無色眼使いのリスタート 〜元勇者が二周目の落ちぶれた世界で再び魔王を倒すために転生する〜
一夢 翔
プロローグ
序 無色眼の元勇者、新たな世界に転生する。
決戦の夜。
魔国領の中心に位置する敵の本拠地魔王城インペルディアにて、勇者率いるS級ギルド《白き翼》と最強の魔王との世界の命運をかけた壮絶な戦いがあった。
直後、魔王城の一角の城壁に放射状に亀裂が走ると、けたたましい轟音を上げて壁が外に吹き飛ぶ。
そこから人のような大柄の黒影――魔王ベルザークが薄い爆煙の尾を引きながら、近辺の森林の上空に凄まじい勢いで放り出される。
「クソがッ!!」
ベルザークは怒りをぶちまけるように口汚く毒づく。
苛立ちを隠せないのは無理もなかった。《災厄の魔王》と恐れられた地上最強の魔族の王が、突如魔王城に乗り込んできた五人の人間どもに自身が誰よりも誇る力で圧倒されているのだ。こんなことは今までどんな人間を相手にしても、決して起こり得ることはなかった。こんな不名誉な事態は、絶対にあってはならなかった。
不意に、魔王城の壁に空いた巨大な穴から五つの眩い光が現れる。直後、光たちが一斉に散り散りになって超高速で外に飛び出す。
その光のうちの大柄な男の一人――豪傑ゼルディスが、ベルザークの背後に一瞬で回り込むと、両手で巨大な戦斧を構える。
「うおーッ!!」
腹底に響くような野太い声で咆哮し、戦斧を水平に振り抜く。ベルザークもそれに反応し、負けじと振り向き様に右手の巨剣を薙ぎ払う。
重厚な金属同士が全力でかち合い、大量の火花と金属音を撒き散らす。互いに武器を弾き返し、両者身体ごと後方に吹っ飛ばされる。
「図に乗るなッ!!」
ベルザークはすかさず左の掌をかざすと、おぞましい威力を内包した漆黒の波動を放つ。ありとあらゆる生物の生命力を喰らい尽くす闇属性の光線が、ゼルディス目がけて一直線に宙を駆け抜ける。
ゼルディスは身体が硬直し、咄嗟に動くことができない。
「――させませんッ!!」
突如両者の間に白ドレスの金髪の女――大賢者セフィリアが横から割り込み、両手で錫杖をかざして光属性の障壁を空中に展開させる。高出力の暗黒波が光のバリアに直撃し、放射状に勢いよく拡散される。
そのタイミングを見計らっていたように、二人の脇から黒装束に眼帯をつけた女――忍者クロノが颯爽と飛び出してくる。
「天元流抜刀術、奥義十の型――」
腰の鞘に手を添え、清々しい金属音とともに鯉口を切る。
「《
裂帛の気合とともに抜き放たれた刀が、空中に無数の淡い黄緑色の光の軌跡を描く。
その数、実に十六閃。あまりの神速の抜刀術に、あろうことか風を切り裂く音色が一つに重なる。幾閃もの風属性の魔力斬撃が一斉に放たれ、ベルザークに容赦なく高速殺到する。
ベルザークは燃え立つような火属性の赤い魔力を全身にまとい、顔の前に腕を交差させて防御態勢を取る。
「ぐおおおおおおおおッ!!」
だが、いくら風属性に耐性のある火属性とはいえ、研ぎ澄まされた達人の斬撃を完全に防ぐことはあたわず、全身の至る所を切り裂かれて魔族特有の黒い鮮血が迸る。普通なら原型すら留めることなく細切れになるところだが、ベルザークは致命傷だけ避けてぎりぎり耐え凌ぐ。
「まだ終わってねぇぜ!!」
突然威勢のいい声が響き渡ったかと思うと、ベルザークのすぐ真下に金髪の男――鬼才ディンがテイクバックの体勢で槍を構えていた。槍の鋭利な穂先には、風属性の魔力が眩いばかりに凝集している。
「オラッ!!」
渾身の力で槍を薙ぎ払った瞬間、空気が膨張したような暴風が瞬時に生み出される。
さながらかまいたちのような荒れ狂う竜巻がベルザークの体を容赦なく叩き上げ、さらに上空へと豪快に吹き飛ばす。夜天に浮かぶ満月に近づき、鍛え抜かれた奴の巨体が一層照らし出される。
