記憶泥棒

湯上信也

灰色

その能力を使えるようになったのは、余命宣告を受けた少し後だった。


病室で窓の外の往来を眺めている時、突然他人の頭の中が見えた。正確に言えば、他人の記憶が見えるようになった。


そして、それを奪うことができた。どんな理屈か分からないが、俺は他人の記憶を自分のものに出来るようのになった。


他人の記憶を覗くことと、自分のものにする事の違いは、相手の中からその記憶が無くなることだ。だから俺は『奪う』と表現している。


外にいる奴らの記憶を奪っても、奪われた事に気付かない事が多い。だから、俺は記憶を奪う事ができるのか、ただ覗く事ができるだけなのか、最初の頃は分からなかった。


ただ、他人から記憶を抜き取っているという感覚はあった。


試しに、薬を渡して病室から出て行く看護師から、『薬を渡した』という記憶を抜き取ってみた。すると看護師は踵を返して戻ってきて、オーバーテーブルにある薬を見て不思議そうな顔をしていた。


それで確信した。俺は記憶泥棒になったようだ。


なぜこんな能力が使えるようになったのか。死期が迫っているのに、それを悲しむ事ができない俺を見兼ねた神様が、最後に良い思い出をやろうとでもしているのだろうか。


だとしたら、神様はとんだ間抜けだ。人を助けた気になって、優しい自分に酔って、的外れな事をしていることに全く気付かないバカな人間と同じだ。


いい思い出を持ったとしても、それは俺のじゃない。他人の記憶だ。自分のじゃない幸せな記憶。それは虚しさしか生まない。


そんなことも分からない奴が神なんて名乗る資格があるのか。いや、そんな奴が作った世界だから、こんなに灰色に見えるのか。


俺にはこの世界が灰色にしか見えない。黒でも白でもない。煙の中にいるような、不愉快な灰色。


別に悲惨な状況にいたわけではない。


両親には最低限の愛を注がれていた。でもそれは、俺を産んだ事の責任を果たすためだった。


俺の中にはある一番古い記憶は、遊園地で両親と手を繋いでいる時だ。両方の手が自分のじゃない手の温度を感じていた。


その手は、冷たかった。見上げると、父と母の笑顔があった。今考えると、子供にも分かる作り笑いとは、相当酷かったのだろう。


それから、授業参観に来た母の顔。俺を見るどころか、何も目に入っていないようだった。無表情に、ただ時間が過ぎるのを待っているだけに見えた。


それから、運動会でビデオを撮る父の顔。カメラからチラチラと見えるその顔は、ロボットのようだった。俺を撮るためだけに作るられたビデオロボット。


それから、中学の時に母が毎日作ってくれた弁当。味をまったく思い出せない。


いっそのこと、俺に暴力を振るってくれれば良かった。そうすれば、俺は気兼ねなく両親を恨む事ができたのに。


耳を塞いで、目を閉じで、膝を抱えて蹲っていたかった。そんな、嫌々愛されたくない。そんな、作り物の愛はいらない。


製造物責任法というのを授業で学んだ時、納得した。自分で作った物は、自分で責任を持たなくてはならない。


俺は人じゃなくて、物だったんだ。


愛というのは責任をとるための道具だと、俺は確信した。


だから、他人からの愛は受け取らなかった。俺に話しかけてくれる人はみんな、自分の中にある責任感を処理するために俺を利用しようとしているんだと思った。


必然的に、俺は孤独になった。でも、それで良かった。親のように心底面倒くさそうに愛されるくらいなら、ひとりぼっちの方が遥かに良い。


大学に入学して、一人暮らしがしたいと言った時、両親はとても嬉しそうだった。やっと肩の荷が下りる、と言わんばかりに。


大学生の間は仕送りをしてくれたが、心配して様子を見に来るとか、メールでやり取りするとか、そういう事は一切なかった、仕送りは、最後の責任といったところだろう。銀行から取り出す金は、妙に冷たく感じた。


