46 その事実は変えられない、残酷なほどに



「僕は君のことがすごく好きだったんです」



 はっきりと告げられた言葉に、紡ぐはずだった言葉が止まる。


 今、彼は何を言ったのか。


 頭に入ったはずの言葉を、処理しきれない。


 聞き間違えでなければ、今、彼は私を好きだと言ったのだろうか。この私を・・好きだと。そう言ったのだろうか。



 あの『一条青葉』が、だ。



 自慢ではないが、彼にはひどくがっかりされてしまったし、決して好かれてはいないだろうという自信があった。


 それなのに、今。

 彼は私を好きだと言う。

 それも、すごく好きだと。


 もちろんそのことにも驚いたけれど、1番驚いたのは、あの『一条青葉』から愛を囁かれたというのに、私は全く恐ろしくなかったのだ。



『……ずっと会いたかった。僕の、僕だけの、婚約者』

『……雅、好きだよ』



 夢で愛を囁かれた時は、ただただ恐ろしくて、身の毛がよだつ思いだった。



『ずっとお会いしたかったです。立花雅さん』



 初めてこの世界で出会った時も。混乱と恐怖から、すぐには現実だと受け止められなかったし、なかなか彼の目を見て話せなかった。ひたすらお菓子ばかり食べていた記憶がある。それも2人分。



 それは、相手が『一条青葉』だったから。



 これから先『結城桃子』と恋に落ち、婚約者である『立花雅』を殺害するかもしれない人物だったから。



 でも『彼』は?



 今私の目の前で必死に想いを伝えてくれている彼は?


 私は告白されてようやく、初めて彼をまっすぐきちんと見れた気がした。


 真剣な瞳で少しだけ震える声で告げた彼を、あのゲームに出てくる少しだけ冷めている完璧王子様『一条青葉』だとは思えなくて。私にはただの普通の男の子にしか見えなかった。



「立花雅さん? ……何をそんなに顔を火照らせて……」



 顔を真っ赤にしたまま何も言わない私の顔を彼は訝しげに見つめる。そりゃそうよね。告白したのに、何の反応もなかったら不審がるわよね。当たり前よね。


 だけど、私はなんと返事をすればいいのか。



「……っ! あっ、いえ、そうではなくて!」

「え?」



 私の様子から何かを察したのか、彼は否定の言葉を述べる。心做しか頬が赤く染まる彼に今度は私が訝しげな表情をする番だった。


 コホン、と咳払いをし、「そうではなくて」と、もう1度彼は否定する。



「厳密には君ではなくて、瑠璃から聞く『立花雅』さんのことが好きだったんです。好きというより、憧れに近かったのかもしれません」

「……わたくしは、瑠璃ちゃんが言っていたような令嬢ではありませんわ。別に、か弱くもありませんし、全然麗しくもありませんわ」

「……そうだね、確かに君と『立花雅彼女』は全くの別人だ。僕が勝手に同じだと期待して、……がっかりしただけで、君は何にも悪くないんだ」



 ──いいえ、悪いのは私だ。



 だって、あなたは私と瑠璃ちゃんから聞いていた『立花雅』を別人だと認識してくれたのに、あの時の私にはそれができなかった。


 この世界の『一条青葉』から、私さえ望むのなら婚約しても構わないと、私が青葉を好きになるのなら、その気持ちに応えようと努力すると、そう言われた時。あのゲームの彼の言葉が浮かんだ。



『君は本当に僕のことが好きだよね、……だからこそ、そんな君の気持ちに応えたいと思ったんだ。これから僕は君と同じ気持ちになれるよう努力していきたいと思う』

‬

 そうか。目の前で微笑む彼もゲームの世界の彼と同じなんだ。‬

 私のことが好きだから婚約したいんじゃなくて、家同士も望んでいるし別に自分のことが好きなら構わない。その程度なんだわ。

‬

 『立花雅彼女』と違って、私は彼のことを慕っているわけじゃないから、そのことを悲しく思ったりしないけれど。きっと『立花雅彼女』は、大好きな婚約者からそう言われて、喜びよりも彼と自分ではこんなにも想いの大きさに違いがあるんだと痛感して、すごくすごく悲しかっただろうな。



 なんて考えて、彼と『一条青葉』を同一視した。



「あの時の僕はそれに気づけなかった。自分だけが可哀想な気がして、被害者のふりをして、君を傷つけた。思っていた以上に『立花雅』さんに期待していた自分自身にがっかりしたのを、君に八つ当たりした。自分が最悪の状態の時、最悪だと気づかなかったんだ。……あとでわかった」



 本当に最悪だったのは、きっと青葉だけじゃない。


 がっかりされて仕方ないなんて被害者ぶりながら。その理由を私が『立花雅彼女』じゃないからがっかりされたのだと、仕方ないことだと思っていた。


 それと同時に、私を『立花雅彼女』としてしか見ようとしない彼に、少しだけ傷ついたりもした。


 だけど、私だってそうだった。


 少し会話を交わしただけで、ああ、この世界の彼はあのゲームの中の『一条青葉』と一緒ね、って。決めつけて、彼自身を見ようともしなかった。


 いつだって、期待してくださった方には、必ず後からがっかりしたと言われた。


 そう言われる度、本当の私を見て、と悲しくなったし、すごく嫌だった。


 それなのに、私、あれほど嫌悪していたことを、今度は自分がしている。



「……立花雅さん、僕はずっとあの時のことを謝りたかったんです」



 謝るべきは彼じゃない。私だ。



「謝って頂かなくて結構ですわ」



 私の言葉を拒絶と捉えたのか、美しい瞳が不安気に揺れる。



「……だって、あの時は、わたくしも悪かったもの。あなたがわたくしと強引に婚約をする気なんだとばかり思ってしまっていて、あなた自身のことなんて、見ようともしなかったし、知ろうともしなかったわ。適当な言葉をただ並べて、その場を取り繕うとしたわ。……こんなの、がっかりされて当然だわ」