不意に、ベルザークの身体が何かの影に覆われる。歪な形をしているが、明らかに雲ではない。
ベルザークは背後を振り返ると、驚愕に目を見開く。
《白き翼》の団長兼勇者である男セイン――俺が、翼を模した大剣を両手で高々と振り上げていた。白翼の剣には、光属性の白い魔力が逆巻く奔流のごとく煌々と
完全に背後を取られた形となり、ベルザークのガードが致命的なレベルで遅れる。
「うおおおおおおおおッ!!」
俺は全身全霊の力を剣に乗せて振り下ろす。
研ぎ澄まされた刃がベルザークの背中を豪快に叩き斬ると、そのまま地上に向けて吹っ飛ばす。隕石の如く加速が始まり、ベルザークは勢いを殺すことができず真下に広がる森に墜落。
直後、派手に土煙を巻き上げ、暴力的な衝撃音が耳に届いてくる。眠っていた野鳥たちがかまびすしくさえずり、たちまち森が目を覚ます。
俺は油断なく落下地点を見据えるが、奴が戻ってくる気配はない。
「咄嗟に魔力を背中に集めて、こっちの攻撃を軽減したか」
だが、確かに手応えはあった。さすがの頑丈な奴といえど無傷では済まないだろう。
「油断するなよ。今ので死んだとは到底思えない」
念を押すように仲間たちに告げ、地上に向かって降下する。
俺たちは細心の注意を払いながら、ベルザークが落下した場所に着地。辺りは濛々と土煙に覆われ、奴の生死はすぐには判らない。
やがて濃密な土煙が晴れてくると、中から黒いシルエットがうっすらと浮かび上がる。
「強い……強すぎるぞ《白き翼》!! まさかこれほどの強さとはッ!!」
墨のような血を全身から垂れ流しながら、ベルザークが満身創痍で姿を現す。
ねじれた二本の黒い角を頭に生やし、戦闘服の上からでも判るほど見事に鍛え上げられた筋骨隆々の肉体。背中に魔王軍の意匠である魔獣に二本の剣を交差させた刺繍が施された漆黒の外套を身に着け、右手には肉厚の巨剣を提げている。
魔王ベルザーク。この《災厄の世紀》の世界を支配し、人類最大の天敵である魔族の王だ。
俺は恐れを知らぬ態度で言い返す。
「それはこっちの台詞だ。俺たち五人が《
凛と鈍い光を放つ無彩の瞳を、ベルザークにひたと向ける。
災厄の魔王は、理解に苦しむように呻く。
「その眼……やはり噂の《
全ての魔法を行使するための全ての魔力の根源、それが《魔力眼》だ。
魔力には《通常魔力》と《属性魔力》の二種類が存在し、それぞれ使用する魔法によって用途が分かれる。通常魔力は全ての生物が等しく扱えるが、それに比べて強力な属性魔力に関してはその限りではない。
属性魔力は火・水・雷・土・風・光・闇の七種類あり、そのうち使用できる属性魔力は、その個人が生まれ持った魔力眼によって全て決定づけられる。全部で十一種類存在する魔力眼の中でも、
「俺も最初は驚いたよ。ある日突然、なんの前触れもなく属性魔力が使えるようになった時はな。そもそもずっと昔からおかしいと思ってたんだ。どうして他の魔力眼は当たり前のように属性魔力が使えるのに、無色眼の自分だけ一切使えないのか」
俺はさして勿体振るつもりもなく答える。
「色々と自分の身体を調べていくうちにわかったんだ。――
火・水・雷・土・風・光・闇の七つの魔力眼の色に、順に虹彩を変化させる。
ベルザークは尚も理解不能とばかりに首を振る。
「通常魔力を使い続けて属性魔力の魔力経路を活性化させただと……? だが、ほとんどの無色眼の魔眼士は属性魔力を使えない弱さ故に早々に死ぬか、己の無力さを痛感してその道を挫折するかの二択を迫られることになるはず……。しかも、仮にその例に入らず通常魔力をいくら使い続けたとしても、無色眼が属性魔力を使用できるようになるなどそんな例は今まで見たことも聞いたこともないぞ……。貴様、その若さで一体どれだけの通常魔力を使った……?」
