第7話 橋の上の悪魔 その二



 巨大な野太刀が鞘走る。

 悪魔は刀を両手でにぎりしめ、大上段にかまえた。そして、いきなり「キエーッ!」と奇声を発し、ものすごい勢いで走ってくる。


薬丸自顕流やくまるじげんりゅうだ。なんで悪魔が剣術家なんだ?」

「生きてるときに武士だったからだろ?」

「そうか」


 薬丸自顕流はきわめて殺傷力の高い流派だ。大上段からふりおろす長大な太刀は、人間の体を一刀両断する。素手で対抗できる相手ではない。


 龍郎は青蘭と清美を片手で押しながら、サッと背後にとびのいた。

 悪魔の足がピタッと止まる。ばかりか、頭上高くふりあげていた刀が、すうっとおりていく。


(あれ? 攻撃がやんだ?)


 侍は棒立ちになっている。襲ってくる気配はない。だが、龍郎が一歩ふみだすと、また刀をかかげた。

 龍郎は足元を見おろして気づいた。

 境界だ。橋につま先だけでも入りこむと、侍は襲ってくる。橋の上が彼のテリトリーなのだ。


 さて、どうしたものか。

 つまり、ここで、きびすを返して以降、二度と神社に近づかなければ、この悪魔に襲われることはない。しかし、それでは聖子との約束も果たせないし、苦痛の玉を修復することができない。


 これは、おれの試練かな——と、龍郎は思った。これからさき、青蘭を守るためには、もっと厳しい状況に多々、見舞われるだろう。そのたびに逃げだしていてはキリがない。


「青蘭と清美さんは、ここにいて」

「龍郎さん。清美はこの神社の巫女でしょ? 清美ならあいつが通してくれるよ」


 そう青蘭は言うが、龍郎は首をふった。

「青蘭。おれ、もっと強くならないといけないんだと思う」


 ひきとめようとする手を、そっとにぎって押しかえす。

 青蘭は唇をかんで、そっぽをむいた。そのまま走って、ひきかえしていく。怒ったようだ。


 青蘭のためにと思ったのに、なんで怒るのだろう?

 ほんとに、青蘭の心はわからない。

 このところ、少しは信頼されて、絆が結ばれていくように感じたのに。それも気のせいだったのだろうか?


 見ているうちに、青蘭の姿は樹間に消えた。この距離なら、まっすぐ車に帰っていくだろう。


 龍郎はため息をついた。

「じゃあ、清美さんは、ここにいて。まあ、青蘭といっしょに車に帰ってもいいけどさ」

「いえ。わたしも神社、行ってみたいです」

「なら、ここにいて。あいつは橋に入らないかぎり、襲ってこないから」

「わかりました」


 龍郎は橋の上のやつを見なおした。

 これで青蘭や清美に危険はおよばない。しかし、さすがに素手で日本刀の使い手に向かっていくのは愚かだ。

 足元に落ちていた木の枝をひろい、龍郎は橋に一歩ふみだす。


 とたんに、

「キエーッ!」

 叫び声とともに侍がタタタッとかけよってくる。予想以上に速い。龍郎は思わず、あとずさった。

 ダン——と音を立てて、刀の切っ先が龍郎の鼻先をふりぬく。重い振動が空気をふるわす。龍郎の手にしていた木の枝は見事にまっぷたつだ。

 だが、かろうじて龍郎は侍のテリトリーから、からくも脱出していた。そこでまた侍は棒のように動かなくなる。

 おかげで、橋の中央にいた侍が、龍郎たちのすぐ目と鼻のさきに仁王立ちする形になった。これでは一歩も進めない。


(どうする? というか、そもそも、どうすることが正解なんだ? こいつをやりすごして神社跡に到達したらいいだけのことなのか? それなら、ロープを探してきて、崖をおりていけば、橋を回避して進むことはできる。青蘭や清美さんはできないかもしれないけど、たぶん、おれなら向こう岸も登ることができる。だけど、それだとコイツを乗りこえたことにはならないだろうな)


 なんとなくだが、この侍が試練のような気がしてならない。

 ただ神社へ行くのではなく、こいつを倒して行かなければ意味がないような心地だ。


(こいつは霊体だ。武器を持っていても、それは実物じゃない。こいつが作りだしている悪魔としての形にすぎない。心頭滅却すれば火もまた涼しだ)


 そう考えて、ふみだそうとするのだが、きれいに断ち切られた枝の断面を見ると、思うように足が動かない。

 しだいに、ひざがガタガタふるえてくる。


(バカ! 龍郎。もっと危険なことや恐ろしいことは、これからもたくさんあるはずだ。こんなんじゃ青蘭を守れないぞ。動け! おれの足!)


 自分を叱咤する。

 ——と、とつぜん、声が聞こえた。


「おぬしにも守りたいものがあるのだな? 何を守りたいのだ?」


 どこから声がしたのか、理解するのに少しかかった。

 あいかわらず侍は、口を一文字にむすび、じっとりこっちをにらんでいる。


「言え。何を守りたいのだ?」

「青蘭だ。おれの愛する人を命に代えても守りたい!」

「命に代えても……だな?」


 ふいに目の前が暗くなった。まるで夜だ。雷鳴がとどろいている。いや、違う。巨大な火の玉が闇夜を切り裂きながら空のかなたより飛来してくる。

 それは小さな火の玉が無数に寄り集まったもので、表面がブツブツしている。南国の奇妙なフルーツのようだ。よく見れば、その一つ一つが炎の形をした眼球だ。目玉の集合体が青白い炎を吐き、彗星のように長い尾をひいて、猛スピードで落下してくる。


 やがて、大地をゆるがし、それは鳥居の向こうに落ちた。すさまじい爆風が山の木々を倒し、一瞬にして炎がまきおこる。


(クトゥグアだ!)


 なぜ、そう思ったのかわからない。

 あの巨大な火の玉が古きものの一員であり、賢者の石を狙って襲撃してきたのだと、龍郎は認識した。本能的な何かが、そう教えてくれる。


 このときの衝撃で、苦痛の玉は五つに割れた。

 火の玉のモンスターは割れた玉をそのまま焼きはらおうとしている。火の玉の目的は苦痛の石を破壊することのようだ。


 なのに、あれは、なんだろうか?

 全身が白く発光して見定めがたいが、人形ひとがたに見える何かが、巨大な火の玉の吐く炎をかいくぐり、割れた玉をつかんで飛び去った。背中に双翼を持つ巨人——その姿は、まるで……。


(……天使?)


 ぼうっとして、龍郎はそれに見入った。これまで何度か古きものには対峙してきた。古きものたちは存在じたいが人類や地球上の生物とあいいれない。とうてい受け入れることはできない。同時に存在することが不可能なものだ。敵だと、誰に教えられることなく悟った。


 でも、今、見たあれは?

 あれは、古きものと戦っていた?


(まさか、そうなのか? ほんとにいるのか? 古きものと敵対する存在。おれたちと共闘できる存在)


 そのような存在がいるのかもしれないというだけで、龍郎の心は踊った。力が内からあふれてくる。


 幻影が去ったとき、龍郎は神社の前に立っていた。扉をひらくと、祭壇にひとふりの刀が祀られていた。神刀のようだ。龍郎が手にとると、刀が青く輝いた。

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