就職が決まると仕送りが無くなり、いよいよ両親との繋がりが消えた。きっと実家では祝杯をあげた事だろう。俺も息苦しい家族と縁が切れた事を嬉しく思った。


25歳を迎えた頃に、俺の人生はゴールを見つけた。なんとなく体調が悪いから病院に来ただけだったのだが、様々な検査の結果、俺は余命半年と告げられた。


その時俺は、異常なくらい落ち着いていた。医者が困惑するくらいに。

俺の人生、こんなもんで十分だろうと思った。むしろ、25年も生きたんだから、そろそろこの灰色から解放されても良いだろうと思ってたところだ。


一応両親に連絡すると、「その内行く」とだけ返ってきた。きっと俺が死ぬまで来る事はないだろう。


そして俺が死んだ後、「とても悲しいですよ」と言いふらすような表情を作ってここに来るだろう。その様子を想像すると滑稽で笑える。俺が直接その光景を見る事はないだろうが。


病院のロビーは賑やかだった。子連れの親もいれば、マスクをつけて不機嫌そうに座っている年配者もいる。長椅子が並んでいるが、そのほとんどが人で埋まっている。


少し離れたところに単体の椅子がいくつか並んでいる。俺はそのひとつに座って、今日も記憶を奪っていた。


虚しいだけの能力だと思ったが、そもそも俺は人生に虚無感以外の感情を持った事がない。今更虚しさが増えようが大して変わらない。


それなら、せっかく手に入れたこの能力を使いまくってやろうと思ったのだ。俺が死んだ後も生きるであろう奴らに、迷惑をかけてやろうと考えた。


しかし、どうも上手くいかない。記憶を奪うことがではない。迷惑をかけるのが、上手くいかない。


この能力で奪えるのは、エピーソード記憶だけだ。意味記憶や非陳述記憶は奪えない。エピソード記憶、『思い出』とも言い換えられるこの記憶は、人間にとって大した価値はないらしい。


無くなったことにすら気付かない奴らばかりだし、無くなった事に気付いても、奪われたと思う奴はいない。忘れてしまったと思うだけだ。これじゃあ迷惑とは言えない。


この能力を使うのもある程度体力がいる。奪う記憶が長時間のものであるほど、疲労は大きくなる。疲れるのは嫌なので、短い記憶ばかり奪う。そうすると、ますます相手に与える影響は少ない。


つまらない。それでも何か面白い事が起きる事を期待して記憶を奪い続ける。


今日も何も起こらないなと思っていた時、とても不快な思いをした。嫌な記憶を奪ってしまったのだ。


ろくに内容を確認せずに手当たり次第に奪っていたので、こういことはよくある。しかし、今回は特にひどかった。


学校でいじめを受けている記憶。俺ならすぐに自殺するな、というほどに悲惨な記憶。小さく舌打ちをして、奪った事を後悔した。


その直後に、違和感を覚えた。自分を構成するものをひとつを奪われたような、喪失感といえるようなもの。でも、俺でなければ気付かないくらい、小さな喪失感。


なぜ俺は気付けたのか。それはこの感覚を知っているからだ。自分で体感するのは初めてだが、よくこんな感覚を人に与えている。


どうやら、俺の記憶が奪われたらしい。


正確に言えば俺の記憶ではなく、他人から奪った記憶のひとつが、誰かに奪われた。


一体誰に奪われたのか。周囲を見回す。俺の2つ隣に座って本を読んでいた少女と目が合う。この子はさっき、俺が嫌な記憶を奪った相手だ。


おそらく高校生くらいの女の子だ。肩にかかるくらいのまっすぐな黒い髪、眠そうな目、病的なまでに白い肌(実際病気なんだろうが)、水色の病院着から伸びる腕は少し握ったら折れてしまいそうな細さだった。


容姿は整ってると言えるが、ずっと日陰で生活しているような、どこか仄暗い印象の少女だ。


数秒の沈黙の後、少女は口角を上げたて言った。


「仕返しです」


「……マジかよ」


まさか、俺と同じ事ができる奴がいるなんて、全く想像してなかった。しかし、この少女は俺の記憶を奪ってみせた。この子が俺と同じ記憶泥棒なのは、疑いようがない。

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