彼のことを、私は。ウチは。アタシは。

霧内 笑

第1話 私①

 教室に入ると、いつもの位置、黒板から見て一番奥の左端の席に慎がいた。広げた冊子になにか書きこんでいる。 

まことー。なにしてるの?」

前の席の椅子に座る。彼はチラッと目をあげて、私だと分かると微笑んだ。

「学級日誌書いてた。友は部活じゃなかったっけ?」

「きゅーけーいちゅー」

そう、休憩中。決してサボりじゃない。ちゃんと絵は一枚完成させたし、悪いことはしてない。

 慎は「そう」と頷くと、手元に目を戻して学級日誌のを書き続ける。今は連絡事項について書いていて、今朝のHRで先生が言ったことを事細かに書きこんでいた。見るたびに思うけど、なんでこんなに覚えてられるんだろう。私だったらまず覚えきれないし、覚えてたとしてもこうして毎日毎日律儀に書いたりはできない。前にそれを言ったら、慎は「学級委員なんだし、当たり前だよ」と返してきた。

 学級委員だからって、ここまで律儀な人はいないと思う。現に、もう一人の学級委員の相方さんなんか、こういう仕事をしてるのを見たことがない。全部慎に任せっきりで、行事とかのときだけ仕切り役としてでてくる。言いたいことがなくはないけど、それを言うとたぶん慎が困るだろうから言わない。

 慎は『欠席なし、遅刻一人、早退なし』と書いて、学級日誌を閉じた。

「終わった?」

「うん。これはね」

そういって、今度は引き出しから大量の紙の束を二つ取り出す。

「え、なにそれ?」

「文化祭実行委員の会議資料だって。作っとくように先生に頼まれた」

慎は、机に積みあがった山のようなプリントに特に顔色も変えないで手を伸ばすと、一枚一枚目を通して、重ね合わせてホチキスで綴じていく。

「頼まれたって……すごい量じゃん!」

「そうでもないよ。実行委員の人数分だから」

そうは言ってもプリントの山はかなりの高さだ。多分プリントの枚数が多いだけで人数は少ないんだろうけど、この量を一人でやるのはいくらなんでもおかしい。

「私も手伝うよ」

「え、でも部活は?」

「もうノルマは終わってるから」

それ以上反論される前に紙をひったくって、印刷ミスがないか確認。端を揃えて渡すと、慎は不承不承といった感じで受け取って、ホチキスで留めた。ほんとにこれを自分一人でやろうとしてたんだ……。 

 まったく、なんでこんなことを一人でやろうとするんだろう。 

 慎は、昔からそうだった。小学生のときクラスから一人学級委員を選ぶようになって、学級会で大揉めに揉めた末に先生から頼まれてからずっと学級委員だったし、中学校ではそれに加えて図書委員も掛け持ちしていた。思い返せば幼稚園でだってなにかにつけ頼まれごとを引き受けては笑ってこなしていた気がする。これだって、なにも慎がしなくても他の人がいるだろうに、ついで感覚で頼まれたに違いない。それで、笑って「分かりました」って言ったに違いない。

 こういう慎を見るたびに、無理してないか、いつか首が回らなくなるんじゃないかって心配になる。

 でも、心配になる裏側で、頼もしいなぁって思ったりもしてしまう。

 私が慎のことを好きだって自覚したのは、中学生の頃だった。

 クラスのみんなが盛り上がって勢いづいている影で、地味な、けど大事な仕事をせっせとする慎も、困っている人を見つけては自分の仕事に関係なく手伝おうとする慎も、人からなにか頼まれて「いいですよ」って笑う慎の表情も、仕事をこなすときの集中した目も、几帳面な字を書く手も、 全部。

「……友?なんで笑ってるの?」

「あ、いや、なんでもない」

いけない。顔に出てた。口元に力を入れて緩んだ口角を引き締める。 

 トントン、ガシャッ。トントン、ガシャッ。トントン、ガシャッ。

 しばらくの沈黙の後、気がつけばプリントの山はかなり減って最初の三分の一くらいの高さになっていた。

「ここまでくれば大丈夫だからさ、友は部活に戻りなよ。やっぱり副部長がいないと他の人も困るでしょ?」

残ったプリントの山と新しくできたプログラムの山を見比べて、慎が私の手からプリントを取り返す。

「でも……慎は大丈夫なの?」

「うん、友が手伝ってくれたから」

「ならいいけど。じゃあ、またあとでね」

「またね。部活頑張って」

時計を見ると、結構時間が経っていた。さすがにそろそろ戻らないと、竹視さんに質問責めにされてしまう。手を振りあって教室を出る。廊下に微かに響く、さっきよりも少しテンポの遅くなったホチキスの音を背中で聞きながら、部室に向かって歩いた。

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