50 ……一条みたいな奴には、わからないだろうな、俺なんかの気持ちなんて



「はじめまして。麗氷学園男子幼稚舎に通う一条青葉です。君は確か……前野くん、だよね? 黄泉と同じクラスの」

「……あ、ああ、前野白狼だ。よろしくな一条」

「うん、よろしく」



 先程のテラスへ戻り、品のいい白い椅子に座り、青葉と前野くんの自己紹介の様子を見ながら、私は独り思う。



 どうしてこうなったのだろうと。



 そもそも私は、昼休みである今、桜子ちゃんに頼まれていたチケットを瑠璃ちゃんに渡していたんだ。


 そしてその時ちょうど桜子ちゃんを見かけて、直接お礼が言いたいと言う瑠璃ちゃんのために席まで連れてこようと思ったら、なんと許嫁である前野くんと口論をしていた。


 私から2人の間には少し距離があったため、2人が何の話をしていたのかはわからなかったけれど。その様子から、桜子ちゃんが前野くんに対して腹を立てているのだろうと容易に推測は出来た。



 ──しかし、そんな修羅場を見ていたのは私だけではなかったのだ。



「お兄様っ! どうしてお姉様とこちらに!?」

「たまたま立花雅さんを見かけてね。声をかけようと思ったら、こちらにいる前野くんが麗氷幼稚舎の制服を着た令嬢と揉めていたんだ」



 だからって気配もなく背後に現れるのはやめて欲しい。話しかけるのなら、もっと自然に、相手を驚かせないように……。


 そこまで考えを巡らせてから、いけないいけないと思考を停止させる。今は青葉への不満を募らせることよりも優先すべきことがあるじゃないか。



「それで、桜子ちゃんと何があったんですか? 前野くん」



 前野くんとは入学してからの付き合いになるが、あんなに仲の良かった2人が喧嘩している所なんて初めて見た。



「いや、お前らには関係ない話だから──」

「関係ないなんてことありませんわ! お友達じゃないですか、わたくし達!」

「僕も何か力になれることがあるなら協力するよ」

「お兄様が協力するのなら、もちろんわたくしも!」



 「教えてくれませんか?」と再度お願いすると、前野くんはふぅと長いため息をついてから、ゆっくりとその重たい口を開いた。



「──実は……ダンスパーティーが終わった頃から、桜子に避けられてるんだ」



 衝撃の事実に目を見開く。



 ──そんなこと、知らなかった。



 ダンスパーティーが終わった後ということは、もう3ヶ月以上も経っているじゃないか。


 夏休みを挟んだとはいえ、そんなにも長い期間、友人達の関係の変化に気づけなかった自分の視野の狭さと愚かさに落ち込む。



 あからさまにしょぼんとした私に前野くんは「立花はクラスが違うから仕方ねえよ」とフォローしてくれる。だけど前野くんのその優しさが今は辛い。彼はそのまま詳細を話し始める。



「小テストの勉強も、学期末にあったテストの勉強も、あれ以来あいつ全然俺を頼らないし……」

「はあ」

「夏休みだって、今年は1度も一緒に遊びに行かなかったんだぜ? いつもはここにつれてけって、自分の行きたい店を言ってくるのに……」

「へ、へえー? ……そうなんですか」



 むしろ今までそれら全てを前野くんに頼ってたのか、桜子ちゃん。


 小テストに関しては、クラスが同じだからこそだよね。それくらい自分でやろうよと思わずにいられなかったが、話の腰を折らないように、私はあえて突っ込まない。



「今までだって、何度か桜子が俺に怒ったことはあったんだ。だけど、大体すぐに忘れてなかったように接してくるか、俺があいつの好きな菓子を持参して謝って終わるかのどっちかでさ。……こんなこと、初めてなんだ。……こんなに長く、あいつが俺に怒っているのは──」

「……そうなんですか」



 何かアドバイスを、と思って話を聞いてみたが、いざ聞き終わると何も上手いこと言えないものね。


 理由はわからないけど、あんなに仲良しだった幼馴染みが急に素っ気なくなり、しかも自分を頼らなくなったわけだし。


 きっとすごく寂しくて、すごく悲しかっただろうなぁ。自分にも赤也という天使のように可愛らしい幼馴染みがいるから、その悲しみがよくわかる。



「良かったじゃないですか」



 ──えっ!?


