第一章 新たなる仲間編

第一話 無色眼の元勇者、来世で不遇な扱いを受ける。

 先の見えない暗闇の中をたゆたうような不思議な感覚。今まで眠っていた五感がにわかに刺激され、全身の感覚を急速に取り戻していく。闇に閉ざされていた意識が、たちまち覚醒する。


 俺はゆっくりと瞼を持ち上げる。


 途端、目を刺すような眩い光が射し込んでくる。ぼんやりとした視界がやがて焦点を結ぶと、壮年ほどの女と男がこちらを覗き込んでいた。


「み、見てあなた! 赤ちゃんが目を開いたわ!」


「おお! 産まれたばかりなのにもう開いたのか! さすが私たちの子だ!」


 そう言われて自分の身体を見下ろすと、見事なまでに赤子になっていた。どうやら転生は無事成功したらしい。ということは、いま目の前にいる二人はこの来世の自分の両親ということか。ベッドに安静に横たわった母とその脇のスツールに腰掛けた父の発言から、ちょうど俺の出産を終えたばかりのようだ。


 俺を両手で優しく抱きながら、母はうっすらと微笑む。


「無事に産まれて良かったわね……」


「ああ。元気な男の子だ」


 父も安堵したように相好を崩す。


「ねえ、この子の名前どうしようかしら」


「そういえばまだちゃんと決めてなかったな。別に急いで決めることはないと思うが」


 母は可愛らしくむっと頰を膨らませる。


「駄目よ。鉄は熱いうちに打てって言うでしょ? それに早くこの子のことを名前で呼んであげたいの」


「そうだな……。どうせなら男の子らしくかっこいい名前がいいと思うんだが、例えば……」


「――セインだ」


「「え?」」


 二人は思わず間の抜けた声を上げ、こちらの顔をまじまじと覗き込む。


「ね、ねえ、今この子しゃべらなかった?」


「そ、そんなわけないだろう。何かの聞き間違いじゃ……」


「聞き間違いじゃないぜ」


 突然、俺の小さな身体がひとりでに浮き上がり始めたかと思うと、ふわふわと床に着地する。


 俺はSランクスキル《急速成長》を使い、十六歳辺りの成長期の肉体の大きさまで一気に成長する。


 突如目の前で起きた非現実的な現象に、母と父はあっけらかんとした顔で互いに見合う。


「ね、ねえ、私たち変な夢でも見てるのかしら?」


「そ、そうだな。ここ最近ばたばたしてたし、きっと疲れてるんだ。うん、そうに違いない」


 どうやらまだ脳の処理が追いついてないらしい。まあ自分たちの子供がいきなりこんな急成長されては、そういう反応になるのも無理もないだろう。


 俺は二人を脅かさないよう、出来る限り落ち着き払った口調で告げた。


「突然の出来事で信じられないかもしれないけど、これは夢でもなんでもないし俺は正真正銘あんたたちの血を引き継いだ子供だ。名前はセイン、よろしく」


 母と父はぱちぱちと目を瞬かせる。


「ほ、本当に私たちの子供なの?」


「それじゃ、今の急成長は一体……」


「ちょっと特殊な魔法を使って、成長速度を一気に速めたんだ」


 すると、それを聞いた二人はパッと顔を輝かせる。


「す、すごいわあなた! 産まれた時から魔法が使えるなんて! きっとセインちゃんは神様に選ばれた子なんだわ!」


「ああ! これは将来とんでもない魔眼士になるぞ!」


 なぜか勝手に話を進めて盛り上がる。


「あの……盛り上がってるところ大変申し訳ないんだけど、二人にはどうしても伝えておかないといけないことがあるんだ」


 俺は真面目腐った調子で話を切り出す。


「俺はすぐにでも冒険者になって、魔王レヴィアスを倒しにいかないといけない。このまま奴を野放しにしておけば、いずれ世界はまたベルザークの時代のように破滅の一途を辿ることになる。俺はなんとしてもそれを阻止しなくちゃならない」


 俺の突拍子もない話に、母が酷く困惑する。


「ちょ、ちょっと待ってセインちゃん。どうして産まれたばかりのあなたがレヴィアスやベルザークのことを知ってるの? それに、レヴィアスを倒しにいかないといけないって一体どういうこと?」