 がっかりされて仕方ない。そう決めつけて、すぐに過去の話にした。さっさと終わらせてしまえば、これ以上傷つかずにすむから。……彼は、こんなにも現在いまと向き合ってくれていたのに。こういうところは兄妹そっくりだ。


 ……青葉の言った通りね。自分が最悪の状態の時、私も最悪だって気づかなかった。……今あなたと話してわかった。



「……わたくしはあなたがわたくし自身を見ていないとすぐに理解して心を閉ざしたけれど。……わたくしだって、あなた自身を見ていたわけじゃ、なかったわよね。一条くん、ごめんなさい」



 心からの誠意が伝わるように、深く頭を下げる。


 息を呑む音が聞こえてから、はぁと、ため息が聞こえた。



「……困ったなぁ、僕から謝りたかったのに」



 まさか、そんな返答が来るとは思わなかったから。彼の言葉に驚いて、思わずバッと顔を上げると困ったような顔をして笑う青葉と目があい、「顔を上げてください」と言われた。言われるがまま、顔を上げる。



「君が謝る必要なんてないんだよ。僕が悪いんだから」

「いいえ、わたくしが──」

「いや、僕が──」



 日本人特有の不毛な水掛け論を繰り返していると、ダンスパーティーを知らせる曲が聞こえてくる。


 そうだ。これからダンスパーティーだ。きっと黄泉が私を探しているはずだ。戻らなくては。そう思い、青葉に一声かけてから会場に戻ろうとすると、手を差し出される。



「1曲踊りませんか?」



 それは思いもよらぬ提案だった。




***




 ダンスパーティー開幕を知らせる曲が鳴り響く。この曲が鳴ったら各自ペアと集合し、ダンスの準備をするように、前もって言われていたが、ペアのいない私にはあまり関係なかった。



「し、清水さん。良かったら……」

「ごめん、今探してる人がいるからまた後でね」



 クラスメートから声をかけられるが、それを軽くいなす。桜子と別れて1人になってから、ずっとこんな感じだ。まあ、だいたいその理由は検討はついているけどね。


 声をかけられるのは、おそらくダンスの誘いでしょうね。こんなに声をかけられるとは思ってもみなかったけれど、当日になって独り身同士で踊ることは別に珍しくもない。だけど正直今は迷惑。私には探さなきゃいけない人がいるっていうのに……もうっ。


 苛立ちが歩みに現れ、力強くなった頃。見慣れた横顔を見かけた。



「あっ、いた!」



 良かった、やっと見つけた。


 この広い会場でお目当ての人を見つけられるか不安だったが、なんとか見つけることは出来た。


 タイミングのいいことに、ちょうど梓もクラスメートと別れたところだった。前情報から梓にパートナーがいないことは知っていたが、こうやってきちんと目で見て確認しておきたかったのだ。梓も1人だし良かった、とほっと息をつく。


 すると、見計らったかのように梓と目が合う。ビリっと電気が走ったみたいに、私は動けなくなる。


 一歩、また一歩と、少しずつ梓がこちらに近づいてくる。


 ……自意識過剰でなければ、私、よね?


 梓は私に用があって歩いて来ているのよね?


 勘違いだったら恥ずかしい、とキョロキョロして周りを見渡したが他に候補者はいなかった。でも、どうして私に? いつもなんて全く話しかけてくれないくせに!


 昔はちがったのだと、少し古い記憶を思い起こす。自分のことを清水ではなく葵と名前で呼んでくれていた頃。私も同様に彼を梓と気兼ねなく呼んでいた。この麗氷に入学してから急に素っ気なくなったし、勘違いされたら迷惑だから名字で呼ぶように言われた。私は誰に勘違いされても構わなかったけれど、梓の迷惑にはなりたくて、彼の言葉に従った。


 昔のことを思い出したいる間に近くまで来ていた梓に「独りか?」と声をかけられる。



「えっ、うん」

「そうか。実は俺も独りなんだ」



 知ってる。そう思ったけど、梓にはもちろん言えなくて、「そうなんだ」と無難に返す。久しぶりに2人で会話するからか、変に緊張してしまう。


 このまま梓をダンスに誘えればいいんだけど、きっと答えはノーだろう。理由はわかってる。勘違いされたら迷惑だから。梓にとっては、私は勘違いされて困る存在だから。



 その事実は変えられない、残酷なほどに。



 梓と踊ることは諦めてぼーっと楽しそうなカップル達を眺める。みんな、すごく幸せそうだ。……いいのよ、私だって今十分幸せだし。久しぶりに梓から話しかけてくれたし。たとえ踊れなくても、私は……。



「1曲付き合ってくれないか?」



 夢のような話を告げられて、私はゆっくり瞬きをする。え、今梓何て言った?



「悪い。迷惑か?」

「う、ううん。迷惑じゃないわ、全然」



 差し出された右手に、一瞬躊躇してから私は手を重ねた。

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