それに対し、俺は《性能開示》のスキルを使用し、これまで使用した自分の魔力量を開示する。
――魔力使用量 138657241
「一億三千八百六十五万七千二百四十一。つまり第七魔層位階――《
その言葉を聞いた途端、ベルザークはついに喚いた。
「い、一億超えだと……!? 通常魔力だけで今までそれだけの魔力量を消費したというのか……!? あ、有り得ん……! 属性魔力も足して生涯魔力を使い続けたとしてもそんな馬鹿げた数値にはならないはず……! ましてや通常魔力だけなら尚更のこと……!」
俺は自虐気味に肩をすくめる。
「まあ普通は有り得ないだろうな。いくら無色眼が属性魔力を使えないとはいえ、通常魔力を人の何十倍も使い続けるなんて馬鹿は。魔力は使った分だけ魔力総量が増えるけど、使いすぎると最悪死に至る諸刃の剣だからな。最初は俺も魔力量は決して多くなかったけど、死に際まで魔力を何度も繰り返し使うことで魔力量を増やしていった。どうしても諦め切れなかったんだ。人類が魔王ベルザークを倒すという悲願を」
ほんの少しだけ表情を曇らせ、胸中にわだかまっていた本音を漏らした。
「無色眼が目覚める前は、正直俺は魔力眼の才能には恵まれてないとずっと思ってた。属性魔力が使えなければこの世にあるほとんどの魔法が使えないのは事実だったからな。それでも俺は、強くなることを決して諦め切れなかった。何年も通常魔力だけでただがむしゃらに鍛え続けて、無色眼が後天的に全ての属性魔力を扱えるという真実に偶然辿り着いた。そして、最終的には友たちにも恵まれた。――人類一億の代表の勇者として、魔王ベルザーク、今日ここでお前を倒す」
ベルザークはようやく全て合点がいったように呟く。
「まさか無色眼にそんな隠れた素質があったとはな。クックック……いいだろう、認めてやろう。無色眼の勇者、そして《白き翼》の者たちよ。お前たちは今まで俺が殺してきた猛者たちの中でどんな相手よりも最強にふさわしい。その卓越した実力も含めて全ての属性魔力を扱えるのは確かに素晴らしいが、貴様だけが複数の属性魔力を使えると思うなッ!!」
そう言い放った途端、奴の瞳が眩い白銀色に一変する。
二属性の属性魔力が扱えるそれは、上位魔力眼の《
ベルザークは左手に紅と黒の混ざり合った魔力を集める。
「跡形もなく消し炭になるがいい――《
正面にさっと掌をかざした瞬間、そこから黒く燃え盛る炎の龍が勢いよく放たれる。
火属性と闇属性を組み合わせた強力な《複合魔法》だ。まるで命を宿しているかのように蛇行する太長い黒龍が、俺たちに牙を剥いて猛然と襲いかかる。
全員一斉に飛び散り、黒龍の猛突進を華麗な身のこなしで躱す。奴の体を構成する黒炎が縦横無尽に空中に走り、無差別に場を蹂躙。荒れ狂う業火が周囲の木々の枝葉と接触し、凄まじい勢いで燃え上がる。一方的な黒龍の猛攻の前に、俺たちはなかなか反撃に転じることができない。
すると、黒龍はディンに向かって容赦なく突っ込んでいく。かと思うや、突然左に方向転換し、その先に立つ俺に狙いを定める。
「くっ……!」
敵の急激な変化に対応が遅れ、俺は仕方なく咄嗟に空中に跳び上がり、黒龍の突進を回避。
奴の体がすぐ真横を高速通過するが、その瞬間だけを狙っていたとばかりに黒龍は即座に宙返りし、空中回避できない俺の背後を取る。
「もらったッ!!」
ベルザークが勝利を確信した時だった。
だが、黒龍が俺に喰らいつかんとしたその寸前、まるで不可視の障壁に衝突したかのように突然頭部からきらきらと綺麗に霧散する。
「なにぃ!?」
