第7話 橋の上の悪魔 その三
「刀を抜け」
いつのまにか、また橋の上に立っている。
声をかけられ、ふりかえると、侍がそこにいた。
「おまえの決意でおれが切れるか?」
「もちろんだ!」
決意の固さでなら誰にも負けない。
何があっても青蘭を守る。
龍郎は鞘をはらった。
透きとおる氷のようにも、青白く燃える炎のようにも見える、怖いほど澄んだ刀身だった。
「行くぞ」と、侍は野太刀をふりあげる。
龍郎はだまって、うなずいた。
不思議だ。心が澄み渡っている。
侍の動きが手にとるようにわかる。
相手がふみこむ素ぶりを見せたときには、すでに龍郎はかけだしていた。いっきに間合いをつめ、こちらも上段にふりかぶる。
刃と刃がぶつかりあう。
薬丸自顕流の野太刀は、防御をすて攻撃に集中することで威力を増し、相手の刀ごと人体を断つ。
——が、侍は龍郎の刃を打ちくだくことができなかった。それは、龍郎の決意の固さだからだ。
まるで何かしらの楽器を奏でるがごとく、キンと張りつめた涼やかな音を立て、龍郎の刀身は侍の刀をはじきとばした。野太刀が折れ、刃は橋げたに突き刺さる。
「……参った」
侍の姿が風のなかに溶ける。
その瞬間に見えた。
彼はずっと嘆いていた。
約束したのだ。
彼の愛した人はこの橋を造るとき、人柱になった。それがその人の望みでもあった。だから、その人の守りたかったものを生涯かけて守ろうと決意した。霊になってまで守り続けた。だが、その玉はある夜、禍々しい火の玉に壊され砕けちった。
約束したのに。誓ったのに。守れなかった。
彼は嘆き、悔やんでいた。
「おぬしの力で、火の玉を退治てほしい。頼む……」
侍の姿が消えると、龍郎の手のなかに、一粒の石の欠片がころがっていた。その欠片は龍郎の右手の平に吸われた。熱い力がみなぎる。
(これで、また、一つ……)
残りは二つ。
二つ手に入れれば、苦痛の玉は完全になる。
*
侍のいなくなった橋を渡り、向こう岸へ行くと、そこには神社の焼け跡が残っているだけだった。あたり一帯が黒くなり、百年以上経つ今も、草木一本、生えてこない。
古きものの邪気に汚染されているのだ。
「ここにはもう何もないな」
おそらく、残された欠片の一つを、侍が自分の霊力で守りぬいていたのだろう。その他の欠片は、すべてあの天使のような何者かが持ち去ったのかもしれない。そのうちの大きな玉が、どういう経過でか、龍郎の手にもたらされたのだ。
(それにしても、なぜ、古きものは賢者の石を狙うんだろう?)
青蘭のなかにアンドロマリウスたちがいることにも関係しているようだし、賢者の石について知れば知るほど、謎が深まっていく。
「もういいんですか?」
「ああ」
橋の手前で待っていた清美といっしょに自動車まで戻ると、青蘭はふて寝していた。また火事の夢でも見たのか、涙を流して。
(遠いなぁ……青蘭の心は)
深々と吐息をついて、龍郎は車に乗りこんだ。
ふもとの町まで着いたとき、思いがけない人が待っていた。
フレデリック神父だ。
僧服ではなく、ふつうに紺のスーツを着ているので、外国人モデルのようだ。
青蘭は清美の実家に行っているあいだ、大量の紙幣を金庫に預かってもらうため、ホテルの部屋を借りっぱなしにしていた。そのホテルに入っていくと、ロビーにフレデリック神父がいたのだ。
「やあ。また欠片を手に入れたようだね?」
神父は何もかもお見通しのようすで、再会のあいさつもそこそこ、そのように話しかけてきた。
龍郎たちは朝から何も食べてないので空腹だった。が、神父がひじょうに重要な話をするために来たのだということは、その表情からわかった。
「部屋にルームサービスを頼もう。話はそこで」と、青蘭が神父を部屋に誘う。
青蘭は寝ているうちに神社跡を去ってしまったことを怒るのかと思ったが、それについては何も言わなかった。言わないことが、かえって怒りの深さを感じなくもないが。
ルームサービスはオムライスとサンドイッチ。それと大量のフライドポテトだ。コーヒーの香りのなかで優雅に……とは行かず、スイートルームに料理が運ばれてくるやいなや、三人で奪いあうようにむさぼった。
飢えた野獣のような食欲を見せる龍郎たちの前で、神父だけがとりすまして話を進める。
「君たちが清美さんの実家へ行ったということは、あの橋の上の悪魔と戦ったんだね?」と、たずねる神父に対して、
「ああッ! 青蘭さん! なんでオムライスばっかり二つも食べるんですか? それ、誰のですか? わたしのじゃないですよね? わたしだってオムライス食べたいです」
「僕の財布にたかってるんだろ? 文句を言うなら食うなよ」
「それとこれとは別です。ガルルですよ。ガルル……」
「清美さん。おれのあげるから、青蘭とケンカしないで」
「ああッ! 感謝です! オムオムぅー」
「清美に食わせるオムライスはない!」
「ああーッ! 三個も……この人、三個もオムライス食ったー!」
この調子だ。
神父はあきれているようだが、不機嫌な青蘭と暴走した清美を止めるすべはない。
龍郎は片手にカツサンド、片手にベーコンサンドを確保しながら、頭をさげた。
「なんか、すいません。いつもはもう少しおとなしいんですが……橋の上の悪魔は消えました。おれに欠片を託して」
「だろうね。力が増している。剣士の気が見えるな」
「剣士……か」
だとしたら、火の玉を退治できるよう、彼の持つ剣術の腕を授けてくれたのかもしれない。
「ところで、フレデリック神父。一つだけ聞かせてください。あなたはおれたちの味方なんですか? それとも……」
神父は何食わぬ顔で賢者の石の話をするが、彼が信用してもよい人物なのか、龍郎にはまだわからない。
星流の仕事仲間だから、敵対する勢力ではないだろう。だが、彼はエクソシストだ。青蘭のなかにアンドロマリウスやアスモデウスという魔王がいると知れば、青蘭を傷つける存在になるかもしれない。そう思うと、こちらの手の内を何もかも明かすことは容易にはできない。
神父は龍郎が身構えたことを察したようだ。空気が緊迫する。
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