 一瞬自分の耳を疑った。



 いやいや、何を言ってるんだこの人はっ!!



 驚きのあまり口をポカンとあけてしまう私には気付かず、今まで一言も発せず静かに話を聞いていた青葉が突然話し出す。



「話を聞いていると、その綾小路さんというご令嬢は、随分と前野くんに依存していたようですし。小テストも、期末に行われるテストも、そもそも自力で頑張るものでしょう。君に頼らなくなったのは、良いことではありませんか?」

「……いや、それはそうですけどね?」



 青葉の的確なツッコミが辛い。ご最もすぎるんだよなぁー。そして激しく同意なんだよなぁー。



「自立したんですよ、きっと」

「……自立?」



 ……何か言い出したよ。


 いいでしょう。とりあえず聞こうか。


 青葉は自分の意見によっぽど自信があるのか、私の問いかけに大きく頷き「はい、そうです」と言う。



「ひな鳥が親鳥の元を離れ、巣の外に出るように、彼女は前野くんから自立したんです。夏休みに前野くんとの予定を入れられなかったのは、他に優先すべき友人が出来たからでは? それはとても喜ばしいことですよ。なのに、どうして君はそんな暗い顔をしているんですか?」



 そりゃ暗い顔にもなるわよ。大切な幼馴染みが理由もわからず、自分から離れていこうというのだから。


 それなのに、それを喜ばしいことだと言うのは、さすがに無神経すぎるでしょう。


 どんなにお顔が美しくたってねえ、言っていいことと悪いことがあるのよ? 青葉、あなたデリカシーがなさすぎるわ。


 前野くんはどう感じただろうとちらりと横目で見る。彼は微笑んでいたけれど、その瞳は笑っていなかった。



「……ないだろうな」

「え?」

「……一条みたいな奴には、わからないだろうな、俺なんかの気持ちなんて」



 嫌悪感が混じっているような、冷たい声音だった。



「いっつもたくさんの令嬢に囲まれてる王子様に、俺の気持ちなんてわかるはずがないよな」



 吐き捨てるかのように言葉を言い放つ。


 そこには、私の知るいつもの優しい彼はいなかった。


 今、目の前で冷笑を浮かべる彼を、前野くんに似た別人と言われれば、きっと私は信じるだろう。


 それくらい、彼らしくない瞳と発言だった。


 思わず私は凍りついた空気のフォローも出来ず、固まってしまう。



「…………あ、いや、悪い。少し言い過ぎた」



 前野くんはバツが悪そうに謝罪し、青葉も「気にしてませんよ」と応えるも、空気は最悪だ。



「……えーっと、お腹空きましたね。なにか甘い物でも持ってきましょうか! い、行きますよ、前野さん!」



 この空気に耐えきれなくなったのか、瑠璃ちゃんはフロントにお菓子を貰いに行ってくれた。さすが瑠璃ちゃん。今はその気遣いに感謝だ。


 残ったのは私と青葉だけ。私は前野くんがいない間に、先程のことを注意しようと口を開く。



「……一条くん。どうしてあんな言い方したんですか。いくら正論だからって、何でも言っていいわけじゃ──」

「彼はどうしてあんなに怒ったんだろう」



 …………はい?