ベルザークは面食らったように頓狂な声を上げる。
刹那、俺は空中で跡形もなく掻き消えると、一瞬にして奴の眼前に出現。
紫電一閃。俺が剣を振り切った格好でベルザークの背後に着地した瞬間、奴の肩の付け根から右腕が綺麗に斬り飛ぶ。
「ぐはああああああああッ!!」
苦悶の絶叫を上げ、ドス黒い鮮血の尾を引きながら腕が近くの地面に落下する。
ベルザークは堪らず膝をつく。
「な、なぜだ……。私の《邪炎龍》は完全に貴様の身体を捉えていたはず……」
俺はやおら立ち上がり、剣を払って奴に向き直る。
「別に何も驚くことじゃないぞ。お前と同じように俺も風属性と光属性の複合魔法を使っただけのことだ。俺の周囲を風属性の真空魔法で瞬間的に真空状態にして火属性の黒龍の炎を遮断し、そこに混ぜ込んだ光属性の
落ち着き払った足取りで魔王に近づき、剣の切っ先を鋭く突きつける。
「無駄な抵抗はやめろ、ベルザーク。もうお前の負けだ。今なら楽にあの世に連れていってやる」
すると、ベルザークは思わぬ言葉を口にした。
「頼む……命だけは助けてくれ……。もう人殺しはしない……。全世界の魔族たちにも人間たちには手を出させないと誓おう……。だからその剣を下ろしてくれ……」
恥を恥とも思わず助命を懇願する。
俺は、惨めに項垂れる敵の総大将を冷めた視線で見下ろす。
反吐が出る茶番だった。そうやって命乞いしてきた人間たちを、お前は一体今まで何人殺めてきたのか。最強の魔族と恐れられた魔王が今や彼らと同じ立場になろうとは、なんとも皮肉な幕切れだった。
あとは奴の首を刎ねればそれで全て終わる。
なのに、どうしても実行に移すことができない。馬鹿馬鹿しい。まさかこんな極悪非道な奴でも、まだ自分の心のどこかに温情の余地があるというのか。
迷いに迷った挙句、俺は力なく剣を下ろす。
「……わかった」
「「「「セイン!?」」」」
「ただし、少しでもおかしな動きをすればすぐにその首を切り落とす」
堪らず反対する仲間たちを押しとどめ、俺は剣を構えたまま慈悲深く告げる。
ベルザークは荒く肩を上下させながら安堵に口元を緩める。
「さすが人類代表の勇者だ……。敵ながら実に話がわかる……」
息も切れ切れにそう言い、滝のように血を垂れ流している自分の腕を一瞥する。
「ひとまずこの腕を止血してくれないか……? 魔力が使えなくては治すこともできない……」
俺は少し逡巡した末、傍らの白ドレスの聖女を見やる。
「セフィ、奴の治療を頼む」
「け、けど……」
セフィリアは未だ信用できずに躊躇する。
すると、ベルザークはここぞとばかりにほくそ笑む。次の瞬間、全身から一気に漆黒の魔力を解放し、左手に闇属性の光の粒子を集める。
「ハアッ!!」
凄まじい気迫とともに掌から暗黒エネルギーの大きな球体を放つ。狙いはセフィリアだ。
それを見た俺は咄嗟に反応すると、エネルギー体を剣で弾いて弾道を逸らす。付近の木に直撃し、盛大に爆発。
「この……ッ!」
気づけば、俺は弾かれたように身体が前に飛び出していた。ベルザークは最初から降伏する気など更々なかったのだ。やはりさっきの時点で確実に仕留めておくべきだった。
だがその瞬間、俺は自分が普段の冷静さを欠いていることに気づく。
ベルザークはにやりと口の端を歪める。
「……ッ!? 皆、後ろに飛べ!!」
俺は咄嗟に叫ぶ。それに従い、仲間たちは即座に大きく飛びすさる。
刹那、ベルザークの足下から禍々しい闇が侵食するように、地面全体におぞましい速度で広がっていく。
直径十メートルほどの大きな黒い円が瞬時に完成すると、その縁からドーム型の結界が展開され、俺とベルザークをその中に閉じ込める。
背後を見ると、仲間たちは間一髪のところで結界の外に逃れたようだ。
