先輩と、眼鏡と珈琲

とらたぬ

先輩と、眼鏡と珈琲

 チク、タク、チク、タク。

 一定のリズムで刻まれる秒針の音が眠気を誘う。

 ふかふかのカーペットと、適度に効いた暖房のおかげで、このまま寝てしまいそうだ。

 まぶたは半分以上閉じ、首はこくこくとリズムをとる。大きめの眼鏡はズレて、今にも落っこちそうになっている。

 たまにビクッとしては、姿勢を正し、かと思えばまたすぐに一定のリズムを刻み出す。

 秒針と暖房の駆動音だけが鳴るリビングで、そんな後輩の様子を俺はぼーっと眺めていた。

 シャーペンの動きが止まってから、既に数十分が経っている。

 テスト期間に入って二日目の今日、勉強会という名目で集まっている以上は、起こしてやるべきなのだろうが、彼女の間の抜けた顔を見ていると、どうにもそんな気にはなれなかった。

 彼女を見ていると、段々と眠くなってくる。

 俺まで眠ってしまったら、誰が彼女を起こすのか。二人そろって寝こけてしまうというのも、なんだか幸せそうで。そんな甘い誘惑に身を任せればさぞ気持ちいいのだろう。

 そう考えていると、自然と俺のまぶたも落ち始めた。

 ああ、ダメだダメだ。本当に眠ってしまいそうになる。

 俺は幸せな誘惑に抗うために、とびっきり苦いコーヒーを淹れるべくキッチンに立った。

 安もののインスタントコーヒーをコップに入れて、ポットにお湯を注ぐ。お湯が沸騰するのを待っている間に、リビングの後輩を見ると、疲れが溜まっていたのだろう、彼女は腕を枕にしてふかふかのカーペットに寝転がっていた。

 眼鏡がテーブルの上に置かれているのを見るに、ぎりぎりまで眠気に打ち克とうとして、結局寝てしまったのだろう。

 そう考えると微笑ましくて、自然と口元が緩む。

 コーヒーを淹れてリビングに戻ると、夢の中でも試験勉強に追われているのか、彼女は眉間にしわを寄せてうんうんと小さく唸っていた。

 その姿を見ていると、そろそろ起こしてやろうと思っていたはずが、そんな気もなくなっていく。

 彼女の隣に腰を下ろし、ソファーに背中を預けてコーヒーを一口。

 眠気を覚ますためにいれたはずが、体が温まって、むしろ眠気を誘う。

 無意識のうちに伸ばされたであろう後輩の手を握って、空いた手で彼女の髪を梳くように撫でた。

 だんだんと安らかな顔になっていく彼女を見ていると、自然、俺の意識も微睡みの中に落ちていった。



「……ん、ぅ……せんぱい……?」


 秒針の音だけが鳴り続ける静かな部屋に、私の寝惚けた声がやけに大きく聞こえる。

 眠ってしまっていたのか。なんだか幸せな夢を見ていたような気がする。

 ボヤけた視界の中で、数年前に先輩からプレゼントされた眼鏡を探す。

 もう度が合っていなくて、眼鏡をかけてもあまりよく見えない。

 新しいのを買わなきゃな、とは思う。だけど、数少ない先輩からのプレゼントだから、もう少し、もう少しだけ、使い続けようと、それの繰り返し。

 テーブルの上を見ると、眠る前に淹れたコーヒーが冷めてしまっていた。先輩がよく飲んでいたものと同じ、インスタントコーヒー。

 少しだけ口に含み、やっぱり苦いや、とひとりごちる。

 いつの間にか暖房が止まってしまっていたようで、少し、寒い。

 失くしてしまった温もりを探すように、ソファーの上の毛布に包まった。

 幻肢痛のように、心がズキズキと痛む。

 せんぱい、今日も私は、あなたを忘れることができませんでした。

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先輩と、眼鏡と珈琲 とらたぬ @tora_ta_nuuun

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