「怒らせるつもりなんて全くなかったのに。ただ僕は良かれと思って言っただけだったんだけど……」



 どうしてだろうと彼は再び小首をかしげる。


 驚いた。青葉の発言について、なんて無神経なんだろうと私は思ったけれど。彼には悪意なんて全くなかったのだ。



 けれども、それなら余計タチが悪いかもしれない。悪意のある無神経発言よりも、悪意のない無神経発言の方が、わざとじゃない分意識せずに再び出てしまう可能性があるからだ。



「僕、こんなふうに、友人以外の誰かに悩みを相談されるのは、初めてだったんです。……だから少しはしゃぎすぎてしまったみたいです」



 あ、あれではしゃいでいたのか。そんな風には全く見えなかったよ?



「……うーん、一条くんって、いっつもそうなんですか?」

「そうって?」

「悪気なく言葉を発してしまうというか……。そのせいで誤解を受けるというか……」

「どうだろう? 人の気持ちを汲み取ることは余り得意ではないけどね」



 まあ、でしょうね。間違いないね。汲み取れる人はさっきみたいな発言しないと思うもの。



「……僕なりに彼の話を聞き、精一杯助言をしたつもりだったんだけどなぁー……」

「さっきの態度なら、たとえ盲目的にあなたに憧れてるご令嬢でも一発KOでしょうね……」



 ふと疑問に思い、女の子に話しかけられた時いつもどうしているのか尋ねたら、「とりあえず共感を示して聞き流してから笑顔で対応している」と言われた。


 彼が読んだ本いわく、女性は共感を求める生き物だから何も言わずに笑顔で頷くだけにしているらしい。


 逆に男性は具体的な解決策を求めるから、青葉なりに一生懸命分析し提案したようだ。



 ……うーん、ままならないなあ。




***




 教室までの帰り道。前野くんと2人、少しだけ足早に教室へ向かう。



「さっき、相当感じ悪かったよな、俺……」



 一条には悪いことしたなと、前野くんはまだ先程のことを反省していた。



「……正論言われて、ついカッとなった」

「いや、あれは一条くんも悪かったですよ」



 私だってあんなこと言われたらムッとするだろう。


 でも、赤也が私から自立することは悪いことではないと案外すんなり受け止めるかもしれない。


 あそこまで怒るなんて、前野くんいつもとは様子の違う桜子ちゃんに不安でおセンチなのかもしれない。


 普段は麗氷の子って私の昔いた小学生に比べて落ち着いていて大人びてるなぁーなんて思うけれど、そういう所はまだまだ子どもらしくて少しだけ安心した。


 人間、余裕がないと、人に優しくなれないもんね。相手の失言に対してもいつものように「はいはい」と流せなかったり。



「でも本っ当に、一条くんには悪気があったわけじゃないんです。彼なりに前野くんのお力になろうとした結果、から回っちゃったみたいで……」

「随分と一条の肩を持つんだな」

「そ、そんなつもりは──!」



 別に青葉の味方をしたつもりはない。だけど前野くんはそう捉えなかったようだ。口の端の少しあげて「……立花もそうなんだ」とつぶやく。



「いっつもそうだ。何の苦労もせず周りに助けられて、あたかも当然のような顔をして笑ってる。……だから苦手なんだ。一条みたいな、ああいう爽やかで王子様っぽい奴」



 遠くを見つめて無表情でつぶやく。昔そういう人と何かあったのだろうか? それとも青葉が覚えていないだけで、以前にも失礼ことをやらかしたとか?



「前野くんでも苦手な人っているのね」

「そりゃあいるよ。立花は俺のことなんだと思ってるんだよ」

「うーん、誰とでも仲良くなれるクラスの人気者?」



 私の返答になんだそれといつものように爽やかに笑う。良かった、いつもの前野くんだ。



 でも、そうよね。そりゃいるか、苦手な人くらい。



 私だって『一条青葉』が苦手だったし、『西門黄泉』だってそうだった。


 だけどね、前野くん。あなたがいうほど青葉は爽やかでも王子様らしくもないし。1人の女の子にやたら執着したり、割と粘着質よ?


 ……うん、全然爽やかじゃないな、青葉。


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