ベルザークは少し口惜しげに呟く。
「咄嗟に危険だと察知して、仲間だけでもぎりぎり逃したか……。まあいい……。――団長である《無色眼の勇者》だけでも道づれにできればな……」
すると突然、ベルザークの足下の地面が沼のようにぬかるんだかと思うと、奴の両足が徐々に沈み込み始める。
それは同様に、俺の身体もじわじわと呑み込んでいく。
「そういうことか……」
俺は全てを察して呟く。
結界の外に逃れた仲間たちが、突如出現した半透明の黒い障壁に色めき立つ。
「クソッ、なんなんだこの結界は!?」
「硬すぎて全く攻撃が通りません!!」
結界にとにかく武器を打ちつけるが、頑丈な障壁にことごとく阻まれてしまう。
「どけ、二人ともッ!!」
不意に、背後からゼルディスが両手で戦斧を振りかざすと、結界に向かってあらん限りの力で叩き付ける。
大地をどよもすような凄まじい衝撃音。だが、理不尽なまでの結界の硬さに、強烈な反動とともに戦斧が虚しく弾き返される。結界にはひびが入るどころか傷一つ付いていない。
「無駄だ……。これはSランクスキルの結界魔法……。一度発動すれば誰にも止めることはできん……。私と貴様らの団長はここで運命を共にするのだ……」
ベルザークは喉の奥から醜い嗤いを漏らす。
仲間たちはやるせない怒りを滲ませたまま、結界の前にただ立ち尽くすことしかできない。
「クソッ、どうにかならねぇのか!!」
「この結界を破壊しない限りはどうにも!!」
考え得る手立てが完全に尽きた時だった。
「――もういい、みんな」
不意に、俺は諦観した声音で告げる。
「お前らはよく頑張った。あとは俺一人でいい」
「なっ……いいわけないだろう!!」
ディンが堪らず怒声を上げる。
俺は背を向けたまま、仲間たちに静かな口調で語りかける。
「ディン、クロノ、ゼルディス、セフィリア、今までお前らと冒険できて楽しかったよ。お前らがいなきゃここまで辿り着くこともなかった」
これまで打ち明けられなかった本音をそれぞれに伝える。
「ゼルディス、いつも皆を支えてくれる大黒柱でありがとな。リス湖のヌシを釣り上げた時の怪力は間違いなく世界一だと思ったよ。クロノ、どんな時もギルドのムードメーカーでいてくれて助かった。いつもベタベタくっつかれて最初は正直苦手だったけど、お前のそういう積極的なところ案外嫌いじゃなかったぜ。セフィ、いつも美味い料理を作ってくれてありがとな。常日頃からお前のサポートがなかったらここまでギルドが続くことはなかっただろうな。ディン、そんなにバカみたいに泣くなよ。お前と初めて出会った時は一日中派手に喧嘩したけど、初めての仲間がお前で本当に良かった」
金髪の青年は、悔しさを噛み締めながら滂沱の涙を流している。
むせび泣く彼の嗚咽を背中で聴きながら、俺は最後に最も言いたかったことを伝える。
「ここにいる誰か一人でも欠けていたら、それはもう《白き翼》じゃなかった。今日まで誰も死なずにギルドを継続できたことは本当に良かった。最期はこんな結末になってしまったのは残念だけど、全て俺の落ち度だ。すまない。ただ、団長としてこれだけは言わせてくれ。――《白き翼》は史上最高のギルドであり、お前たちは誰よりも最高の仲間だ」
嘘偽りなくはっきりそう告げると、俺は覚悟を決めた瞳で目の前の魔王に向き直る。
「別れの挨拶は済んだようだな」
「ああ。まさか最期が魔王と心中なんてな。俺の趣味じゃねぇけど、こうなったらとことん付き合ってやるよ」
十年間ずっと付き添ってくれた相棒の武器に別れを告げて手から消し、俺は仁王立ちで腕を組んで目をつぶる。背後で仲間たちの叫び声がしきりに聞こえていたが、その時にはすでに周囲から意識を切り離していた。