 まあ当然の疑問だろう。前世の自分のことがバレないように、どこからかいつまんで説明すればいいものか……。


 俺は文字通り自分の身体――全裸を見下ろす。


「その説明の前に……ちょっと服を借りてもいいか?」


 さすがにこの産まれたままの姿では、恥ずかしいことこの上ないのだった。



     ◆ ◆ ◆



 母が大きくなった時の俺のために事前に衣服を用意していてくれたので、幸い着る物に困ることはなかった。前世の自分のことや転生のことは隠し、俺は二人に事情を説明した。


「つまりセインちゃんは、神様に魔王レヴィアスを倒してほしいっていうお告げを受けて私たちの家に産まれたってこと? すごーい!」


「まさか本当に神様に選ばれた子とは……まさしく神童じゃないか!」


 さすがにこんないい加減な説明では怪しまれないか心配だったが、疑うどころかむしろ信じてくれる母と父であった。二人が天然で助かった。


「魔眼士としての素質があるなら、魔力もきっとすごいに違いないわ! ――セインちゃん、魔力を引き出すことはできるかしら!?」


「う、うん、できるけど……」


 有無を言わさぬ母の圧に押されて頷き、俺は特に意識することなく魔力を解放する。


 途端、純粋な紫色の通常魔力が全身から溢れ出す。


 しかし、母と父は魔力には目もくれず、食い入るようにこちらの瞳を覗き込む。


「あら、おかしいわ……。虹彩が何色にも変化しないけど、これってまさか……」


「ああ、そのまさかだ……」


 なぜか二人とも動揺を隠しきれない様子で呟く。全く事情が汲み取れず、俺は怪訝に首をかしげる。


「なんだ、何か問題でもあるのか?」


 すると、今しがたまでの和やかな雰囲気とは打って変わり、母が急に神妙な面持ちになる。


「セインちゃん、こんなことを言うのもなんだけど、冒険者になるのは諦めたほうがいいわ」


「……? 一体どういう意味だ?」


 母は沈痛な声音で告げた。


「セインちゃんの瞳は《無色眼》って言って、その名の通り属性魔力が使えないことを表してる無色の眼なの。冒険者になるためのライセンスを取るには、最低一つは属性魔力が使えないと冒険者認定試験を受けられないのよ。無色眼は一つも属性魔力が使えないことから、世間的には無能扱いされてるの」


 俺は一瞬、自分の耳を疑ってしまった。


 どうやら俺がこの世から去っている間に、無色眼は無能と呼ばれるまでに価値がどん底に落ちてしまったらしい。一体どうしてこんなことになったのかは現時点で知るよしもないが、無色眼は属性魔力が使えないどころか唯一全ての属性魔力を扱える至高の魔力眼なのだ。無色眼は属性魔力が使えない無能などと自分のいた時代で口にすれば、まず世間からは鼻で笑われたことだろう。それに、冒険者ライセンスは属性魔力が使えなくとも普通に取得できたはずだが、一体世間はいつから無色眼に対してこれほど厳しくなったのか。


「なんだ、そんなくだらないことか。それなら特に問題はないかな」


「え? それってどういう――」


「――要は属性魔力が使えればいいんだろう?」


 にやりと不敵に口の端を吊り上げ、俺は再び魔力を引き出す。


 すると今度は赤い魔力が全身から溢れ、無色でしかなかった俺の瞳が、一瞬にして紅蓮のような赤に染まる。


 母は面食らったように声を上げる。


「こ、これって火属性の《赤色眼せきしょくがん》じゃない! やっぱりセインちゃんは紛れもない天才なんだわ! てっきり無色眼かと思ってたから、私すっかり騙されちゃったわ。――わかった。セインちゃんがそこまで言うなら私も魔王を倒す旅に出ることに協力するわ。あなたもそれでいいでしょ?」


 父は鷹揚に頷く。


「ああ、もちろんだ。セインがどうしても行くというなら私も協力しよう。目標に向かっていく我が子の背中を少しでも押してやることが、せめてもの親の務めというものだ」


 母が張り切って声を上げる。


「よし、そうと決まれば今夜は張り切ってシチューでも作っちゃおうかしら!」


「いやいや、お母さんはちゃんと安静にしてないと。私が代わりに作るから」


 父が冷静に押しとどめる。


「あ、じゃあ俺も手伝うよ」


「いや、今日はセインの誕生日なんだから私一人で作る。セインはお母さんと話でもしてなさい」


 一方的にそう言い、父はすたすたと台所に入っていく。


 母は嬉しそうにこちらの手を握る。


「ああ言ってることだし、セインちゃんは私と楽しくお喋りしましょ。話したいことも山ほどあるし」


 父が料理を作っている間、俺は母と談笑に興じた。


 どうやらここはアイレーン大陸のイルクス地方の山奥にあるフィルという村らしく、ファウストという男爵貴族の領地で暮らすユークニル家の平民の家庭らしい。ということは、俺の名前は新たにセイン=ユークニルになるのか。現在は父と母の二人で暮らしているとのこと。二人の馴れ初めや現在の世界の事情など、知りたかったことからどうでもいいことまで母は夢中で話してくれた。


