒業を遅らせたくなかったのですね。でも、案の定コースがスタートすると悪戦苦闘する羽目となってしまいました。講義の後に、実際の法的な訴訟問題がだされて頻繁に討論が行われます。すべての問題は、私を狼狽させます。私の答えはすべて違う結果になります。二転三転の後に現れる結果が正解となるのです。

チンプンカンプンの授業を必死で追った私は食欲を失い毛が抜け、痩せました。ボクシングの試合のように強打を受けながら最終ラウンドを迎えたようなものです。ボデイブローのパンチも効いてきてフラフラな状態で最終試験を迎えました。

結果は67点でした。70点以下は落第です。力尽きてガックリとリングに膝を付きましたが、私はレフリーのカウントを朦朧と聞きながらも、カウント9で立ち上がりました。アメリカの過酷な生活に鍛え上げられて、打たれ強くなっていたのです。

最後のパンチを相手に出しました。必死で教授と掛け合ったのです。リーガルで習った弁明の仕方で担当教授に手紙も書きました。そして「君の専門分野ではないので、パスにしてあげましょう」と、電子メイルが届きました。判定勝ちです。何事も諦めてはいけないですね。

こういった理由で、私には殆ど消化できていない「リーガル」ですが私の日ごろの日常生活に起こるさまざまな問題解決に一番役に立っています。私は度々家内に「リーガル」が一番役に立ったねと、話します。姉さん女房の家内は私の起こすトラブルを思い出し、ため息をつきながらも「そうね」と答えるのです。そして私は「苦労してみるものだなあ」と、時々思うのです。

私の生活は、カクヨムの中の作品「くらうど」「女性王国」三崎伸太郎(ペンネーム)でも少し書いています。


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