第6話 6月29日

「こっち、こっち」

呼ぶ声の主に目をやると、すずさんが手を振っていた。

すずさんはラフな格好をしているせいか、会社で見るよりも活気に満ちて、どこか眩しく魅力的に見えた。


「遅いじゃない、待っている間にナンパされちゃったよ」

「一本電車乗り遅れてしまったんでちょっと遅れちゃいましたね。ごめんなさい。ナンパはついていかなかったんですか?」

「にらみつけたら、去って行っちゃった」

「声かけた人も災難でしたね……」

「そんなことないよ、こんなかわいい娘と話せたんだし」

気の利いた言葉が見つからなかったので、そのまま黙ったまま映画館に急ぐことにした。


土曜日の午後ということもあり、また昨今韓国映画やドラマが流行っているからか、席はほぼ埋まっており、映画館のお供の王道であるコーラとポップコーンを駆け足で買いに行き、席に着いた。


「この映画香港で見たの」

「香港に住んでいたんですか?」

「ついちょっと前までね。ちょっと帰ってこないといけない事情ができたので今日本にいるの」

「香港は行ったことないな~。良いところ?」

いつの間にかすずさんの調子にのせられて、ですます調から普通に話しかけていた。

「そうね、私の中では一番好きなところかな」

ポップコーンをつまみながら次から次へと飛び出す香港物語を聞いていると、たちまち場内が暗くなり、映画の前の宣伝が始まった。


映画の内容は、夫が売れないコメディアンでそれを支える妻、コメディアンとして才能が開花しそうな時に妻が亡くなるという、劇場型韓国映画の定番のような話であった。

不治の病に侵された勝気な妻が夫とベッドの上で背中合わせで涙を流すシーン、そして最後の妻からのプレゼントの正体がわかるクライマックスシーンに感情移入し、泣きそうになるのをこらえていたところ、すずさんが座っている隣の席からは、案の定周りにもわかるくらいに、しくしく声が聞こえてきた。


「やっぱり良い映画よね。感動するわよね」

映画も終わり、立ち上がろうかとしている僕に、涙を拭きつつ、すずさんが話しかけてきた。

「何とも韓国映画らしい感じでしたね。でもすずさんは一回見たんでしょ?」

「反応薄いね。しかし何回見ても泣ける映画は泣けるね~」

まだ目に涙が浮かんでいたが、話し方はすでにいつもの元気なすずさんに戻っていた。


外に出ると一日猛威を振るっていた太陽にも力がなく、どこかせわしなく夜を迎える感じで人がうごめいていた。


「ご飯でも食べに行く?」

僕は人ごみの流れに身をまかせつつ、少し大きめの声で話しかけた。

「そうね~、佐々木さんにも声かけてみるかね」

「さすがに今日は旦那さんと仲良く飲んでいると思うけど……」

「確かにそうかもね。500mlの缶ビールを1ダース買ってもすぐなくなると言っていたしね」

「そっか、もはやアル中の一歩手前って感じだね」

「一歩手前か三歩手前かわからないけど、さすがに邪魔しちゃ悪いか。じゃ、飲みに行きますか!」


ということで、駅に向かいがてらに適当に大衆居酒屋に入ってみた。


たまたま通り道というだけで選定された大衆居酒屋は、土曜日だからなのか、いつもよく見るサラリーマンの集団ではなく、2人もしくはそれ以上の私服の若めの男女でにぎわっていた。


「まだ、早い時間なのに結構人がいるね」

少しクーラーでひんやりとした室内でのんびりくつろぎながら、すずさんは話しかけてきた。


「暇人が多いんだね」

「それ私たちもってこと?」

「そうかも」

「そうかな~。でもこうやって見ると私たちってデートしているみたいだね」

「どうかな。どっちでも良いけど一日の終わりに何をいまさらって感じだけどね」

「そっか」

と話しているすきに、冷えたビールジョッキが運ばれてきたので、2人仲良くちょうど半分くらいまで勢いよく飲み干した。


職場の人の評判等たわいない話しをしていたところ、どんどん客が入ってきて活気溢れる場所と化していた。

「なんだか盛況だね」

「やっぱり暇人が多いってこと?土曜日なのにね。まあ、しゅんちゃんは私といるから楽しいんだろうけど。よかったね」

「それは買いかぶり……」

「そっか、残念」


どこまで本気かわからないすずさんの話に合わせていると、ビールのジョッキ数に比例して、少しずつほろ酔い加減になっていることに気づいた。

「そういえば香港からいつ戻ってきたの?」

僕は思い出したように聞いてみた。

「半年ほど前かな。父親が危篤ということで戻ってきたの。すぐ死んじゃったんだけどね」

「そっか、結構突然だったんだ?」

「まあ、そうだね。そんなこんなでバタバタ戻ってきたんだけど、意外と日本も悪くないな~と最近思っているところ。でもあっちでは仕事も生活も刺激があって楽しかったし、何だかやり残した感はあるのよね」


店中がお祭りのような喧騒の中、珍しく若干寂しげな表情を見せるすずさんの横顔を僕は何気ない風を装いながら見つめていた。


「じゃ、そろそろ帰りますかね」

「そうね、少し遅くなったしね。でも最後にイチゴのショートケーキを食べたくなっちゃった。初めてのデート記念日ということで食べてから帰ろうよ。せっかくだから日本のおいしいショートケーキを食べなきゃ」

「別に今日でなくても良い気がするけど」

「つべこべ言わずに食べに行くよ」

「はい、はい」


自分が何者なのか、そして何ができるのか、たまに思ったりすることがある。

こういったほろ酔い加減で一人家に帰る時にふいに胸が締め付けられることがある。

答えを探しているようで、その答えを死に物狂いで追い求めているわけでもなく、時々逃げ出すようにつかの間の旅に出る。そこでも僕の求めている「何か」に明確な答えは見つからず、流れていく風景に同化して、これまでと同じように毎日を過ごしていく。

すずさんの話を聞いて、「何か」が足りない現実が目についてしまったようだ。

死にたいくらいの不自由で不満なことはないものの、少なくとも小さいころに思い描いていた将来とはかけ離れている気がした。

僕は電信柱にこぶしをたたきつけ、逃げるように家路に向かった。

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