 そうこうしているうちにテーブルにシチューが並び、三人は卓を囲んで今夜限りの賑やかな夕食を始めたのだった。



     ◆ ◆ ◆



 父に案内され、俺は家の奥にある一つの部屋の前にやって来た。


「今夜はここで寝るといい。頼まれてた歴史書は机に置いといたから、夜更かししない程度にたくさん読んでおきなさい。明日の朝また起こしに来るからちゃんと準備はしておくように」


 おやすみ、と面倒見よくそう言い残し、父はリビングのほうにすぐに帰っていく。


 両親ともに少し抜けたところはあるものの、どうやら自分は比較的幸せな家庭に産まれることができたようだ。ならばこの新たな人生を盛大に祝福しよう。


 俺は扉を開けて部屋に入る。中は六畳一間ほどの広さで、勉強机やベッド、クローゼットや調度品などが整然と置かれている。将来自分が大きくなった時のために部屋を空けておいてくれたのだろうか。家に染み付いた独特な匂いが鼻腔をくすぐる。


 先ほどリビングで見た食材に火を通す機械や部屋を明るくする装置など見慣れない物は増えたが、百年前と比べてあまり文明水準は変化していないようだ。


 俺は勉強机の上に積まれた歴史書の一冊を手に取り、部屋の片隅に据えられたベッドに横たわると、早速本に目を通す。


 幸い百年前と言語は変わっておらず、問題なく文字を読むことはできる。およそ百五十年前に魔王ベルザークが世界を支配する《災厄の世紀》が始まり、人類と魔族の戦いの歴史や勢力変遷などの記録が事細かに載っている。


 どうやら俺が結成したギルド《白き翼》は魔王ベルザークとの戦いの後、歴史に名が残るほどにまで有名になっていたらしい。自分だけでなく他の団員たちの名前もしっかりと記されており、もはや世間的に英雄扱いされている存在のようだ。特に団長である俺はベルザークの道連れから自分の身を挺して団員たちを守ったことから、伝説の英雄として高く評価されているらしい。


「まさか自分が死んでる間にこんなに持ち上げられてるなんてなー……」


 見れば見るほどなんだかむず痒くなってくる。だが、どれもいいことばかりだけではないらしい。


 旧魔王ベルザークが死没してから二十年後、奴の子であるレヴィアスが新魔王として世界に君臨。新たに生み出した眷属の魔族たちを従え、僅か五年で瞬く間に世界の覇権を取り戻した。それからおよそ百年、魔族たちは際限なく勢力の拡大を続け、人類は辛うじて前線を抑えているものの日に日に追い込まれているという。


 知らず、俺は溜め息が出てしまう。せっかく自分たち《災厄の世紀》の人間たちが命をかけて魔王ベルザークの討伐を果たしたというのに、これでは一体なんのために戦ったというのか。


 そして気になるのは、無色眼の件に関してだ。どうやら前世の自分が生きていた時代に比べ、無色眼の価値が著しく地に落ちているらしい。一体誰が言い始めたのかは知らないが、ずいぶんと無知な人間が増えたものだ。少なくとも、この時代の魔眼士のレベルは自分の頃より極度に低下しているとみていいだろう。


 それに、見慣れない単語も増えていた。



《混沌の世紀》――。



 どうやらこれが、今の時代の正式名称のようだ。《災厄の世紀》に比べてより物騒さが増したような名前だが、今の人間たちは一体どう思っているのだろうか。


 とりあえず今後の方針としては、セインとしての自分の正体が誰にも露見しないように極力隠しつつ、共に転生した《白き翼》の仲間たちもしくはこの時代の現勇者をどうにか見つけ出すこと。それが現段階で魔王レヴィアスを倒す一番の近道だろう。


 その後も他の歴史書を手当たり次第に読み漁り、俺はこの時代の情報収集に努めた。そうこうしているうちに眠気が襲ってきたので、天井の謎の照明装置の栓をひねって電気を消し、早々に眠りについたのだった。


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