着実に身体が闇に呑み込まれ、あっという間に下半身が見えなくなる。そこからは時間の加速が始まったように急速に全身が沈み、ついに頭まで完全に浸かると、視界が闇に閉ざされる。ふつりと周囲から音が消える。次に匂いがなくなる。さらには全身の感覚までもが失われる。
――これで終わりか……。
思えば、短い人生だった。
十五歳の時に故郷を出て冒険者になり、数々の
そして今日、人類の悲願であった魔王ベルザークの討伐をついに果たしたのだ。
これで誰もが待ち侘びた平穏がようやく世界に訪れる。勇者の目標は完遂された。もう何も心残りなどあるはずがない。あるはずなどなかった。
だが……。
――悔しいな……。
一つだけ未練があるとすれば、この《白き翼》の仲間たちともっと冒険がしたかった。あの四人で世界を飛び回り、まだ見ぬ景色をこの眼で見たかった。それが俺の、密かに抱いていた夢でもあった。
しかしこうなった以上、その夢も未来永劫叶うことはない。
ついには意識まで段々と遠ざかっていく。
――くそ……。
くそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそくそッ!!
悔しさのあまり、頭が狂いそうなほどの絶望に苛まれる。
だが、もう何もかもが手遅れだ。今更死ぬという運命に抗うことはできない。これは決定づけられた終焉なのだ。
セイン=ヴィルロードという一人の人間の人生は、ここで静かに幕を閉じた――そのはずだった。
「……あれ?」
気づけば、俺は宮殿のような広大な白い空間にいた。視線を巡らせると周囲には誰もおらず、荘厳な石柱がいくつか並んでいるだけでがらんどうになっている。
俺は一度冷静に状況を整理する。先ほどまで仲間たちとともに魔王城に乗り込み、ベルザークと戦ってそれで……。ということは、いわゆるここは天国というやつか。まあ今まで人類のために散々善行を積んできたんだから当然の結果だよな。しかし、なんだか途轍もなく長い眠りについていたような気がする。
何気なく視線を落とすと、何より驚いたのは自分の肉体が綺麗さっぱり消失していることだった。一体自分の身に何が起こったのかは判らないが、意識だけがここに留まっているようだ。
「――どうやら、無事成功したみたいね」
不意に、頭上から銀鈴のような女の声が聞こえてくる。
思わず視線を持ち上げると、腰まで伸びたツーサイドアップの藤色の髪に純白のワンピース姿の少女が宙に浮遊しており、ゆっくりと舞い降りてくるところだった。
ふわりとスカートを浮かせ、彼女は悠然と着地する。
「久しぶりね。私のこと、覚えてるかしら?」
それに対し、俺はすぐに思い出してポンと手を叩く。
「えーっと、確か前に俺を勇者に選んだ高飛車女神だっけ?」
少女はぴくりと頬を引きつらせる。
「だ、誰が高飛車女神よ! 私は宇宙一の美貌と性格を兼ね備えた女神ミアーシュ様よ!」
「あーそうだったそうだった」
俺はさして悪びれることなく適当に受け流す。
彼女と会うのはこれが初めてではない。魔王ベルザークの討伐を果たす三年前にミアーシュとは一度とある森で出会っており、その時は現代で最も強い人間が選ばれる《勇者》の役目を担ってくれないかと彼女から直々に頼まれたのだ。
勇者の役目とは、即ち魔王の絶対討伐。無色眼が開眼する以前から当時無類の強さを誇っていた俺は、ミアーシュから勇者の称号とステータス向上のスキルを受け取るとともに魔王討伐の役目を快く引き受けたのだった。
俺は周囲を見渡しながら無い首をかしげる。
「それよりここは一体どこなんだ? 身体はなくなってるし、俺はベルザークと一緒に確かに死んだはずじゃ……」
ミアーシュは貧相な胸を得意げに張って答える。
「ここは私たち女神が住む《天界の神殿》よ。まずはあなたたち《白き翼》が魔王ベルザークを討伐してくれたことに深く感謝するわ。単刀直入に言うと、元勇者であるあなたに頼み事があって死んだあなたの魂をここに呼び出させてもらったの」
簡単に前置きし、早速話を切り出す。
「確かに百年前の決戦の日、魔王ベルザークはあなたを道連れにして死んだわ。これで世界から魔族と魔物たちが一掃され、平穏がもたらされるはずだった……。そう、奴さえいなければ……」
「……どういうことだ?」
俺は怪訝に眉をひそめる。
すると、ミアーシュは信じがたい言葉を口にした。
「ベルザークには密かに子供がいたのよ。名前をレヴィアスというわ」
「……なんだって?」
自分の口から絶望に似た呟きが漏れる。
そんな俺を尻目に、ミアーシュは淡々と話を続ける。
「あなたとともにベルザークが死んでから二十年後、レヴィアスは次代の魔王として新たに世界を支配し始めたの。恐ろしいことに、奴は父親のベルザークを凌駕するほどの強さを秘めていて、現代の冒険者たちでは到底太刀打ちできなくてね……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
怒涛の話の流れに、俺は堪らず口を挟む。
「ディンとクロノ、ゼルディスとセフィリアたちは一体どうなったんだ? そんな強い怪物ならあいつらも当然放っておかないと思うんだけど……」
ミアーシュは少し言いづらそうに顔を曇らせる。
「もちろん、ベルザークとの戦いで生き残ったあなたの仲間たちもレヴィアスを討伐するために率先して戦ったわ。けど、二十年も全盛期を過ぎた彼らではとても歯が立たなくてね……。最終的に命からがら逃げるので精一杯だったわ」
「あいつらが……」
さすがに俺は驚きを隠せなかった。
いくら彼らが全盛期を過ぎたとはいえ、それぞれ数ある職業の道を極めた世界最高峰の仲間たちだったのだ。どうやらそのレヴィアスという新たな魔王は、自分が想像している以上に恐ろしい実力を秘めているのかもしれない。
ふと、俺は気になって問う。
「なあ、そういえば現在の勇者はどうなってるんだ? 俺が死んだなら代わりの勇者がすでに選ばれてるんじゃないのか?」
もっともな質問に対し、ミアーシュは痛いところを突かれたように指で頬を掻く。
「あー……確かにいるのはいるんだけど、なんというかその……ずいぶんとやる気のない奴でね。人類の中で選ばれた最も強い人間が勇者だから当然強いのは強いんだけど、レヴィアスを倒すにはどうも頼りないというか……」
「それで不安だから、元勇者の俺に助けてもらおうとここに呼び出したってわけか」
「そういうこと。話が早くて助かるわ」
さらに俺は新たな疑問が生じる。
「そもそも百年経った今俺を呼び出すなら、なんでもっと早く呼び出さなかったんだ? そのレヴィアスって奴が出てきた段階でここに呼ぶことだってできただろうに」
すると女神の口から返ってきた答えは、自分の予想の斜め上を行くものだった。
「あなたを呼び出せなかった理由は、あなたの魂がベルザークの魔法によって封印されていたからよ。おそらくあなたが復活することを最初から見越して、ベルザークは死ぬ直前にあなたの魂を次元に送る封印魔法を発動していたの。その封印が解けるのに百年の月日がかかったってわけ」
「そうだったのか……」
将来復活するかも知れぬ自分によって子孫に脅威が及ぶことを危惧して、まさかベルザークは事前にそこまで手を打っていたとは。敵ながら少し感心する。
「これでわかってくれたかしら? かつてあなたが救った世界が今どんな危機に瀕しているか。このままレヴィアスの蛮行を一方的に許せば、世界はベルザークの時代のように再び破滅の一途を辿ることになるわ。それをなんとしても阻止するためにも、元勇者のあなたには新魔王レヴィアスを討伐してもらうためにこれから元の世界に転生してもらうわ。無論、拒否権はないわよ」
「人使いが荒い女神様だなあ……。まあそういうことなら俺もできる限り協力するけど……」
俺の潔い同意に、ミアーシュは我が意を得たりとばかりに満面の笑みで頷く。
「あなたならそう言ってくれると信じてたわ。そこで今回、二周目の人生を少しでも楽に生きてもらおうと私からプレゼントを用意したの。受け取りなさい」
パチン、と小気味よく指を弾く。
彼女の指先から生まれた小さな光が、こちらにふわふわ飛んでくる。音もなく光が俺に当たり、長たらしい文字の羅列が視界に表示される。
Sランクスキル
《性能譲渡》――当該スキル使用者の保持していた前世の魔力眼と全てのスキルを転生する使用者に譲渡する。
《急速成長》――当該スキル使用者の肉体を任意の年齢に成長させる。ただし、一度しか使用できない。
《限界突破》――当該スキル使用者の前世の上限レベル100をレベル1にリセットし、前世のレベル100のステータスを引き継いだ状態にする。ただし、限界突破後のレベルは限界突破する前に比べて上がりにくくなる。
《超記憶》――当該スキル使用者の前世の記憶を来世に保持し、体験した全ての情報を永久的に記憶する。
《転生者の共鳴》――当該スキル保持者の半径五メートル以内に存在する転生者を全て感知する。
それらに目を通した俺は、小さく首をかしげる。
「なんだこれ? どれも見たことないスキルだけど」
「当然。転生する時以外本来使用できない激レアスキルばかりだもの」
ふむ。確かにスキルの説明を見る限り、どれも超強力な魔法のようだ。
ふと、俺は一つのスキルに目をつける。
「なあ、この《転生者の共鳴》ってのはなんだ?」
「ああ、それは転生者が近くにいる時に相手を感知できるスキルよ。あなたの他にもすでに転生している有力な人間がいるから、彼らと協力してもらったほうがレヴィアス討伐の成功確率も上がるだろうし、今回は他のスキルと一緒に付与しておいたわ。――あーそうそう、そういえば言い忘れてたわね」
ミアーシュはうっかりしていたように付け足す。
「あなたのギルドの仲間たちも、すでに前世で寿命を迎えて先ほど転生済みよ」
「そ、それは本当か!?」
俺は思わず声が裏返る。
ミアーシュは鷹揚に頷く。
「転生した彼らの居場所は私も詳細にはわからないけど、出会うことがあれば《転生者の共鳴》ですぐにわかるだろうし、仮にも世界を救った英雄の仲間たちだから強くて必然と目立つんじゃないかしら?」
それを聞いた俺は、表情には出せないものの静かなる喜びに打ち震えていた。
来世であいつらと上手く再会することができれば、互いに姿は違えどまた共に冒険するという夢を叶えることができるかもしれない。これは自分に与えられた最後のチャンスだ。だったらとことんまでやってやる。
その時、俺の足下から大量の淡い光が湧き出てくる。
「さあ時間よ。これからあなたにはもうすぐとある田舎の家庭で出産予定の赤子に転生してもらうわ。色々と大変だと思うけど、前世の経験が豊富なあなたなら特に心配ないでしょ。魔王レヴィアスの討伐が成功するようせいぜい期待してるわ」
ミアーシュが可愛らしくウインクを投げてそう告げると、視界がたちまち真っ白に染め上げられる。
この瞬間、数奇な運命に導かれ、俺の二度目の人生が音を立ててリスタートした。
しかし、俺はこの時まだ知らなかった。新たな生を
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